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伊奈利短歌 ツイ短歌 小説…伏見稲荷大社の物語 小説西寺物語 小説盆栽物語 小説鯖街道 小説老人と性 音川伊奈利

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2019年10月07日
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​​​​​​ブログ小説 音川伊奈利の小説を毎回3作掲載…今回は「伏見稲荷停大社の物語」全85話から

嵯峨天皇の即決断で1200年前からお寺に保育所ができた。この日本ではまだ「保育園落ちた!」の状況とは日本の恥になる。伏見稲荷大社の物語 84話

 稲荷神社も神職と巫女との社内恋愛が増えて共稼ぎが多くなっていた。巫女とは本来若くて独身の女性というのが決まりだったが、この稲荷神社は神楽の舞は若い女性が中心になるが雅楽の演奏や舞の指導はベテランの巫女を起用していた。巫女の仕事はなにも表舞台の仕事だけではなく神社の事務、経理、それに神様への食事も年中無休で用意しなければならない。

 男の神職は70名、それに巫女さんが30名の大所帯で運営していたが、それは稲荷神社本体で他には系列の事業体として表参道の直営お茶屋を3軒運営する稲荷カンパニー、神社を警備するフォックス警備保障、それに稲荷大学もあった。この稲荷大学は当初は神職と巫女さんの学校だったが、現在は私立総合大学になっていて職員は教授を含めて100名、学生は500名在籍していた。つまり、稲荷グループとしては社員が300名という当時では京都で一番大きな会社てもあった。

 そこで稲荷神社三代目の宮司の伊蔵はこれら社員の子供のために稲荷保育園を開設していた。保母さんは稲荷大学の女性の学生から希望者を募り、これらの学生の入学金と授業料の全額を免除していた。稲荷大学は2年制の全寮制の短期大学でこの2年間を保母見習いとして働けば卒業後には保母の資格とともにこの稲荷保育園で保母として正式に働いていた。当時(823年ごろ)女性が給金を貰って働く場は大店の下働きぐらいしかなかった。それに巫女さんと保母さんという資格がいる職業ができたものだから、全国の女性たちからこの稲荷大学保母部、それに巫女部に入学希望者が殺到していた。

 このころ大都会でもあった都でも男は外で働き女は家で子育てと家事をするというのが定番だった。したがってあるゆる職人も工人も働くのは男になる。しかし、その夫が早死にしたり、離婚すればたちまち女性が働かねばならない。これが農村ならば親兄弟、親戚もいるが、なにせこの都の住人は他府県からの新規参入者が多くてこれもかなわない。この時代は食うものが買えなかったら餓死するか自殺するしか方法はなかった。そこで伊蔵は嵯峨天皇に官営の母子家庭のための保育所を造るようにと直訴していた。天皇は、
「そか、それはお主の新しい稲荷大学の保育部の卒業生の就職を斡旋する場所にもなるが…それに政教分離の原則に反するが?」
「たしかにその面もあります。しかし、この都で子供がいるために働けず餓死、自殺した母子はもうここ5年で100名を超えています。これは人権問題になります」
「そか、しかし、そんなことに金を使うことには貴族の賛成は得られない」
「そうですよね~もう、かれこれこの保育所のない時代が50年も続いているのに貴族らは知らん顔をしてます」
「そうだが…なにかいいアイデアはないのか~伊蔵」
「はい、それはあります。まずどの地域にもお寺はあります。その一室を借りてせめて昼間だけでも母子家庭の子供を預かってもらうのです。保母はその数に対して稲荷大学保母部の学生及び卒業生を派遣します。国はその費用を負担してください」
「そか、お寺か~しかし、寺はどういうかはわからない」
「天皇、天皇がそうしろと命令すれば寺の誰もが反対はできません」
「そか、もし逆らうなら年貢及び労役免除を取り消すといえばいいのか?伊蔵…」
「はい、もし坊主が困っている母子を見捨てるなら、国も坊主を見捨てると暗に…」
「ほう、伊蔵よ!お主も悪知恵が働くのう~」

