おばばの独り言 from Another World

なんかのご縁で中国の福建省へ。
そして今度はデカン高原の小都市へ。
そして日本に帰って、今はきまぐれな野菜作り!

どこでも、親切な助っ人登場!  その3ーロシア

2023-05-01 09:09:09 | 日本語教育
ロシア極東部最大の都市、ハバロフスクに3,4日滞在したときの出来事。

今ではどうなっているのか知らないが、当時ロシヤのホテルでは、客室棟の各階にフロントのような場所があり、部屋のキーの受け渡しはそこで行われていた。

ある日、出かけて帰ってきて、キーをもらうために、私の部屋がある3階のフロントに行った。すでに何人かの客が並んでいた。私の部屋番号は、2317だった。順番がきたので、フロントの女性に「2、3、1、7」と部屋番号を告げるも、通じない。何度か繰り返したが、やはり通じない。

確かに、私のロシヤ語能力は、一桁の数字がやっと言えるくらい、二桁になるとかなりアヤシイものだった。だがここまで通じないとは。。。。ロシヤ語も日本語も数字はアラビヤ数字を使うのだから、部屋番号をアラビヤ数字で紙に書いて見せれば、一件落着ということにも考えが至らなかった。
フロントのお姉さんもあきらめたのか、身振りで「あっちへ行って」と伝えてきた。これでは部屋に入れない。

私が困り果てていると、後ろの方から「神の声」が聞こえてきた。
「その人はちゃんと言っているじゃないか。
 2,3,1,7と言っているじゃないか」と、聞こえたような気がする。私の3人ぐらい後ろに並んでいた男性が助っ人に来てくれたのだ。

フロントのお姉さんはハッとして、「2ー3ー1ー7か、23ー17ね。」とつぶやいた。それで、やっと私の部屋が2317号室だとわかって、キーを渡してくれた。

昔のことでもあるし、私の記憶もさだかではないのだが、話の流れはこんな風だったのだろうと思う。
ロシヤ語では、あるいはそのホテルでは、部屋番号を言う時は、二桁ずつに区切っていうことになっていたのだろう。それを私が一桁の数字を並べて怪しげなロシヤ語で発音したので、フロントの女性にしてみれば、それがロシヤ語で、しかも部屋番号とはわからなかったのではなかろうか。

フロント女性と私とのやり取りの一始終を後ろで見て聞いていたロシヤ人のおじさんは、私が言っているのが部屋番号の数字をひとつずつ並べて言っていることに気が付いて、フロントの人に指摘してくれたというわけだ。
おじさんが、先入感にとらわれず私の出す音を理解してくれたのは本当にラッキーだった。

私は、おじさんと目と目で、ひそかに挨拶を交わしてから、部屋に向かったのだった。
ロシヤの紳士の固定観念に捕らわれない姿勢のおかげで、ホテルの廊下で、ひとり泣く羽目に陥らないですんだ。

バリショーエ スパシーバ(本当に、感謝しています)。





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村

どこでも、親切な助っ人登場!  その2ー中国

2023-04-26 00:27:29 | 日本語教育
ある調査団に紛れ込ませてもらって、中国東北部、黒竜江省の州都ハルピンのホテルに滞在していた時のこと。

その間の事情は忘れてしまったが、調査や観光などの予定が全くなく、各自が一日自由にしていていい日ができた。
明治初期にロシヤ人が創ったというハルピンの町、文革でロシヤ風の建物もだいぶ壊されたとも聞いていたが、まだまだ町にはロシヤの香りが残っていた。ぶらぶら歩きをしながら、果物やおやつなど少し買っておこうかと、近くのスーパーへ行った。ショッピングカートを見つけて、それを押しながら、買い物を始めようと動き出したとたん、店員らしき若いお兄さんが恐い顔をして何やら言ってくる。

私の中国語は、「ニーハオ」「シェーシェー」「ツアイチェン」だけのレベル、何を言われているのかさっぱりわからない。無視して、売り場に行こうとすると、お兄さんはいきり立って、何かをわめきたててくる。こっちも何が何だかわからずうんざりしていた時、ちょっと離れたところに立っていたおばさんが、何やら黒っぽい布の袋を持って近づいてきた。そして、私が持っていた大きなバッグを取り上げて、もってきた黒袋に入れて、ファスナーを閉めてわたしのバッグを閉じ込めてしまった。そうしておいて、私に行けと合図をしてくれた。怒り狂っていたお兄さんは、私が行くのを見ても何も言わなかった。

