真の修行 2020年09月16日 | 法理 「自己を忘じる」その「一事(いちじ)」が無いと修行にはなりません。 それからが「真の修行」なのです。 自己を忘じてから初めて「無我の修行」が出来るというものです。 「真の仏道」を自分の足で進む、その事は自己を忘じてからの事です。 平等と差別(しゃべつ)と、ごっちゃになりやすいところですけれども「見性(けんしょう)した、身心脱落した」という事で「それで善し」というものではありません。 それから始めて「真の修行」が出来る訳です。 « 修行の課題2 | トップ | 修行の要領 »
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