 こうして母子家庭のための官営保育所は京の都に十数か所もできた。母親は子供をお寺の保育所に預けて男の職場でもあった染物工場や酒、醤油、味噌の工場で働いたが、それは人手不足の解消とともに男ばかりの職場に華が咲き、男同士の喧嘩、博打もなくなり、そしてバツイチのカップルも誕生したという目出度いお話しになりました。

★~…我が家の近所にも幼稚園や保育園はあるが、そのすべてといっていいほど経営母体は地域のお寺になっています。この歴史の始まりこそが伊蔵が天皇を利用してお寺の一部屋を借りたことになっている。そしてそれが1200年後の今も続いていることこそが日本のいい文化になります。

しかし、それにしても50年前の各党の選挙公約を読めばどの党も「保育所をポストの数ほど造る」と公約しているが、その公約がまだ実現していないことに政治家は恥を感じていないのだろうか?…この嵯峨天皇のように即決断できる政治家と伊蔵のようなブレーンの出現をいつまで持つの?それとも小池百合子氏に期待するのかはまだわからない。


平安時代のお菓子とは唐菓子で果物、木の実の乾燥した物…日本初の本格的お菓子は「かりん糖」…79話

 平安時代の貴族は甘いもの大好き人間の集団で全国から甘い果物と甘いお菓子の献上品をことのほか喜んでいた。この献上品とは年貢などではなく皇族や貴族に試食してもらい嵯峨天皇に「これは旨い」という一言をもらいそれを宣伝に使っていた。一番名誉なことは皇族に商品を納入する権利でもある「宮内省御用達」の看板を店頭に飾ることであった。

 この宮内省御用達の商人は宮中に自由に出入りができて各皇族や貴族にその扱っている商品のセールスができるという利点があった。ただ宮中には自由に出入りはできるものの窓口は下級役人を通じて中級役人、そしてさらに有力貴族に口利きをしてもらわなくては天皇にまでは届かない。そうなるとここにワイロが発生するのは現在とまったく同じになる。(東京都の頭の黒いネズミ)

 822年のこのころの唐菓子といえば果物になる。しかしこれは季節に関係があるから年中は食べられない、そこで干し柿、栗のような保存が利く甘いものを唐菓子と呼ぶようになった。稲荷神社三代目の宮司の伊蔵は神社の土産品にこれらを売ろうと思ってはいたが、これらは高価なもので一般庶民には手が出なかった。そこで伊蔵は稲荷大学の成長経済部の学生に安価で日持ちがする甘い日本初のお土産お菓子を研究してほしいと要請していた。

 学生らはこの研究に没頭してやっとできたのか伊蔵に報告をしていた。
「伊蔵さま、米粉と小麦粉を半々使い、これを長さ10センチの丸い棒状に延ばして荏胡麻で揚げました。それに甘葛(ブドウ科のツル性植物)のツルを煮詰めたものをさらに水分を飛ばした甘い汁をからましたものですが…」
「ほう、これはいい匂いがしてなかなか美味だが、なにか問題があるのか?」
「はい、これはそのまま食べるのにはいいですが、なにせお土産ともなると信者の旅人が背中に背たろうて何日も歩かなければなりません。そうなると折れたり、形が崩れて商品価値がなくなってしまいます」
「そか、それならこの棒状の物からひねり、ねじりをかければ表面面積が多くなりその分固くなり表面にも甘味料がよくからむ」
「はい、そうですね~それならこの棒を3センチほどと短く切れば強度も増します」

 こうしてできたお菓子を嵯峨天皇に献上していた。天皇は、
「ほう、これは匂いもいいが、カリカリして旨い、それに上品な甘さがいい」
「はい、それを稲荷神社のお土産にしたいのですが、ぜひ天皇にこのお菓子の名前を…」
「そか、それより先にお主に見せたいものがある」
「はいはい、またですか?…天皇」

