活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

観念と事実3

2020年04月02日 | 法理

「観念」と「事実」が相対的に有(在)るということは「自分自身(自我意識)」が残っているということです。

自分が無くなってしまうと、たくさんの「法」が有(在)ったとしても「差別(しゃべつ)のまま全てが平等」なのです。

 

全てが「平等」なら「差別(しゃべつ)」というものが無くなって本当に「一切の物が無くなる」のです。

 

当然、「だったら無くなったということが分かるのではないか」という疑問が出て来ます。

 

ですから、それを分かるために貴方も「修行(坐禅)をしなさい」と、歴代の覚者はいうのです。

 

そうすれば「分からないことということも分からないままに頷けることが有(在)りますよ」といっているのです。


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