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ルーベンス「イザベラ・ブラントの肖像」1626年

ルーベンスのミューズ2番目の奥様エレーヌ・フールマンよりも存在が薄いように思っていましたがルーベンスは彼女の肖像を何度も描いている最初の奥様でルーベンスの工房の運営を担った糟糠の妻。34歳の肖像画で直後にペストで亡くなってしまいました。ルーベンスは「この上なく良き伴侶でまさに善良、まさに正直でその徳性によって愛された」と回顧しています。ちょっとはにかんだでポーズをとる姿に夫婦の愛を感じます。ヴァンダイクの描く彼女の肖像によく似ています。

1705年ライン選帝侯ヨハン・ウィルヘルムから従兄のフェルディナンド・デ・メディチに贈られこの美術館に置かれました。

 

ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある肖像画は1609年ルーベンス32歳イザベラ18歳。お借りしました。

ルーベンス「自画像」1628年

頭部のみルーベンス筆ですが彼自身の数少ない希少な自画像です。レオポルド・メディチ枢機卿がルーベンスの肖像画をコレクションに加えたいと願ったものの交渉の途中で頓挫し、1713年になってようやくライン選帝侯ヨハン・ウィルヘルムから姑のコジモ3世(枢機卿の甥)に贈りおおいに感謝されました。見ることができませんでしたがもう一つヴァザーリの回廊にあるルーベンスの自画像はルーベンスの真作と認定されていないそうです。

 

ルーベンス「ユディトとホロフェルネス」1626-34年

 

アントニー・ヴァン・ダイク「武装した皇帝カール5世の騎馬像」1620年ごろ

1621年ヴァン・ダイクが22歳の時ジェノバに行く前に製作したと考えられていますがカール5世は過去の人でした。ルーベンスもカール5世の肖像を描いていますが1603年にマドリードで模写したヴェロネーゼの作品を基に描いているそうです。荒波の岸辺でスペイン王で神聖ローマ皇帝の頭上暗雲たちこめる中、月桂樹を咥えたハプスブルグ家の紋章鷲が咥えています。

 

アントニー・ヴァン・ダイク「オルレアン公爵夫人マルグリット・ドゥ・ロレーヌの肖像」1634年

ヴァン・ダイクの典型的な肖像画(個人的には量産型と呼んでいます)スタイルです。緞帳の前に貴婦人とポーズと呼ばれる斜め姿勢で立ち2輪の薔薇を持っています。ヴァンダイクが貴族たちの肖像画を描くためにブリュッセルを訪問した1634年に描かれ、マルグリットは夫ガストン・ドゥ・オルレアン(ルイ13世の弟)ともにフランスから逃亡して滞在していました。

 

レンブラント「若い男の肖像」1634年

サンクトぺテルブルクのガイドさんに「レンブラントは自画像がない」と聞きましたが、20年前のウフィツィ美術館の図録によると「レンブラントは全活動期を通じて常に自画像を好んで描いており・・・合計80点の版画絵画素描の自画像が確認されており」と書いてあります。今回行った時の作品名プレートには「若いころの自画像だと長い間考えられてきましたがトローニーというオランダで好まれた風俗画の形式の作品」なのだそうです。

ライン選帝侯ヨハン・ウィルヘルムからフィレンツェのジェリー二家に贈られ1716年にハプスブルグ=ロートリンゲン家のトスカーナ大公フェルディナンド3世によって買い上げられウフィッツィ美術館に加えられました。

 

レンブラント「自画像」1669年

 

レンブラント「ラビ、老人の肖像」1665年

 

ユストゥス・サステルマンス「ガリレオ・ガリレイの肖像」1635年ごろ

 

ユストゥス・サステルマンス「コジモ2世と公妃マリア・マッダレーナ・デ・アウストリア、息子フェルディナンド2世の肖像」1640年

 

ジョヴァンニ・ビリヴェルト「ルッジエーロから身を隠すアンジェリカ」1624年

 

オラツィオ・フィダーニ「休息するアンジェリカとメドーロ」1634年

 

カルロ・ドルチ「「アイノルフォ・デ・バルディの肖像」1632年

マルタ騎士でメディチ家のトスカーナ大公フェルディナンド2世の猟犬係長。

 

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