あきらめた者のふきだまり | かめぽくうつ歩み道―うつ病四半世紀

かめぽくうつ歩み道―うつ病四半世紀

私の母親はモラハラ&アルハラの母です。その母も2018年他界。今まで「家族」という入れ物の中で、家族全員がゆっくりと歪んでいったのだと思います。※薬の大量摂取(OD)は今の薬で致死にはならず、麻痺など後遺症が残る事があります※

いや、すっごいすっごい大好きだけど

 

あきらめたと思いたくないけど

 

 

いまここにいるのは病気や障がいのせい?と思う人は少なからずいますね。

 

文章関係、画像関係、アニメやマンガ関係をかつて目指していたのかなという人達は複数。

 

「そんなので成功するのは一握り」というのはわかっていますが…

 

え?自分^^;?

 

いやいやその上をいくほとんど仕事してた人もいたりして。

 

病気関連でその道をあきらめたのでしょうが、毎日「実は」「これは」とぎょーかいの裏側を語る人もいます。

私のところ田舎なので東京はそんなんですか~みたいに聞いていて、本人も一見わだかまりがなくみんなで楽しくおしゃべりをしています。

 

でもたぶん「本物」を見た人にとっては今の生活はどうなんだろう、みたいに思ったりします。

自分はそのレベルまで達しなかったのがむしろ幸いというか。

 

すんごくいい人です。いばりもしません。

ただ、さびしそうというか、自分のありあまった力を発散できずにでも人の前ではえんたーていなーみたいに笑える話を提供してちっとも偉ぶりません。

 

この方じたいの繊細さ感受性と実際中央まで行った技術があるから本当はその仕事に適任であったはずでした。

この方の場合は心ではなくて身体に病気が出て断念せざるをえませんでした。

 

で、それから楽しく生きるのはどうするのだろう、と思います。

私もかつてはマンガ家になりたかったけど、まあはっきりいって才能がない^^;でもごたくがある?

作業所メンバーはマンガ映画アニメテレビドラマ好きな人が多いので、わりと話についていけます。

 

表現のうっぷんをはらすのには受注したコラム記事を書いたりするのが役立ちます。

でもいっしょうけんめい書いた分をばっさり割愛(笑)されたりして悲しくなりますが、そういうときはほかの人がなぐさめます。

自分は才能があるほかとはちがう存在などとおごらなければ(それは自分にしろだれにしろ結果的にそうだったということがある)受け止めてくれる人がいます。文字通り事実を「受けて」でも「(依頼主には)都合悪かったかもですねーと状況をいったん止めて(次行こう)」という人が現れます。

自分一人で受け止めるのは大変です。しかしだれかといっしょに受け止めると先に行きやすいです。

題してチームワーク。

チームワークとはなんぞや。

最近はその表現者タイプのめんばーもそうですがいつも明るくドリフのごとく「次いきましょう」というめんばーさんも大丈夫なのであろうかと気になります。

 

が、今は私が次に行くことが必要です。

「次いってみよー」

です。

どんなしっちゃかめっちゃかな顛末があってもそれはひとつのコントと考えたい(←コメディ大好き人間)

次にいかなくてはいけないから。

そして今は自分は楽な方を手にしたら意地でも離れません(笑)

なんとなく自分が楽しい方が自分にいいかもと思い。

今自分が楽しいのは作業所です。

これはそうそう手放してはいけません。

 

そして自分はマンガ家はあきらめたけどそれはメジャーなやつであって、表現をあきらめたわけではありません。

体力ないから職業としてやっていくのはきびしそうですが・・・

不定期ならイラストなりマンガなりいいなあと思います。

 

あ、タイトルはやっぱり秋のちょっとセンチな感じで書いてみました^^;

 

なんで自分で雰囲気ぶちこわすんですかねー^^;

えーと秋というとなんかビリージョエルが似合う気がします。

あとBillie Holiday - Autumn in New Yorkがステキです。