買いたいものを選んでレジへ持っていったが、支払いも何の問題もなく終わった。

カートを返そうとして何気なく見渡すと、さっきのおばさんがこちらを見ていた。私が買い物をする様子をさりげなく見守っていてくれたらしい。また問題が起きたら、跳んできて助けてくれたのだろう。
私はおばさんに目で挨拶をして軽く会釈した。おばさんも小さくうなづいてくれた。

落ち着いて考えてみると、
この店では、客は私物のカバンなどをそのまま持って買い物してはいけなかったのらしい。各自のカバンは、店が用意した大きな袋に入れてファスナーを締めておかなければ、売り場に持ち込んではいけない決まりになっていたのだ。多分、商品を万引きして自分のカバンに入れられるのを避けるためだろう。

あのお兄さんは、私がカバンをそのまま持って買い物しようとしたのを見て、止めようと話しかけたらしい。彼は、私が中国語がまったくわからないことに気が付いていなかったのではなかろうか。だから、何度も何度も、「自分のカバンをそのまま売り場に持ち込んではダメだ」などと教えているのにも関わらず、私が無視して行こうとするのに激怒して怒鳴りまくったのだろう。中国人と同じような姿かたちなのに、言葉が通じない人がいることなど考えもしなかったのではなかろうか。

お兄さんと私がもめているのを、向こうから眺めていたおばさんは、多分、私がお兄さんのいうことを無視する悪い客なのではなく、実は何を言われているのかことばが分かっていないことに気が付いたのだろう。それで、近づいてきて、黙ってカバン入れの袋を差し出してくれたのだろう。

もし、この人が助けてくれなかったら、私はどうなっていたのだろうか。
怒り心頭のお兄さんに警察に突き出され、警察署では通訳もつけてもらえないまま尋問され、領事館に連絡もしてもらえず。。。。。。日本に帰れなかったかもしれない。。。。。

さりげなく窮地を救ってくれたおばさん、ありがとうございました。
いまでもあのスーパーで働いていらっしゃいますか。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村

どこでも、誇り高く、親切な助っ人登場!  その1ーインド

2023-04-18 06:31:44 | 日本語教育
インドのデリーの日本語学校で教えていた時のこと。

普段の買い物は、アパートから歩いて20分ぐらいのところにあるショッピングセンターの中のスーパーでしていた。
が、時々は、当時道端にならんでいた、大八車のような移動させられる車の上の、木製の箱に並べられた野菜や果物を買っていた。そちらの方が、スーパーより安いのだ。
スーパーなら始めから値段がついているので問題はなかったが、道端の移動店舗?では、そうはいかない。買いたいものを選んで店主に渡すと値段をいってくれる。何回か買い物をしていると、その値段が客によって違っているのではないかと疑わしくなってきた。私には、インド人に対するより数倍、時には10倍もの値段を言ってくるような気がする。だが、ヒンデイ語がさっぱりな私とヒンデー語しか話さない店主だから、どうしようもない。「外国人で言葉がわからないとと思って、ふっかけてきやがって!」と内心悪態をつきながら、言い値で買うしかなかった。

ある時、ある移動販売車で、野菜を買った。店主の言うままの値段でお金を払って、買ったものを受け取って帰ろうとした。すると、そばに立っていた見知らぬおじさんが、怖い顔をして店主に何か言っている。店主のおじさんは困ったような顔をして、私にお金を渡してきた。何が何だか分からないままそのお金を受け取った。
後から考えると、どうも、このたまたまそばに立っていたおじさんは、店主が老齢の外国人婦人に対してあまりにも高く吹っ掛けているのに激怒し、取りすぎた分のお金を返してやれと迫ったようだ。

また、同じような状況で助けてくれたおばさんもいた。その時はバナナを買って言われたお金を払って帰ろうとしていた。すると、そばに立っていたおばさんが、怖い顔をして若い店主のお兄さんに何か言った。お兄さんは、しぶしぶバナナをたくさん渡してきた。察するに、おばさんは「そんなにお金を取るのなら、もっともっとバナナをあげなさいよッ」と若者に道を説いたのらしい。

