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メディチ・リッカルディ宮

1444年コジモ・ディ・メディチの依頼でミケロッツォが設計し1484年に完成しました。最初にフィリッポ・ブルネレスキが設計しましたが市民の反感を買うことを恐れたコジモは豪華すぎるこのプランを破棄しました。コジモの晩年1459年に家族(妻コンティッシアーナ、息子ピエロ夫婦と孫ロレンツォとジュリアーノ)で住み始め住居兼メディチ銀行本部としました。

1494年ひ孫ピエロ(ロレンツォ豪華王の長男)の代でサヴォナローラにより追放され建物と財産は共和国に接収され、中庭にあったドナテッロのダビデやユディトはシニョーリア広場に移設されました。1512年その子ロレンツォ(フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスの父)の代で帰還しまたここを本拠地としました。本家が途絶えた後ロレンツォ豪華王の甥教皇クレメンス7世の庶子アレッサンドロがメディチ家の当主となりますが暗殺され、傍流のコジモ1世が1569年にトスカーナ大公となり再び改修しました。1659年フランツェスコ2世がガブリエロ・リッカルディ侯爵に売却し、リッカルディは大改修し北翼を増築しました。1814年に州政府に売却され州のオフィースが置かれています。

粗削りの石造りの質素な外観はフィレンツェ式ルネッサンス建築のお手本となりました。

 

ミケロッツォの中庭

バッチョ・バンディネッリのオルフェウス像があります。かってドナテッロのダビデやユディトが置かれていました。アーチの上にメディチ家の丸薬(貨幣、分銅の説もあります)の紋章があります。ヴェッキオ宮のロッジアに似ています。

メディチ・ガーデン

ロレンツォ豪華王のローマ貴族出身の妻クラリーチェ・オリシーニがローマで購入した古代ローマ時代の彫刻を置き、若い芸術家たちを養いながら学ぶ場所として提供しました。その中にはミケランジェロもいました。当時サンマルコの庭とよばれていたそうです。現在の装飾は18世紀のものです。

 

マギ礼拝堂

2階に位置する家族用個人礼拝堂。狭いです。1459年にベノッツォ・ゴッツォーリがフレスコ画を完成させました。コジモが誘致しカトリック教会と東方正教会の和解したフィレンツェ公会議の成功を祝した作品で東方三賢人のベツレヘムへの行列をモチーフにメディチ家と公会議に出席した人々が描かれていますがモデルについては諸説あります。

東方三賢人はマギ、占星術者、博士などとの訳されることもあります。新聖書でイエスの誕生を知らせる星に導かれてベツレヘムへ行きヘロデ大王に「ユダヤ人の王として生まれた方はどこですか?」と問いイエスを発見したらヘロデに知らせる約束をします。さらに星に導かれて生まれたばかりのイエスのもとにたどり着き拝礼し乳香、没薬、黄金を贈りました。彼らは夢で神からのお告げを聞きヘロデに場所を知らせず去りました。

 

東の壁、若いマギ カスパール

先頭を行く白馬に乗ったマギの1人カスパールはロレンツォ・デ・メディチ。壮麗な行列を引き連れています。後ろの集団の先頭で馬に乗っている父ピエロ、祖父コジモ、ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ、リミニ領主シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ。その後ろの集団にサイン入りの帽子をかぶったベノッツォ・ゴッツォーリの自画像があります。

西の壁、老人のマギ メルキオール

一番後ろのマギの姿で描かれたコンスタンチノープル総主教ヨセフ2世。半分切れているのは、後に階段がつけるために切られたそうです。イエスがエルサレムに入場する際にロバに乗ったのと同じようにロバに乗っています。騎馬行列に先導されています。最近の研究では神聖ローマ皇帝ジギスムントではないかと言われています。前を行く白馬に乗っているルッカ公爵カストルッチョ・カストラカーニ。

 

南の壁 壮年のマギ バルタザール

壮年のマギの姿の東ローマ皇帝ヨハネス8世パレオロゴス。槍兵と小姓が護衛しています。左の端は小姓姿のロレンツォの姉妹ビアンカとルクレッチィア。

 

祭壇がはフィリッポ・リッピ「森の聖母」のコピー

実物はベルリンの絵画館にあります。マギの行列の行きつく先としてこの聖母子が置かれていました。

 

ルカ・ジョルダーノのギャラリー(鏡の間)

ルカ・ジョルダーノによる漆喰装飾と天井画。

メディチ家の栄光

 

 

 

シャルル8世の間

タペストリーの間

四季の間は州議会の議会室として使用されています。20年前に来た時は赤の間という部屋が議会室でした。

浅浮彫の間

続きます。

 

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