死刑囚に対して、宗教的信条に基づいて対話をする「教誨師」。

今年の2月に急逝した大杉漣(れん)の最後の主演作。

キリスト教の牧師としてその役を演じています。

死刑囚に起きる病理は解離というもの。

自らの犯した恐ろしい犯罪を、自らが為したと認めることができずに、自分自身から自分自身を切り離すのです。

解離には二つあって、一つは時間的解離。

過去の自分を切り離すこと、つまり、健忘、記憶喪失のことです。

犯行を犯したときのことを覚えていない…

テレビの捜索番組でも身元不明人をとりあげてますよね。

「このハゲー」と言った人も、そのときのことは覚えていないようで…解離です。

もう一つは空間的解離。

トカゲの尻尾切りみたいな… いや、それなら再生できますね…首と胴体を切り離すかんじでしょうか。

二人、或いはそれ以上の自分がいるという感覚。

ある死刑囚は自分が殺した相手の霊が見えてしまう…

相手の姿に見えて、実は内面的な自己の罪悪感が外在化したイメージなのでしょう。

天井のあたりからベッドに寝ている私を見ていたという話しもほとんどこれです。

本当の臨死体験というものもあるのかもしれませんが…

教誨師は日々そのような解離をもつ死刑囚と対話を続けるのですが、実は教誨師自身、過去のトラウマから解離した部分があることが明らかされていきます。

「300の顔をもつ男」といわれた名優大杉漣が深みのある演技をみせます。

私たちが当たり前のものとして感じている「私」とは何なのでしょうか。



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