たまたまそばにいただけなのに、傍観しないで、ことばが分からない人の弱みに付け込まないで妥当な値段で商売するように迫ってくれた誇り高い二人のインドの方たち、ありがとう。今でもその時の様子を思い出して懐かしんでいます。


夏頃だったか、デリーの町の移動露店では、マンゴーがたくさん売られていた。日本では一個何百円もして、ケチな私は買うことはなかったが、ここでは、5~6個買っても、信じられないほど安いようだった(実際の値段は忘れてしまったが)。マンゴー大好きな私は買いたくて仕方なかったが、道端の移動販売車?で買うと、またいやな目に遭いそうで、躊躇していた。

ある時、授業が終わって学生たちと話していたら、近くの店までマンゴーを買いに一緒に行ってくれることになった。数人のイケメン学生に前後左右を警護?してもらいながら、店に行き、彼らの助けで無事に大好きなマンゴ-をたくさん買うことができた。その時、つい学生たちに愚痴を言ってしまった。

「私に対しては、考えられないような高値で売りつけようとしてくる! 店主たちに対抗するために、私に喧嘩ヒンディを教えて!!!」

黙ってわたしの文句を聞いていた学生の一人が、「初めに言ってくる値段は、その値段で売るという意味ではなくて、この値段から交渉を始めようという意味です。先生はそれを聞いたとたん、怒ってしまって帰るから交渉も何もできなくなるのです。先生には、喧嘩ヒンディではなく、交渉ヒンディが必要です。」 

なるほど、そうだったのか。私はすぐ怒るからなあ。現地のやり方の理解が足りなかったということのようなのに。。。。

インドの人たちも一生懸命生活している。少しでも高く売りたいのはわかる。
税金も払わずに生活させてもらっている身、少しぐらい吹っ掛けられても、それは外国人税、住民税の代わりと思えばいい。
分かっているけど、いざ現場に置かれると、見境なく怒ってしまって。。。。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村


中華料理は日本料理です!

2023-04-10 22:00:00 | 日本語教育
むか~し、むかし、アメリカに短期留学していた時、地元の友人が「日本料理店」へ連れて行ってくれた。お昼だったので、簡単なものをと「焼きそば」を頼んだ。
運ばれてきたのを食べてみてびっくり。
とにかく油っこい、
なぜか砂糖が大量に使ってあるようで甘い、
そしてなにより量が多い。
これは日本料理とはとても思えず、日本風味のアメリカ料理だと思った。


同じようなことが、日本の「中華料理」にも言えるのではないか。
中国からやってきた留学生の話。
日本に来た当初は、とにかく日本の物事を体験しようとしていた。だから、「中華料理」は食べに行かなかった。日本に来てまで、国の料理を食べるなんてと思っていたからだ。

だが、日本にも慣れたころ、「中華料理店」にも行くようになった。ここで食べる料理は、中国で食べるものとは違っていた。
中国の餃子は、日本のより、皮が厚くて、水餃子だ。
ラーメンは、汁がとても甘い。中国のラーメンはとても辛かった。それに味噌味のものはなかった。
担々麺も食べてみたが、まず汁麺であることに驚いた。しかも汁がとても濃厚な味付けがしてある。中国の担々麺は、スープがなく、麺と具をかき混ぜて食べるかき混ぜ麺で、とても辛い。辛いと言えば、麻婆豆腐も中国で食べたものはとても辛かった。

もう一つ驚いたことは、日本では、ラーメンと餃子を一緒に食べることだ。中国人の感覚では、ラーメンも餃子も主食なので、主食ばかり食べることはない。

横浜の中華街にも行って食べてみたが、やはり、油をあまり使っていないサッパリした料理だった。私は気がついた。これは中国の料理ではなく、中華風日本料理なのだと。実際に中国で食べられている料理と同じではなく、日本人の口に合うように変えられてきた日本料理なのだと。


中国は広く、いろいろな文化的背景をもつ人々が暮らしている。ラーメンひとつとっても、さまざまな味があるだろう。上の話も、この留学生の個人的感想で、中国人全体がこう考えているわけではないだろう。だが、日本の中華料理は中国の中華料理より、油っこくなくさっぱりしているというのは当たりだろう。





