恒動整体

患部に直接触れず「神経と血管を伝わり」痛みを消去する。
この手技を私たちは神経血管反射(区)療法と名付けました

小は大を兼ねる(動かせる)

2024-03-06 18:08:00 | 健康管理
こんばんは、体全体の筋肉を動かすのは、親指のある場所をなぞるだけで、全身を動かす事ができます。親指と言う小さな部品を動かして、大きな体全体を動かせるのです。
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超能力を使う

2024-01-11 02:32:00 | 健康管理
人間には、超能力を使える事がわかっている。
普通の能力は脳の15%しか使ってないと言う事が証明されている。
脳波では、β波だけが出ているようだ。
ここで確認したのですが、
脳波は、4種類あります。
①『アルファ波』は、
座禅、瞑想、浅い睡眠状態を言います。
②『シータ波』は、まどろみ状態で、
目覚まし時計を消してまたちょっと寝る時の
ような状態だそうです。
③『デルタ波』は一番深い…熟睡状態で、
脳を全く使わない状態の事を指すそうです。
このデルタ波は、身や心をきれいにする(洗剤だけに綺麗にする)と顕れてくる意識だそうです。
     超能力  〓  潜在能力(洗剤能力に繋がるダジャレ)
を使いこなすには、この一番深い15%の意識のデルタ波を使えるようになる事だそうです。
このデルタ波の領域に入るためには、どうするのかはタダでは教えられませんょ〜なんちゃって。
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神様はどんちゃん騒ぎをするとみてくれるみたいだ!

2024-01-08 21:03:00 | 健康管理
古事記の中に弟、スサノウの乱暴ぶりに嫌気がさした、天照が岩戸に隠れた。
次第に世の中が光がなくなり、真っ暗になり、人々は天照に岩戸から出てくれるように懇願し、農作物もこれでは成長できないし、人類も滅んでしまう、どうか出てきて頂きたいと何百人もの人達がお願いしてもどうしても出てきてくれなかった。
そこで、困り果てた八百万の神々は相談して、岩屋でどんちゃん騒ぎをすることとした。天のウズメも協力してそれは楽しげに飲めや歌えの大騒ぎをした。
天照は私がいないにも関わらず、なんであんなに楽しそうに騒いでいるのか気掛かりになり、天の岩戸をほんの少し開けた。そこに天野の手力の命が天照を外に出して太陽がもどった。(多少違うかも知れません)
と言うことは、天照🟰神様は、人がいくらお願いしても希望を聞いていただけないが、どんちゃん騒ぎに興味がある。ですから、神様を呼ぶためには、どんちゃん騒ぎをするのが一番いいみたいですよ。だから、お正月は、親類(矢を萬の神々)でどんちゃん騒ぎをするのがいいんです。

今日も日本人に生まれてよかった〜
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身体の痛み

2024-01-02 21:33:00 | 健康管理
皆様、あけましておめでとうございます。
今年も神社に行って全てが思うようにならせていただいてありがとうございました。と新年のお礼をさせていただきました。皆様は、どんなお礼をされましたか?
さて、うちのお客さんで、肩か痛い、腰が痛い、膝が痛いと、痛む箇所を言っている方がいます。まあ皆様そうなのでうちに来るのですが、痛いと感じているのは、本当に肩?腰?膝?なのですか?と聞くと、何先生言ってんのぉ?当たり前じゃん‼️と言う方がほとんどです。
では、といって、私の両掌でそっと挟み込んで10秒程じっとして、「痛い箇所を動かしてみて痛みを感じてみてくれる?」とやってみます。皆さん「あれ?痛くない!なんで?」と言います。私は、「だって、痛いと思っていただけで、本当は痛くなかったんですよ。」とお答えします。これと同じことが、幸、不幸は、自分が思っているだけで、本当は、幸、不幸の現象は無いのです。思う気持ちがあるだけなんです。
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3つの知

2023-12-20 20:25:00 | 健康管理
人は、「3つの知」がそろって、はじめて尊敬されるようになるようです。
「3つの知」とは
①「知識」
②「知恵」
③ 「知性」
です。
ひとつ目の知は、「知識」。「知識なんかいらない」「知識は邪魔だ」と言う人もいま
すが、人間には、最低限の「知識」が必要です。
2つ目の知は、「知恵」。私が考える「知恵」とは、「知識」をいかに日常生活に埋
め込むか、実践するか、ということです。 
「知っている」ことを「実践する」ことが「知恵」です。
たとえば、「一期一会」という言葉は、「一生涯でこの人と会うときは、この一度だけと思いなさい。生涯で最後かもしれない。だから、その人を大事にしなさい」という教えですが、それを知っていることは、「知識」です。「目の前の人を大事にし、大切に扱う」ことを実践して、はじめて「知恵」になります。
たくさんのことを勉強し、 知ってはいても、実践しない人がいます。一方で、何も知らないけれど、笑顔で「実践」している人がいます。どちらが「実践者」でしょうか?
勉強をして「知識」を身に付けるのは楽しいことです。けれど、どんなにすごいことを知っていても、 「実践」していなければ、「知らない」のと同じではないでしょう
仕事も順調で、人間関係も良好。 健康にも問題がないとき、 ニコニコすることは誰
にでもできます。
しかし、仕事も家庭もトラブル続きで、家族とも同僚ともケンカばかりしている、
体調も悪い、そんなときにニコニコしていられるかどうかが、まさに「実践」なので
「知識」を持ち、それを実践して「知恵」にすれば、それなりに賞賛されたり、評価
されたりするでしょう。ですが、「尊敬」されたり、「敬愛」されることにはなりませ
ん。
「「尊敬」や「敬愛」を集めるには、3つ目の知である、「知性」が必要です。
「知性」とは、わかりやすく言うと、「謙虚さ」のこと。どれほど賞賛され、どれほ
ど評価されても、決して威張らない、自惚れない、慢心しないことです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 ということわざがあります。 「人間も、学問や
徳が深まるにつれ謙虚になる」というたとえです。
社会的な地位や評価、身分、経済的優位性を身に付けると、人は自分を見失い、「謙
虚さ」を保つのが難しくなります。
=
認められれば認められるほど、頭を垂れる。 これが私の考える「知性」 「謙虚さ」
です。「知識」と「知恵」に加えて「知性」を持つ人は、多くの人に尊敬されること
でしょう。
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