まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

教員の庇いと足の引っ張り 2013 あの頃

2019-12-01 23:03:45 | Weblog


正は一に止まると書く、美は羊が大きいと書く。だから親は正美と名づけをする。
名前をみれば親の見識が判るというが、見識の「識」は道理の如何だ。バラバラにすれば一止羊大だ。じつはこの章を書きはじめたら産経で一止氏の「教頭が・・・」というコラムが載った。偶然か、この一行を書きはじめたら朝刊が目に入った次第。
このようなペンネームも珍しいが、意味解きも簡易な名前も面白い。ただ、正美だと考えれば、よく唱える三連がある。「正しく、美しい」の先頭に「清く」がなくては正しくも、美しくもない。清一止(清正)の方が呼び方はともかく、教員くらいにはなじむ。

その「教頭が・・」だが、職場の愚痴は子供には関係ない。まして民間校長を入れると折角期待していた校長の椅子が狭き門になると、本人は真剣だが国民にとっては失礼千万のことだ。こどもは偉い先生より、善い先生を望んでいる。まさに言ってはいけないこと、してはいけないこと、「一」にいう矜持、自制のポーターラインに「止」まる「正」ではないか。
好し教員は世間知らずとの評が多くの国民にあるが、まさに大手新聞のコラムに陳列した編集者に賛意を呈したい






                                イメージは台北中山記念小学校 9/27




以下は、氏とは大きく異なる切り口であり、戦後の教育畑で理想を掲げ、食を食んだ方とは立つ位置の違う考察を記したい。
それは、教育畑の臭いのする論ではなく、数多の「公」に位置にある人たちの人間考察としてみたものだ。

安倍さんの「美しい国」も、清く、正しく、美しいと繋がらなければ締まらない。だから弛緩したり、忌まわしい問題が噴出するのだ。
とくに発展や復興を謳うと金にまつわる話が多くなり、国民もそれに倣ってさもしくなる。せめて陛下に倣って忠恕心を政策に投影してほしいが、もともと清く、正しい人間は政治に馴染まないという世界ゆえ、せめて巧い、利口だといわれるより、立派な政治をして欲しいと大多数は考えている。

教員とて数値評価の競争知学もさることながら、立派な子に育ってほしいと願うものだが、その立派の評価が学校歴や官職、就職先では子供も大変だ。せめて、他に対する優しさと独立心だけでも世間は期待しているが・・・
つまり、清く・正しくも、立派も文字やスローガンにはあるが、意味することすら考えていないような現状だ。しかも、そんなことを掲げたら上げ足をとられる恐れがあると心配する不埒な輩もいる。

よく職業に染まるといわれる。とくに昔は尊敬の対象だった医師、警察官、教員はそれららしく振舞うせいかその傾向がある。警察官が博打好き、教員が女好きの痴漢や覗き医師が助平変態では格好がつかない。近ごろでは俺たちも平等な人間だと、せっせとその趣味に勤しむものも多くなってきた。

昔は尊敬され結婚式にも招かれの常連だったが、いまは怨嗟の対象になり下がっている輩もいる。

それも現職時だが、辞めると堰を切ったように弛緩する。居酒屋でも隠さなくてもいい前職を隠しつつも、大声で場の仕切りをする警察官もいるが、まだ医師のほうがスマートなのか渡辺さんのように色数寄を広言して物書きになったりもする。
滑稽な体験だが、ある店でぼそぼそ呟きながら酒を飲んでいた男がいた。小生より年かさにみえたが、職場の話になった。









「いや・・、区立の○○小学校の教頭をしているんです。でも定年をのこして辞めるんです。校長になると面倒なことも多くなり、教頭も大変だし、辞めてやりたいことをするんです」

「子供相手で愉しいし、志望してなったのでしょ」

「いや、親が教員で生活に心配ないからと勧められて・・、結構、教員夫婦とか親子が教員だとか多いようですが、みんな子供が好きで高邁な目的など持っている人は少ないですよ。ましてや若い教員からせっつかれ、校長からは対応を任され、大変ですよ。」

「ところで辞めて好きなことをすると言いますが、なにか趣味でも?・。人生の平均年齢まで二十年、そっちの方が大変ですよ」

「いや、女房は現役教員ですし、留守番してネコの面倒でも見ようと思ってね。」

「それが、辞めてやりたいこと?。好きなことなんか半年で飽きますよ。せめて人生でやるべきことを今まで考えていなかったのですか。」

「ネコと旅行と・・・」

「本など読む?」

「・・・・・・」

「近所の学校なので教え子が遊びに来るでしょう」

「いまどきそんな教師もいないし、関係も築いてはいないですよ・・」

「職場が大変だということは・・・」

「上からの決まり切った指示と、若い教師の理屈混じりの反抗的態度。親の中にはモンスタ―といわれる人もいるし、退職前の校長はみんな私(教頭)まかせ、しかも子供は馴染まない、こちらも登校拒否をしたくなりますよ」

「でも待遇はそれなりに」

「いや、教員は公務員の中では特に待遇が良くなっているが、慣れれば当たり前と思い、今度は職場環境や授業時間の短縮などで不満が出てくる。いくらでも理屈が立てられる小利口さもあるものだし、みんな楽できるものだから反対もしない。上っ面では子供もなつかないよ。自分でいうのも変だが、昔は役職に権威と責任もあった。その権威が良くないということで議論が出てきた。言い合ったらヘ理屈に根気すらなくなるよ。

