まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

秋山真之の人間教育論 2018

2020-11-18 00:19:17 | Weblog

 

 

よく平時と有事とあるが、有事の逆は無事だ。

戦争のない平和な時ともいえるが、毎日のように有事は到来する。いや衰えた人間が招来させているのかもしれない。

天災だった東日本の震災も、原発の惨劇は政府や企業の指導的エリートの対応力が問題になった。

大企業の東芝の有事対応も混迷している。あるいは政権当事者の便宜供与や数多の議員の金銭がらみの問題は国家的有事だが、自浄はおぼつかない。

有事は戦争だけではない。平時における「内なる賊の退治は難しい」と王陽明も説いた。ちなみに「外の賊を破るは易し」と。

法治国家の対応として官僚の腐敗は捜査二課(知能犯)と検察、しかし政府からの俸給担保と生活保障されている同じ公務員ゆえ、国民から見ても曖昧な決着が多いようだ。これらも総じて「賊」だ。期間中は頭を下げて失業対策選挙?に勤しむ議員も、当選後はお手盛り、便宜供与、口利き、猟官、はたまた不倫に公費乱用とやりたい放題。これらの賊は余程のことがないくらいにお縄にならない。よって選挙のみそぎなどといわれるが、これもおぼつかない有事だ。

ひるがえって、有事がいわれる自衛官諸士が、そのような数多の賊が跋扈する内(国内)の状態を観て、いくら『国民の生命財産を守る』と最高指揮官である為政者が唱えても、土壇場の有事に士気や覚悟が発揮できるのか、これも問題となる。

税金で維持していると国民は無関心だが、面前の隊員諸士は日々新たに激務に精励している。

平時に世の親は、『公務員は生活も安定している』と志願入隊を促したが、こと有事になると親はとのような態度で隊士らに接するのだろうか。

また階級組織の中で、いまだ立身出世のみを描くエリートがいないとは限らない。

讃えられる賢将の戦訓もあるが、土壇場では我先にと肉体的衝撃を忌避し逃げた高級軍人や官僚の歴史も数多ある。

それらの内なる賊によって組織は衰亡し国家は惨禍を誘引した歴史は、長い歴史からすればつい最近のことだ。

 

     

      旅順港を遠望する

 

 

以下は「肉体に浸透し自得すること」と題して、ある集団の精鋭に行った講話資料の秋山氏に関する抜粋です。

ここでは過去の歴史を回顧しての人物比較ではありますが、ときに無関心や遊惰ともいわれる生活の中で「心の賊」の払拭する意味で人物観を養う例題です。

また、当時の学びの本(もと)となることを知ることで、集団の中での人物のあり様を想起する手立てでもあります。、

 

 

教官から話を聞くことは啓発の端緒にはなっても、諸君の知識が増えることにはならない。

戦史を研究し、自分で考え、さらに考え直して得たことこそ諸君のものとなる。

たとえ読み取り方を間違っても、100回の講座を聞くより勝る。

 

 

≪真之の戦争不滅論講義≫

 

「生存競争は弱肉強食ある.そして奪い合い、報復する」

 

「戦争は好むべきものではないが、憎むべきではない」

 

「大国といえども戦いを好む国は危うい。平和といえど戦いを忘れた国は亡びる」

 

「戦争を嫌悪して人為的に根絶しようとして、かえってこれに倍する惨害に陥ることを悟らない国も、必要以上に武力を使って、手に入れたものより、失ったものが多い国も哀れむべきだ。」

 

そして、学生の書いた答えが自分の考えと違っていても、論理が通っていて、一説を為しているとすればそれ相当の高い点数を与えた。

もし教官が自分の思い通りでなければ高い点数を与えないというやり方をすれば、学生は教官に従うだけになって自分で考えなくなる。

その様では、いざ実戦で自分の考えで判断し、適切な処置をすることができなくなってしまう。

 

そして要諦は「天地人」と説く。

①  いかなる天候、いかなる機会、いかなる作戦

②  いかなる地点をとり、いかなる地点を与えてはならない。

➂ 人の和が重要。いかなる統率のもと、いかなる軍を配置し、いかにして将官の命令を徹底するか、これが人である。

 

 

母からの手紙と兄の名刺

もし後顧の憂いあり、足手まといの家族のために出征軍人として覚悟が鈍るようであれば、自分は自決する」

この手紙と母の写真、そして這回の役、一家全滅するとも恨みなしと書いた兄好古の名刺と一緒に軍装の内ベケットに入れた。

這回・・・この度

 

 

      

                    岩木山神社

 

以下は 筆者の応答コメント抜粋

 

・・・何を観るか、どこを見るか、そのいくすえは、感だけではなく、数多な情報だけではなく、結果事実への経緯を我が身に照らすことだと思います。

そしてその結果が僥倖だとしても誇ったり、増長したりしないことです。

  

       

 

・・・東郷元帥は戦勝後の参詣路では、うつむいて敗軍の将のようだったといいます。

また秋山好古は中央から離れ故郷で小学校の校長をしています。

弟はどこか神かかって、気がおかしくなったのかと噂されています。

児玉源太郎は国難払拭のために叡智をしぼり尽きたのか、すぐ亡くなっています。

それに引き換え、多くの将官は官位褒賞をねだり浮かれていました。

それが昭和二十年の在りようを考える本当の端緒です。

 戦争は好むものではないが、嫌うものであってはならないと秋山は諭します。

そして戦死した両国の若者や、戦地となった彼の地の人々、日本および日本人に問いかけたい事実、それが彼らの共通し希求した人の姿であり、異民族に普遍な人情でもあり、国の行く末を案ずる心だったのです。

 

      

 

・・・多くの先達(先覚者)が小生に聴かせ、魅せてくれた姿、それは容姿、像形、体形(系)の複合したものです。

決して人格と何らかかわりのない附属価値である、地位・名誉・学校歴・財の多寡ではありません。

あるのは不特定多数への貢献と安寧への願いでした。

また、それを元とした一期一会を思わせる真剣な言辞でした。

人物を観て、倣う、それが戦訓事績の学びの根底にあるものでしょう。

 

※一部イメージは関係サイトを転載しました

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