・暑い暑い毎日であった。・私の仕事はなすびの水遣りで池の水を土手を越えて運ぶのがえらかった。・学校は空襲に備え通うと危ないので近くの大きなお屋敷の門の軒を借りて、敵機が来たら竹藪へ逃げろと言われた。・学校の校舎は兵隊の兵舎に。・食べ物は麦とか芋ばかリ。・近くの軍需工場への艦載機の攻撃は恐ろしかった。・みんなで玉音放送を聴いたが何となく戦争は終わってやれやれと感じた。
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一般的な疎開は集団疎開ですので学校ごとにお寺などに集団で寄宿するのですがそれもまた大変なことでした、みんなシラミやノミを沸かしていて衛生状態は劣悪でした、2度と体験したくはないですね。