運輸省 飯田橋駅発行 和泉多摩川・稲田登戸間ゆき連絡乗車券

本日8月15日は第二次世界大戦の終戦記念日です。
昭和20(1945)年の終戦から73年目になります。原爆が広島に投下されたのは昭和20年8月6日、長崎に投下されたのは昭和20年8月9日です。
73年前の今日である昭和20年8月15日の正午、昭和天皇が自ら(大東亜戦争終結ノ詔書)という詔書を朗読したものをレコードに録音した「玉音放送」が放送されることで、日本がポツダム宣言を受け入れたことを国民に対して明らかにし、日本は敗戦を決意したわけです。
日本という国には何気ない平和が続いていますが、戦争を知らない私達世代は73年前の今日迎えた「終戦」を機に日本の進む方向が変わったという事実を最低限理解しておかなければならないと思っています。


そんなことで、本日は玉音放送が放送された時刻である正午に、コレクションの中から戦争に因んだものを御紹介したいと思います。
日付の年号が見づらいですが、昭和19年4月に運輸省(←日本国有鉄道←JR旅客鉄道会社)時代の中央本線飯田橋駅で発行された、新宿接続東京急行電鉄(現・小田急電鉄) 和泉多摩川・稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)駅間ゆきの連絡乗車券です。


   


桃色GJRてつだうしゃう地紋のB型矢印式大人・小児用券で、後の東京印刷場で調製されたものと思われます。
着駅である稲田登戸は「稻田登戸」と表記され、経由の「經」などに旧字体が使用されています。


一番下段にこの券の終戦直前であることを物語っている文言である「特別運賃共」という文言があります。

特別運賃は通行税の一種で、日本の歴史の中では「通行税」というものは大抵戦争がらみとなることが多いようです。
例えば明治38年の日露戦争の時代に非常特別税という通行税から始まり、大正15年に税制改正で通行税は一旦廃止されるものの、昭和13年には支那事変特別税法の税目の一つとして復活します。そして昭和15年には再び戦局悪化による通行税制定により実際に鉄道の普通運賃に至るまで通行税が課税され、平成元年の消費税の導入に伴って、最後まで残っていたグリーン料金に含まれる通行税1割が廃止されるまで存続していました。

さらに戦局が悪化すると通行税だけでは賄いきれなくなり、
昭和19年から通行税が含まれた運賃の他に「戦時特別運賃」が加算されるようになり、この頃の乗車券には「特別運賃共」の文言が入ります。


   


裏面です。
省線内及共通着驛(駅)區(区)間内下車前途無效(効)」と記載されており、通用日は2日間であれ、省線(←国鉄線←JR線)内および共着駅区間である和泉多摩川・稲田登戸間では下車前途無効である旨が記載されています。

券番は0001となっておりますが、この券は昭和19年4月1日からの戦時特別運賃の加算によって「特別運賃共」の文言が追加された新券であったようで、制定から24日経過した4月24日に発売されたことになります。

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