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7日目は朝一でサンピエトロ大聖堂へ。

 

6時に起きて朝食を食べずにホテルからタクシーでサン・ピエトロ大聖堂へ。サンピエトロ広場は車が入れないので北側で下車。

入場待ちの列を避けたくて6時45分に到着すると修道女や聖職者の服を着た方々が入っていかれていました。

大聖堂は向かって右の北側の柱廊に入場するためのセキュリティチェックをする場所があります。左の南側は出口専用。

ここから入ります。7時前は誰も並んでいませんでした。オーディオガイドは聖堂に入る手前のガラス扉の奥で借りられますが8:30からとのことで借りられませんでした。

 サン・ピエトロ広場は楕円形に見えますが、円の中心がもう1つの円周上にある2つの円で設計されています。

2つの円の中心にあるプレートに乗って柱廊を見ると4本の柱が重なって見えます。この中心の地点から放射線状に柱があります。

映画「天使と悪魔」に出てくる風の方向を示すプレートを撮影したつもりでしたが、映画のは南西の風でこれは東南東でした。

オベリスクも「天使と悪魔」に出てきます。

聖堂はミケランジェロのギリシャ十字プランでドームが完成してから途中でマデルノのラテン十字プランに変わって縦長になり正面からドームが少ししか見えません。

手前にスイス人衛兵がいます。派手派手なミケランジェロがデザインしたユニホームを楽しみにしていましたが1月はコート着ていました。

衛兵はスイス国籍のカトリック教徒、19歳から30歳、未婚、道徳的倫理的に欠陥がない身長174cm以上でスイスの軍隊で訓練を受けたものから選抜された100名で編成されるそうです。1506年ユリウス2世がスイスから兵士を雇い入れたのにはじまるそうです。

 

教皇宮殿と聖堂をつなぐスカラレジアもベルニーニ作

入れません。

 

高くて広くて荘厳で固まってしまいました。

どんなお城の大広間よりも大きくて豪華で荘厳で圧倒されました。教会は好きじゃないってなんで思ってたんだろうと反省しました。

巨大な水盤と天使

ベルニーニのバルダッキーノ

こんな天蓋見たことない。

バルダッキーノの下は教皇聖下だけがミサを行える教皇の祭壇です。さすが1億人の信徒をもつ教会の長です。

 

カテドラペトリ(ペテロの司教座)

こちらもベルニーニの傑作ですが後陣に一歩も入れず近づけませんでした。右の壁龕にあるベルニーニ作ウルバヌス8世の墓碑も楽しみにしていたのに見えず。

聖ペテロ像

こちらも予習していた本では信徒の方々が足をさわるので光っているとのことでしたが近寄れず。

ミケランジェロのクーポラ

ミケランジェロのピエタ

 

あちこちの側廊の礼拝堂でミサが行われていて見学できない場所も多々ありましたが現役ならではです。

聖職者の方がたくさんおられました。

告解室があり、後日来た時にには跪いて話しておられる方がいました。

ベルニーニの聖ロンギヌス

磔刑のイエスの死を確認するためイエスの脇腹をついた槍。エヴァンゲリオンにもその名が登場しています。

ベルニーニは感情表現が大げさすぎて好きじゃないと思っていましたが、改悛するロンギヌスが迫りくるような迫力です。この場にはぴったりです。

 

 聖堂の向かって右の聖堂の外にクーポラののぼるエレベーターと切符売り場があります。エレベーターでのぼるとテラスに出ます。クーポラは8時からです。他に誰もいなくてゆっくりできました。

テラスからミケランジェロのクーポラに入ります。

300段ほどの階段があります。

狭い。

バルダッキーノを真上から聖堂を望むことができました。

円屋根の内側にある階段なのでだんだん斜めむいてきました。

展望台にでるとローマ市街を一望できます。映画「ローマの休日」の冒頭タイトルバックにこの景色が映っています。

行政庁を見下ろして。手前の芝生は現在の教皇の紋章に刈られているそうです。

帰りも狭い螺旋階段を下りて、

狭い通路を下ります。

聖堂ファサードの上の彫刻。ペテロを除く11人の使徒とキリストと洗礼者ヨハネの像。近くで見るとその大きさに驚きました。

下りは聖堂内に出るので8時にきてクーポラ→聖堂の順がよいかもしれません。

 