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村



「犬と猫とどちらが好きですか」ー「こんな質問、意味がありません」

2023-04-04 22:00:00 | 日本語教育
インド人学習者と会話練習をしていたときのこと。

テキストに「犬と猫とどちらが好きですか」という質問があった。

それを聞いたインド人学習者のKさんが即座に言った。
「こんな質問、意味がありません」

何を言われているのかさっぱりわからず、「どうしてですか」と聞いた。
「インドでは、猫は嫌われているので、犬よりも猫の方が好きな人はほとんどいないからです」との答え。
「猫は、特に黒い猫は魔女の使いと考えられているから」だとのこと。

ネットで調べてみると、猫が嫌われている理由として、
1.15-18世紀、ヨーロッパで魔女裁判が頻発したが、猫は夜行性で夜活動する、夜怪しく光る猫の目が不気味などの理由で、猫が魔女と結び付けられて、魔女の使いとされた。

2.仏教がインドで起こったが、お釈迦様がキノコを食べて中毒になり、ねずみに薬を持って来させようとしたが、そのねずみを猫が食べてしまって、お釈迦様が亡くなった。

3.ヒンドゥー教では、ねずみが神聖な生き物とされていて、神様の一人、ガネーシャの乗り物とされている。それを食べる猫は嫌われる。
などがあげられている。

オンラインで教えているある学習者は、
「インド人は、損得勘定なしでペットを飼うことは、普通、しません。何かに役立つ家畜として、動物を飼うことはあります。外でよく見かける犬や牛は、実は誰かが放し飼いをしている家畜のことが多いです。牛はミルクを出してくれますし。。。」と話してくれた。
犬はペットとしてでなかったら、何の役に立つのかと聞いたら、「インドの一部では、犬肉を食べることもありますし。。。」とのこと。1960年に出された動物虐待防止法では犬食が禁止されているそうだが。

ただ、インドにも猫が好きだと言う人はいる。ごく少数派なのかもしれないが。
その人は、「私は猫は飼いません」と言った。「7、8年飼っていた愛猫が最近死んでしまいました。悲しくて、悲しくて、もう猫は飼えません」と。激しいペットロスから立ち直れないでいたようだ。

インドデカン高原の小都市に住んでいた時、サルが痴話げんか?をして、負けたらしい方が我がアパートのベランダに飛び降りて逃げ込んできたことが数回あった。サルも誰かが放し飼いにしていたのだろうか。

犬と猫の話から大分離れてしまったが、インド人で「ナガさん」という名前の女性がいた。
名前の由来を聞くと、「蛇神」を意味するとのこと。日本的な感覚からびっくりしてしまったが、インドでは蛇は神様だ考えられているという。
彼女が日本の会社でITエンジニアとして働いていたとき、日本人の同僚に名前の意味を聞かれて'Snake'だと答えたところ、驚かれて、その後「ナガ」さんと呼ばれなくなったと苦笑しながら話してくれた。

ところ変われば、動物に対する考えも変わる。

うかつに、「犬と猫のどちらが好きですか」などと聞くわけにはいかなくなった。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村

〇(まる)――日本では「正解」、インドでは「ゼロ・零点」

2023-03-28 22:00:00 | 日本語教育
インド、デカン高原の古都市で企業内日本語教師をしていた時のこと。

宿題チェックや小テスト、週末テストなどで、学習者の答案の採点をすることがよくあった。
赴任して間もないころ、初めて採点した試験用紙を返したとき、なんだかよくわからなかったが、教室内に異様な雰囲気がさっと流れたような気がした。だが、何のことかわからなかったし、限られた授業時間で、JLPTのN5、N4に合格させることが至上命令で、とにかくテキストを進めなければならなかったので、すぐに授業を始めた。

そのまま数週間がすぎたころ、確か週末テストを返したときだったと思うが、一人の学習者が英語で、「これは'Correct'なんだ。'Zero'じゃないんだ」とつぶやくのが耳に入った。

鈍い私は、やっと気が付いた。インドでは、「〇」(まる)は、「ゼロ」(零点)を表していたのだ。
日本語を習い始めたばかりのころは、少ない語彙を使って、易しい文法を学ぶ、だから確認テストの問題も易しく、正解が多い。つまり、日本人の私が採点するので、「〇」(まる)が多いことになる。ほとんど全員がよくできているので、答案返却後答え合わせをすることもなかった。