 天皇はなにやら声をかけると奥からこれまた若い姫が出てきて伊蔵に挨拶をしている。その姫は近江の呉服商の高島屋の孫娘で15歳の「果林」という。その高島屋が都に本店を置き、宮内庁御用達にしてほしいという陳情があり、そのワイロにこの果林を差し出したということは天皇からその経緯を聞かなくても伊蔵は宮中の噂で知っていた。当時の未成年というのは15歳以下の事で男も女も15歳からは立派な成人としていたから天皇は法律違反を犯してはいなかったことになる。

 その果林がこのお菓子を食べて、
「いやん~これ美味しいどす。これ伊蔵とやら、これは何という名前の唐菓子じゃ~」
「いえ、姫さま、それは唐のものではなくて日本最初のお菓子になります。それを天皇に命名してほしくて今夜はきたのです」
「そか、それならわらわが命名する。そう、それなら我が名を未来に残すために「かりん糖」とする」

 天皇は786年生まれの36歳でもう愛妾は伊蔵の知っているだけで10人を軽く超えている。それに子供も皇后との間に6名、正式な愛妾の間には約20名、さらに一夜だけの恋だが、嵯峨天皇の子供だと認定されているのは約20名とされていた。そして今夜紹介された果林…なにはともあれ天皇が美味いといい、果林が命名した「かりん糖」は稲荷名物になり飛ぶように売れたというお話しでした。


堀川・堀川下水は新種の植物、野菜の宝庫だった。堀川牛蒡は鴨と合う・嵯峨天皇823年3月に生前引退決定 80話

 京の都の川はほとんどが北から南へと流れている。これは北の端の金閣寺よりも南の端の東寺までの高低差が約50mもあるのが原因になる、北山からの水、東山からの水もすべて桂川、鴨川に集まりそれが淀川になり大阪湾に流れている。

 平安時代にも下水があり右京、左京の生活排水などはすべて堀川に通じるように土木工事が完備されてかなり都は世界の都市でも清潔な街でもあった。便所の排泄物は貴重な畑の肥料として下水には流されないから下水といってもそんなに不潔ではなかった。また夏などゴミが溜まり不潔になると堀川の上流の鴨川の堰から水を大量に流せば淀川に流れるという仕組みになっていた。

 この堀川は幅こそ6mほどあったが、水が流れるのは真ん中の4mほどで両端には1mほどの土があった。ここにありとあらゆる植物の種や野菜の根が流れてきて自生して育っているのを川の近所の子供らが見つけて摘み取り親孝行していた。

 ある時この子供らが見つけたのは木の根っこと間違うほどの太い牛蒡だった。元々の牛蒡というのは細いものだが、これは誰かが貧弱な牛蒡を川に捨てたところその牛蒡が横に寝たままで育ちヒゲ根のすべてが下に伸びて下水という栄養豊富な環境でお化けのような牛蒡ができていた。さすがにこれは気味が悪いと食べられずに稲荷大学の農学部に持ち込まれていた。

 稲荷神社三代目の宮司の伊蔵もこれには驚いていたが、学生らは伊蔵に、
「これの中はスカスカで繊維も太くて味も匂いもそんなにしません」
「そか、しかし、食べても害はないのか?」
「はい、私たちも煮たり焼いたりして食べましたが、お腹は大丈夫です」
「これはそんなに多く自生しているのか?」
「はい、もうこの品種そのものは固定化してこの種を普通の畑で育ててもこの大きさの牛蒡ができるようになったのです」
「そか、それなら料理方法を考えればこの栽培が全国に広がるかも…」
「はい、それにあの堀川にはまだ新種の生姜やスイカなど、それに南国の珍しいメロンというのも自生していました。水のあるところには小魚が、それを目当てに渡り鳥が飛んできます、そしてそこに土があれば珍しいものが育ちます」

