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現在サン・マルコ美術館として公開されています。


ドメニコ会修道院と付属の礼拝堂として1437年コジモ・デ・メディチの依頼でメディチ・リッカルディ宮と同じミケロッツォ設計で再建、5年後完成しました。白漆喰で塗られた壁にフラ・アンジェリコとその助手が装飾しました。

 

コジモは建築物を多く建て、ロレンツォ豪華王は美術品が多いですね。ロレンツォの時代にはメディチ家の財政は苦しくドナテッロの彫刻の代金も未納だったと学びました。

 

1階部分は司教座聖堂賛辞会議室、食堂、客人宿泊室、2階は小さな個室の僧房がならんでいます。ここでフラ・アンジェリコとジロラモ・サヴォナローラが暮らしました。

地球の歩き方に詳しい見取り図があってわかりやすいです。左が教会、右が修道院。

手前のサン・マルコ広場とイタリア初代陸軍大臣マンフレード・ファンティの記念碑

サン・マルコ教会のファサード。

ファサード横の小さな扉が修道院入口。3泊を2泊に変更したかったので時間がなく教会は見学しませんでした。ウフィッツィ美術館もそうですが全体的にとばして見学しています。

 

聖アントニーノの中庭と回廊

 

巡礼者宿泊所

当時修道院は巡礼の旅をする人々の宿泊所となっていました。高貴な方は客室にこちらは一般の方用でした。現在はフラ・アンジェリコの展示室となっています。

 

フラ・アンジェリコ「キリスト降架」1431-1432年

フラ・アンジェリコ「リナイウオ-リの祭壇画、玉座の聖母子」

フラ・アンジェリコ「リナイウオ-リの祭壇画、玉座の聖母子、洗礼者ヨハネと聖マルコ」1433年

裾絵は聖マルコの前での聖ペテロの説教、東方三博士の礼拝、聖マルコの殉教

聖マルコ

洗礼者ヨハネ

ザノビ・ストロッツィ「玉座の聖母子と四天使」1433-1436年

大食堂のジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ「天使に奉仕される聖ドメニコと修道士たち」

参事会の間のフラ・アンジェリコ「キリスト磔刑と聖人たち」

サンタントニーノの回廊のフラ・アンジェリコ「磔刑のキリストと礼拝する聖ドメニコ」1442年

 

2階の個室僧房のある廊下。天井は1つで壁は途中までしかなく上が仕切られていません。壁は白漆喰で塗られています。

フラ・アンジェリコ「受胎告知」1442年

階段を登り切ったところにあります。

ここの聖アントニーノの中庭に聖母がいるように思います。聖母の服装が質素で日常的で現実的なところにカラフルな羽根をもつガブリエルが降り立ち現実と夢が混ざり合う幻想的な雰囲気です。新しい時代の到来を告げる3要素(アンジェリコ独特の光に満ちた表現、当時のフィレンツェの建築様式の導入、厳格な空間配置と透視図法)が集約しています。

 

フラアンジェリコ「我に触るな」1438-1443年

第三僧房

フラ・アンジェリコ「受胎告知」1438-1443年

個人的な瞑想用。この修道院で繰り返し描かれている受胎告知が簡略化されてより精神性が鮮明になってガブリエルと聖母の無言の対話が効果的に描かれています。ドメニコ会で最初の殉教者ヴェローナの聖ペテロが受胎告知を目撃していますがルネッサンスの貴族が寄進者として描かれるよりも控えめだなと思いました。

 

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