つたない中国駐在おばちゃんブログにご訪問くださりありがとうございますニコニコ

おかげさまで日々励みになっていて心から感謝していますラブラブドキドキラブラブ

 

 

故宮博物院(紫禁城)は1日8万人の入場制限があります。チケットは予約して行きました。

 

故宮博物院公式

https://www.dpm.org.cn/Home.html/

 

在銭予約打票を押しと予約ページに飛びます。

10日前から予約できます。

 

 

 

 

午前か午後を選択できます。

 

地球の歩き方によると中国在住じゃないと予約はできなくて、旅行社を通したり、検索したら代行予約もあるようです。

 

 

地下鉄駅降りたらすぐ身分証チェックと荷物検査があり、天安門手前でまたセキュリティチェックと身分証チェック。

 

 

チケット売り場に並ばずと言っても入場口で並びますが、予約してると言ってパスポートを見せて通りました。

 

 

天安門

 

柵だらけで軍人さんがいっぱい。セキュリティが非常に厳しいです。

 
元々の紫禁城の外城壁南端にある正門。平安京に当てはめると朱雀門。
 
高さ12mの城壁(紅墻)の上に2層の楼閣。
皇帝の即位や崩御、詔書の発布などここから発表されました。
 
1949年毛沢東がこの楼閣から中華人民共和国を宣言したので中華人民共和国にとっても意味のある場所です。
 
風水でよいとされる南に水路があるので、掘られた人造の小川がありそこに白玉石の外金水橋がかかっています。
 
中央が皇帝専用、両側が皇族、さらに外側は官吏用です。今回中央は通れませんでした。
 
中国に影響を受けた国でも「天子南面に座す」(南に向かって座る)という言葉通り南に入口がありそちらを向いて座るようになっています。
 
中央を最上級とするため皇帝の公的な儀式を殿舎と起居する殿舎は南北の中心線上にありました。
 
利便性から擁正帝以降は皇帝の寝室は西の養心殿に移りました。
 
 
朝鮮王宮では丹青タンチョンと呼ばれる陰陽五行の五色を用いカラフルな彩色。中国ではどう呼ぶのか知りません。
image
 
端門
天安門と午門の間の門
 
 
午門
 
午門手前でチケットチェック。パスポート見せてチェックされて通れました。
 
午門から保和殿までが外朝と呼ばれ行事や儀式が行われました。
太和殿、中和殿、保和殿を前三殿といいます。
image
紫禁城内城壁正門。現在故宮正門。
 
門としては最上級の闕門形式。コの字型で東西に楼閣を構えで中央は九間の正楼。
 
屋根も皇帝のみ許される黄色(金色を模した色、天皇の黄櫨染御袍もこの色)の瑠璃瓦、蘇州産。
 
 
この手前左右にオーディオガイドの貸し出しがあります。中国語20元、日本語含む外国語40元(670円)現金のみでした。
デポジット不要で門を出るとアラームが鳴る仕組のようです。その殿舎や門に行くと自動的に再生されます。
 
内禁水橋
午門と太和門との間の外堀のような水路金水川にかかる橋
 
 
太和門
 
九間で3段の階段。中央の雲海と五本爪の龍の彫刻の上を皇帝が輿に乗ったまま上がりました。
 
五本爪は皇帝の象徴で皇族が4本、外藩、朝貢国の王は3本でした。その時の力関係によって変わることはありました。
 
東西に一対の銅製の獅子像、銅獅。
明の時代には「御門聴政」臣下が門の前庭に並び臣下の上奏、皇帝の詔勅が行われました。
清の時代には乾清門に変わりました。
 
太和殿
 
この壮大さには何度来ても圧倒されます。さすが中華の中心。
三層の白大理石の台基の上にあります。11間幅60m。
 
この11間は重要な数字で皇帝の主な殿閣でのみと決まっていて、
皇族邸、明や清の朝貢国の王宮の門は九間以下と規定されて、必然的にこれ以上大きな建物を作ることができません。
 
3段の基台も中国の皇宮のみ許されました。
 
映画「ラストエンペラー」の壮大な即位式のシーンを思い出しました。
 
この広大な前庭に文武百官が並び、
皇帝の即位、大婚(皇帝が皇后になる人と結婚すること)、皇后冊立(即位前の福晋、即位後の側室を皇后に冊立すること)、詔の発布、朝賀などの重要な儀礼や祭典が行われました。
 
 
屋根の隅に走獣(仙人神獣)がいます。鳳の乗った仙人と龍、鳳凰、獅子、天馬、海馬などの11個の神獣が並びます。
 
これも殿舎の格を示すもので、皇族、外藩や朝貢国の王宮ではそれ以下の数で並びました。
紫禁城内でも建物の格により数が変わります。
 
3段の段基の上は月台(丹陛)
日時計、度量衡があり皇帝が時間と単位を決める権限を持っていることの象徴で、
銅亀、銅鶴は皇帝の長寿と王朝の永遠を祈るのものです。
 
殿額が漢字だけなのは袁世凱が皇帝として即位した際に変えました。内廷には漢字と満州字が並びます。
 
 
建物の手前に柵があって近づけませんでした。
 
写っていませんが天井は彩色の格子天井で中央の玉座の上に玉状の鏡(軒轅鏡)をくわえた龍(蟠龍戯珠)がいます。
 
天命を受けていない、もしくは徳のない者が座ると玉が落下すると言われており、1916年袁世凱が皇帝として即位式を行った際、落下を恐れて玉座が移動させました。
 
ここでの即位式で2歳の宣統帝溥儀が泣き出し、横にいた父酵親王載灃が「もうすぐ終わるから」とあやしたら本当に4年後辛亥革命で退位してしまいました。
 
 中和殿
皇帝が太和殿で儀式を行う際に休息した場所。重要な行事に使うものを皇帝自らチェックしたりもしました。
前三殿で1番小さい殿舎。
 
太和殿、中和殿、保和殿は同じ台基の上にのっています。
 
 
 
「允執厥中」の扁額と両側の縦の対聯は乾隆帝宸筆。皇帝の色黄色の玉座がまぶしいです。
 
 
保和殿
 
皇帝が太和殿での儀式の際に礼服に着替えをした場所。清の時代にはモンゴル、外藩や王侯との宴会もここで行われました。
成人前の順治帝と康熙帝が寝殿にしてあったそうです。
 
ここで着替えて中和殿で休んでさらに移動とは面倒だと思う庶民。
 
科挙の最終試験、それまでの試験で進士に登用された6人順位をつけるために皇帝臨席で殿試が行われました。首席を状元、次席を傍眼と呼び将来を嘱望されたそうです。
 
 
 

 
 
保和殿の後ろの階段
皇帝は内廷から出てきてこの階段を輿でのぼり保和殿に入りました。
 
こちらも中央は皇帝が輿に乗ったまま上がる階段で、一枚岩の山と海の上に雲海と龍の彫刻「大石雕」があります。
ここの大石雕が故宮で一番大きく高さ約17mです。乾隆帝が明時代のものから新しく作り直したのが現在あるものです。
 
読んでくださりありがとうございました爆笑
楽しい週末をお過ごしくださいねドキドキドキドキドキドキ