 こうして農学部から料理研究部にバトンタッチされて学生らはこの堀川下水原産地のお化け牛蒡を堀川牛蒡と名付けて食べ方の研究をしていた。この大味の野菜には動物性タンパク質があうと鹿、猪、熊の肉まで試していたが結論としては鴨の肉がいいとわかった。この鴨の肉をミンチにしてスカスカの牛蒡の穴に詰め込んで醤油と沖縄の黒糖で煮込みました。それを輪切りにしたところ牛蒡の繊維が柔らかくなり鴨の味と見事にマッチしていた。

 これを例によって嵯峨天皇に献上したところ天皇は、
「ほう、これは旨い!、鴨は九条ネギしか合わないと思っていたが、このお化け牛蒡にも鴨が合うのう~」
「はい、それに同じ堀川で発見された新種のお化け生姜も鴨の肉の匂い消しにはいっています」
「そか、それで血行がよくなり体がポカポカするのか…」
「はい、鴨も堀川の鴨です」
「そか、下水とは汚いものと思っていたが、こんなに美味いものが育つのか…」
「いえ、これは都会の下水の川で世界の都市で堀川が一番清潔で綺麗な川といわれています。それには都の下水局の職員が並々ならぬ努力をしているからです」
「そか、清潔で綺麗な政治をしょうと思ったらこの堀川下水と同じで政治家が並々ならない努力が必要なのに、我が貴族連中は業者からワイロを受け取り私腹を肥やしているが、伊蔵よ、来年こそはこの貴族の汚職を一掃したいが協力をしてくれるか?」
「はい、天皇、喜んで協力いたします。それに貴族の長があのセコイ舛添から小池百合子に代わりましたから今度こそ期待できます」
「そか、それなら予も来年の823年の3月には生前退位をする」
「はい、長い間お疲れさまでした。それでは天皇~よいお年を」
「そか、お主の稲荷神社も三が日で230万人もの初詣客があるというが、テロには厳重な警戒をよろしくたのむ」

★~今年1年を振り返ると…幸せだったかもわからない。

悪いことはなに一つもなかった。しかし、いいことも何一つなかったということは差し引き「幸せ」だったもわからない。まだ一昨年から引き続き眼の病気の「加齢黄斑変性症」の治療と痛風の治療を受けている。しかし、これも順調に治っている様子だからこれも含めて幸せだったかもわからない。

痛風では大好きなビ―ルと塩干物の魚類が禁止、眼の病気では「ほうれんそう」と「牡蛎」を食べなさいといわれて食べている。もう仕事はリタイアして貧しい年金暮らしで金はないが時間はたっぷりあるというのも「まだ売れていない作家」にとっては最高の幸せになるのかもわからない。

もしなにかの間違いで私のコラム、小説が何かの新聞、雑誌で取り上げられてそれが評判を呼び仕事が増えるとすれば金も入るし夢が実現することになりこれも幸せになる。しかし、そんなことになれば酒のお付き合いも増えるし原稿の締め切りに追われて病気になるかもわからない。

というような自問自答を毎年繰り返している。さらに来年の抱負になるが、やはり来年も今年のように「なにも悪いことがない」ように願うしかない。この連読を維持すれば後20年は生きられるような気がする。売れる売れないは別にして我が一生涯を「作家」としての誇りを持ちながらまっとうすればたぶん私の死に顔は素敵だと思う。

さらに100歳まで生きれば現在の私の周りの知人、友人らは仕事の鬼で金の亡者でいずれ睡眠不足、過労、ストレスで先に天国に逝くだろう…その点、私は睡眠過剰、その分過労もストレスも溜まらないから元気のままポックリ逝く自信はある。なんていう強がりだけの年の瀬のご挨拶でした。合掌​​​​​​




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最終更新日  2019年10月07日 09時20分21秒
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