対外的な規制や制度で大変なのではなく、内部の人間関係と職掌の規律が緩んできて、その恩恵をどこかで受けていると思う気持ちで、だれも意見を言わなくなった。教育委員会も形式化して同じようになった。なかには生涯賃金と待遇ばかり考えるものもいる」






                  

        「黙して考える 」   騒がしさくない台湾の小学校






「教員の採用時の意識に問題があるようですね」

「親がどこかの役人か教員も多い。なにしろ一度入ったら余程のことがない限り解職はない。勤務だってあの頃の闘争で現場はうやむやが多い。それも校長もやっと成れたもんだから御身大切、みな教頭に回ってくる」

「モンスターの気持ちも幾らか分かる?」

「いや、あれは別格だが、本論をいってくる親御さんもいる。だだ、受ける方が逃げ腰で不作為、糠に釘状態で可哀そうな時もある。以前、生徒が先生の肩を押して『先生』と言ったら、さして強く押したわけでもないのはまわりの生徒が知っていた。

ところがその教育実習の先生は整形外科に行き診断書を持ってきた。後で聞くとスキーで怪我して治療中だった。治療費は36万円。この場合は街なかの交通事故と同じで加害者負担、その生徒は加害者として賠償責任が生じた。母子家庭のお母さんは払った。

この場合は校長判断で公務災害にすることもできるが、自分の都合で生徒と先生の交渉に任せてしまった。生徒は可哀そうだと生徒や先生からも声が上がったがなにもしなかった、そして無事退職。その被害者といわれた先生もすぐ実習が終わって海外旅行へ行った。このことで町の世話人も動いてが、議員は選挙が忙しく空返事、区の職員は不作為、いまでもこの子はお母さんに月々返している。高校にも行けず塗装の仕事をしている。

上ばっかり見ているヒラメ校長だと教頭も動けず、かといって教員も非人情が多く、一体となるのは飲むときとか要求を持ってくるときだけ、町中の宴会などは警察官と教員が一番行儀の悪い客だといわれ、なかでも女性の若い教員のだらしなさはどこでも語り草になっている。途中で抜け出すのは校長と私(教頭)だけだ」

アベノミクスは経済、いまは銭の話とさもしくなった日本人の姿の今更ながらの露見だ。
下座観があると思えば、また金配り。あれほど麻生氏も言っていたさもしい日本人の増殖だ。あのときは「私は手を出してもらわない」と矜持を述べていたが、国民は「格好つけるな」「あんたが貰わなければ政策が進まない」と騒いだが、まともな日本人は「私はいいから困っている方に差し上げてくれ」というのが普通だった。それこそ普通の国だ。
近ごろでは、貰えるものなら何でも貰う、しまいには健康保険詐欺まではたらくものもいる。


それらは分科されたカリキュラムの数値評価に人の選別を委ねる官制の教育制度では直らない。みなそのことは知っているが、将来の本当のことは解らない。
とくに「公」に位置するものの観知力の欠如、無関心、不作為ははなはだしい。たとえ手を出さずとも汚職には変わりはない。そして腐敗、堕落して亡国だ。その亡国は思慮分別をなくして騒がしくなった国情そのものだ。












アベノミクスは、そもそも基点がない。
豊かにする理由、豊かになった後の人の在り様、あるいは知識を得る目的や遠大な使命の共有など様々だが、基となる倣いや教え、そして伝える場面での官制機関の体たらくは、制度やマニュアルを変更し、かつ予算を増やしても変わらない。

あのころ下村博文氏は学習塾を営みながら問題解決に取り組んでいた。また小会に参加して古典にも親しんでいた。その時の講師の言に「一利を興すは一害を除くにしかず」があった。
元の宰相、耶律楚材の名言だが、法律を積み重ね、予算を積み重ねるより、国家の弊害となっているものを抽出して断つ、そのことによって積み重ねることから生ずる弛緩した公組織、ここでは教育畑の覚醒になると考える

つまり、頭の衝いたような文部省による国家の教育から社会や郷の人間教育に戻さなくてはならない。津々浦々の郷に在った土産神は遺棄され豪華な神殿を建造して御利益を謳いお札を売った。熊楠は国民の情緒の破壊とみた。
教育も御維新の無頼者が西洋にかぶれて妙な啓蒙を叫んだ。

以前は藩校のほかに領内には多くの塾や郷学があったが、官制学校の整備で郷に存在していた独特な教養や矜持までがなくなり、人間を数値選別によってその後の豊かさまで担保するようになった。そして、あの西郷や勝海舟、龍馬、晋作のような突破力と土壇場の所作が可能な精神を涵養するカリキュラム、人間学が忌諱された。

彼らが学び肉体に浸透させたのは、今どきの古典マニュアルや安チョコ雑誌では補うことすらできない実践的教養だ。懐古でもなければ復古ではないが、すべては人物から発する問題だからだ。

だから勉強は大学まで出ればと考える愚かものが出てくるのだ。大学は終わりではなく出発なのだ。しかも大学は知識を得るところではなく、自分は何者かを知る、明らかにする学び舎だということを忘れている。これでは憧れの龍馬やジョブスにも成れまい。
しかもそれらの偉人賢人は素晴らしいという。金儲け、ビジネスを偶像視する。

自分を知り、その特徴を伸ばす、そして利他の厳存を知り、許容量を高める、学はそれに尽きるが、知ることはできても、倣う対象がいなくなった。

まさに、学び舎での倣う対象が標題のようになっては子供が浮浪するのは当然だろう。

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