再びサン・ピエトロ広場。ベルニーニは第三の柱廊を作って広場を閉じるつもりでしたが最後まで完成しませんでした。聖堂でてすぐブックショップがあります。聖書や宗教の本とともに大聖堂のガイドブックもありました。

コンチリアツィオーネ通り(和解通り)は1929年ピウス11世がムッソリーニとラテラン条約を結び現在のヴァチカン市国が誕生したのを機に整備された道です。その際5000人が退去させられたそうです。

サヴォイア家がイタリアを統一し教皇領を没収してから5代60年間教皇はあらゆる和解を拒否しヴァチカンを一歩も出ませんでしたが、この時からラテラン宮殿といくつかの大聖堂、郊外の離宮の治外法権を得ています。

通りには聖職者の形の服や礼拝用品、教皇聖下やイケメン聖職者さんのカレンダーが売られていました。

やっとマクドナルドで朝食 タッチパネル注文でした。エッグマックマフィンセット4.5€(540円)イタリアでは朝食セットにハッシュポテトではなくて果物のジュースなのかな?

サンタンジェロ城

この日は外観だけ見て後日中を見学しました。「天使と悪魔」ではイルミナティの隠れ家です。

内部を見学していてみつけたヴァチカン宮殿とサンタンジェロ城を結ぶ通路

ローマの休日ロケ地でアン王女がパーティーに参加したテヴェレ川の川べり。

帝政時代にはここで処刑が行われたそうです。

サンタンジェロ城手前サンタンジェロ橋

ハドリアヌス帝によってかけられた橋で1669年クレメンス9世の命でベルニーニが巡礼路として装飾した橋です。この日たどった順路は巡礼とは逆で、本来はサンタンジェロ橋→サン・ピエトロ広場→サン・ピエトロ大聖堂でした。

 

ヴィア・クルシス(受難の道)とも呼ばれています。

十体の天使がキリスト受難の印をそれぞれ手にしています。現在あるのはコピーでサンタンドレア・デッレ・フラーテ教会に実物があります。

ベルニーニ作はこちらの茨の冠をもつのと「INRI」と書かれた紙をもつ天使です。他のはベルニーニの弟子たち作です。

 

天使の髪がなびいて風が吹いているような気さえします。

ベロニカの布

聖衣とさいころ

杭につけれらたイエスの衣を兵士たちがさいころで分けて売ったとされています。

十字架に張り付けるために手足に打たれた釘

十字架

杭を打つためのハンマー

キリストの脇腹を刺したロンギヌスの槍

天使の他にもロレンゼット作ペテロの像

同じくパウロ像

 

サンタンジェロ橋をローマ側に渡ったところのバス停から移動しました。路線バスに乗り40分。

 

ローマの城壁外ヴのィッラ・トルロニア内カシーノ・ノビレへ。

19世紀に建てられた貴族の館でムッソリーニがただ同然で借りて住んでいた家です。

ムッソリーニの寝室

意外に小さくて質素だなと思いました。

 

朝から歩き続けでくたくたで見る気がおきず。さっと見てホテルに戻りました。

 

近所のカフェテリアに入りましたが、魚と野菜というと勝手に3種盛りになりました。15€(1800円)。

魚は臭かったのですがもったいなくて数口食べました。ホテルに帰ってから気分が悪くなり吐きました。

 

本が増えたので一度日本に送ろうとレパブリカ広場の郵便局に行きましたがテルミニ駅の郵便局へ行ってと言われ、テルミニ駅の郵便局に1時間以上並びましたが「ボックスは自分で用意してくれないと日本には送れない」と言われました。ちなみにボックスはありましたがEU内専用とのこと。

 

スーパーに行きましたが箱はなくてホテルのレセプションに相談してUPSという業者さんと連絡を取ってくれてチェックアウト前日にまとめてとりにきてくれるとのことで解決しました。

 

 

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