だが、この答案用紙を返されたインド人の学習者にとっては、ほとんど「〇」(零点)ばかりの自分の答案を見て、絶句。普段なら、わからないことがあったら、すぐ口に出して質問してくるインダス文明の末裔たちも、零点に近い答案を見たら何も言えなくなったらしい。正しい答えを教えてくれと言い出す、勇気ある人も一人もいなかった。

だから、私も、採点に使う記号が日本とインドでは違っていることに、かなり長い間気が付かなかった。

インドでは、採点にどんな記号を使うか、聞いたところ、
    正解 ー レ(レ点)     不正解 ー ×、 または 〇

日本ではどうかというと、
    正解 ー 〇         不正解 ー ×、 または レ(レ点) 


つまり、
「〇」 と 「レ」 は、日本とインドでは全く逆の意味、「×」だけは日印で同じ意味というわけだ。

国や文化が違えばいろいろなことが違うことは承知していたのだが、教師にとってごくごく日常的な「〇つけ」がこんな問題を生むとは思いもしなかった。インドに行ったら、「〇つけ」ではなく「レ点つけ」というべきなのか。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村

「しゅじん」 と 「しゅうじん」、結婚したら同じ意味です!!! 

2023-03-21 14:37:21 | 日本語教育
日本語学習者にとって、日本語の短母音と長母音の区別は案外難しいようだ。

きのうの晩、友だちとビルを飲みました。  ビル:ビールのつもり
地図を食べながら、ワインを飲みました。  地図:チーズのつもり
               などと言ったり、書いたりする。

「しゅじん」としゅうじん」の違いを聞き取ることも苦手だ。
インドで企業内日本語教師をしていたときのこと。
ディクテーションで、
「主人はきのう9時に帰りました」と読み上げた。
ひとりの学習者が、
「しゅうじんは きのう くじに かえりました。」と書いて提出してきた。まだ漢字はあまり習っておらず、ディクテーションではひらがなとカタカナで書けばいいことにしてあった。

その学習者を呼んで、
「『主人・しゅじん』はhusband、『囚人・しゅうじん』はprizonerという意味よ。」と言うと、

彼は、即座に、「『しゅじん』と『しゅうじん』は、結婚したら同じ意味です。」と言ってきた。
あまりにあざやかな反応に、何も言えず完敗。

彼はその時27,8歳だったと思う。
とても若かったが、すでに7歳の長男がいるという。
20歳ぐらいのとき、彼のおじいさんが余命いくばくもないと宣告されていて、家族で話し合って、おじいさんにひ孫の顔を見せてあげようと彼の結婚を早め、結婚後すぐに子どもを産んだのだという。
さらに、その時彼の奥さんは妊娠中でもうすぐ第2子が生まれる予定だった。

実は、この時、彼は上司から日本へ転勤するように言われていたが、子どもが生まれるまで待ってほしいと頼んでいたところだったそうだ。

彼は、どんな主人=囚人生活を送っていたのだろうと、思わず顔を眺めた。

その後第2子が生まれ、日本に赴任できる状況になったときには、会社はすでにほかの人を日本へ送っていたのだった!





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村


男装は女がして、女装は男がするのよ!!!

2023-03-15 00:00:00 | 日本語教育
2015年の5月ごろだったか、6月末には大学との契約が切れて帰国することになっていた。もう中国にくることもないかもしれないと感傷的になって、町を歩いてみた。

すると、あちこちに、「女装」店、「男装」店が開いている。店の前にも中にも服を並べて、表通りに堂々と開いている。私は仰天した。ほぼ十年前だ。LGBTが当たり前に語られる今日ではない。日本より中国の方がまだ保守的に思えたころのことだ。

中国は、思いがけない分野で、進んでいるのかと、いぶかしく思っていた。

だが、何のことはない。中国語で「女装」とは、女性の衣類、つまり「婦人服」「レディズ ウエア」、「男装」とは、男性の衣類、つまり「紳士服」「メンズ ウエア」のことだった。子供服は「童装」というわけだ。


最近、中国からの女子留学生に、日本では「女装」は男性がするもので、「男装」は女性がするものだと言ったら、何のことだか分らなかったらしく面食らっていた。それで、中国語と日本語で、「女装」「男装」の意味が違うことを説明して、帰国前に洋服が買いたいからといって、日本人の友だちに「いい『女装』の店に連れて行って」と頼まない方がいいと伝えておいた。

中国語と日本語、どちらも漢字を使うので、お互いもう一方の言葉を学ぶのは楽な面がある。だが、同じ漢字を使ったことばでも、両国で意味が違っていることがあるので、要注意!













ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村




出席番号は入学試験の成績の順位!!!

2023-03-08 00:00:00 | 日本語教育
思い出すに、中国の大学で教え始めたころ、ある時クラスの出席簿を見て疑問になった。

「陳」という学生が3人いるクラスなら、この3人の出席番号は並んでいるはずだ。7番、8番、9番などというように。ところが、実際は、一人は5番、二人目は16番、三人目は21番だったりする。
これはどうしてなのかと学生たちに聞いてみた。

答えは、
「出席番号は、大学に入ったときの入学試験の成績順に付けられているのです。その番号は、卒業するまで変わりません。」

私は、げえっと思った。私が中国の大学で教えていたのはかれこれ10年近く前のこと。ムカシのことで社会の中で個人情報を守るという意識は希薄だっただろうと言っても、日本では考えられないことだった。
出席簿という、先生がた、学生たちの間で公開されているものに、極秘事項であるはずの入学試験の成績順位が使われてる!!!!!
しかも、4年間ずっと使われる!!!!!

「高校まであまり勉強しなくて、入試でもいい成績が取れなかったが、これから心機一転、やり直そう」と心に決めて学生生活を始めた学生が、背番号のように下位の出席番号を背中に貼り付けられながら、それでも頑張り続けるのは大変だろう。

学生という人間を、学習成績というただひとつの基準で評価しようとしている?

この「成績順位=出席番号」方式は、小学校から今まで続いているのかと聞いてみると、概ねそうだとの答え。ただ、小学校1年生は、入学時の成績が分からないので、出席番号=身長順にするところが多いとのこと。

学生に聞いてみると、
1.「私たち、ずっと小学生のときからそうだったので、今はもう気にもしなくなっていますから、大丈夫です。」
2.「入学時の成績と、入学後の成績は相関関係はあまりありませんから、平気です。」こう答えた学生は、出席番号は下位だったが、当時の成績はトップクラスだった。そういえば、私がいた大学では、成績が出るたびに、1番からびりまで、成績順に氏名・点数が張り出されていた。

日本でも教えたことがある中国人の先生は、
「このやり方はまずいという意見が中国人教師の間でもでている。私自身も学生が痛々しいと感じることがある。」とおっしゃっていた。

中国では、学生時代の学業成績が非常に重要視され、卒業後の人生を大きく左右するようだった。
私自身は、出席番号は小学校から高校まではあいうえお順、大学はアルファベット順だった。問題と言えば問題なのが、どちらにしても、まず男子を並べて、次に女子を並べるという方式で、「男が先、女が後」方式だったこと。だが、現在では、男女関係なく、あいうえお順やアルファベット順なのではなかろうか。

現在の中国の学校では、名簿は何順で作られているのだろうか。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村

就職時ものを言うのは、部活動歴? 学業成績?

2023-03-01 00:00:00 | 日本語教育
これも中国からの留学生の話。この学生は中国の体育系大学から日本の体育大学へ留学している。もうすぐ卒業を控えている。

中国では、大学生の求人で企業側が最も重視するのは、在学中の学業成績。だから、大学生は少しでもいい成績を取ろうと必死で勉強する。日本では、特にスポーツ系の部活に入って4年間活動した学生は、有利になると聞いている。確かに、日本では部活に入ると、規律が厳しいし、練習もほとんど毎日のようにあるし、それを4年間耐え抜いたとあれば、心身共に強くなり、企業が欲しがる人間が出来上がる可能性も高いと思う。だから、日本では就職面接のとき、部活に入っていたかどうか、どんな活動をしていたかを必ずと言っていいほど聞かれるのだと思う。

だが、中国では、面接で部活の話が出ることは全くと言っていいほどない。
中国の大学での部活といったら、仲良しグループの趣味の活動の延長みたいなもので、仲間が顔を合わせるのも週1回とか2回とか。「今日は暇だから、やろうか」ぐらいな乗りで集まって活動するぐらいだ。

日本に来て、部活動が中国の場合とは全く違うことに驚いた。また、部活で活躍したかどうかが、就職に有利になったり、不利になったりするなどとは考えたこともなかった。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へにほんブログ村