活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

純粋な働き1

2019年11月30日 | 法理

私は「因縁生」ということをよく申し上げていますが、一切全てのものは

因縁に因って生じて(出来て)おり、実体は有(在)りません。

 

これは決して人間(にんげん)が創造したものではありませんし、私たち衆生自身も

因縁に因って生じた(出来た)のです。

 

ものがどうして出来た(生じた)ということは誰も知(識)りません。

知らず識らずに生じた(出来た)のです。

 

「不知不識生(ふちふしきしょう)」なのです。

 

それほど実体の無いもの同士が世活している訳です。

ですから、誰が創ったものでもないし、何時何処で何のように生じた

(出来た)のか誰も分からないのです。

 

本当に中心のないものですから見たら見たものと一つ、聞いたら聞いたものと

一つに成れているということなのです。

 

隔てをつくるもの、区別をつけるものは何にも無いのです。


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