こんにちは、tasanです。自民党の総裁選、安倍総理が勝ったみたいですね。私はあまり興味がありません。どちらにしても増税派だったので、不景気には変わりないと思いますし、なるようにしかなりませんので。

 

それよりも皆さんの見識が高まれば、参考程度のヒントにでもなれば幸いです。今回は日本銀行の国債購入が禁止されているという財政法の話になります。資料の私なりの解説編です。

 

1.日本銀行は国債を買っている
2.しかし、これは財政法で禁止されている
3.財政法の成立
4.当時の総理大臣たち
5.財政法があっても高度経済成長期を実現した日本
6.財政法の成立経緯
7.財政法は程度問題を考慮していない
8.財政健全化の度合いは気にしている

まとめ

1.日本銀行は国債を買っている

最初から説明していきますと、まず、日本銀行というのは日本円を作っているところです。もともとは政府の一部でした。それが明治時代の途中に分離しました。お金の流れ図、経済の流れ図で見てみましょう。

 

ビフォー

アフター

 

 

というわけで、日本銀行がお金を作るようになりました。そして政府がお金を受け取るために、国債を販売して、日銀に買ってもらう、という形になっています。これが現状です。この度合によって、世の中の景気が決まってきます。

2.しかし、これは財政法で禁止されている

禁止されていますが、実際はやっています。これは特例公債法という例外規定があるからです。

 

財務省 財政法 抜粋

https://www.mof.go.jp/exchequer/reference/laws/law.htm

第5条 すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

 

財政法 1947年から

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000034

 

特例公債法 1965年から

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E4%BE%8B%E5%85%AC%E5%82%B5%E6%B3%95

赤字国債を発行するために、1年限りの特例公債法を毎年制定することにより赤字国債を発行している。ただし、2012年度法案は2015年度まで3年間、2016年度法案は2020年度まで5年間それぞれ認めている。

 

最後の、5年間認めるとかは、本当は毎年法律を作らないといけないですが、面倒になったので5年先までOKの法律にしたってだけです。

3.財政法の成立

ちなみに財政法は昭和22年の1947年に制定されました。吉田総理のときに制定されていますが、話し合いが始まったのは2年前。終戦直後に総理大臣に就任した幣原(しではら)総理からになります。当然、戦後で多国籍連合軍に占領されながら、憲法自体もたった8日で無理やり作らされた状況なので、いろいろな押しつけの交渉事やパワーバランスがあったかと思います。

70 年を迎えた「財政法」制定過程と国会での議論 企画調整室(調査情報担当室) 藤井 亮二

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h30pdf/201816502.pdf

 

財政法 制定の経緯

昭和20年 10月 25日 大蔵省に内外財政金融調査協議会

昭和22年 3月 18日 第92回帝国議会に「財政法案」提出 

                     29日 財政法案を衆議院本会議(第二読会)採決 

                     31日 財政法案を貴族院本会議(第三読会)採決

 

4.当時の総理大臣たち

内閣総理大臣の一覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

 

43東久邇宮稔彦王  東久邇宮内閣 1945年8月17日 - 1945年10月9日 (54日) 102歳!

44幣原喜重郎       幣原内閣        1945年10月9日 - 1946年5月22日    (226日)
45吉田茂          第1次吉田内閣    1946年5月22日 - 1947年5月24日    (368日)
 

幣原喜重郎 (吉田!引退したじじいを引っ張り出すなよ!えぇ、、稔彦王が言うなら、、) < 個人的解釈

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E5%8E%9F%E5%96%9C%E9%87%8D%E9%83%8E

第二次世界大戦が終結後の1945年10月9日に、10月5日の東久邇内閣の総辞職を受け内閣総理大臣に就任。貴族院議員ながら政界の第一線からは引退しており本人は首相に指名されたことを嫌がって引っ越しの準備をしていたが、吉田茂の後押しや昭和天皇じきじきの説得などもあり政界に返り咲いた。

 

GHQのマッカーサーと1946年1月24日に会談。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案する。天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされる。憲法制定過程は、幣原・マッカーサー会談(これで大筋合意。しかも、幣原から平和主義を提案。

 

→松本案が完成(松本案自体は45年10月から作り始めていた)

→松本案がマッカーサーによって拒否される(46年2月1日頃。『毎日新聞』のスクープでGHQは内容を知る)

→マッカーサー3原則(46年2月3日)GHQの民生局が草案を作成(8日間で草案を作成) < 無茶で内容おかしいと言われる元

→松本国務相と吉田外相は「松本案」の返事を聞きに行ったが、逆にマッカーサーから草案を渡される(2月13日)

→閣議が大荒れ(2月19日)

→幣原はマッカーサー案を原案として採用し修正することを決める(同日)

 

その後、吉田に総理を渡す。

 

吉田茂 「辞めたくなったら辞める」「人を食っております」 ノーベル平和賞候補

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82

東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、および1948年10月15日から1954年12月10日まで在任した。優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。

 

癇癪持ちの頑固者であり、また洒脱かつ辛辣なユーモリストとしての一面もあった。公私にわたりユニークな逸話や皮肉な名台詞を多数残している。また、吉田の行動は当時の新聞の風刺漫画の格好の標的になった。実際に吉田が退陣した時には、ある新聞の風刺漫画に、大勢の漫画家が辞める吉田に頭を下げる(風刺漫画のネタになってくれた吉田に感謝を表明している)漫画が描かれたほどである。

 

大日本帝国憲法下の天皇組閣大命による最後の首相であり、選挙を経ていない非衆議院議員(貴族院議員なので国会議員ではあった)の首相も吉田が最後である。また、父が公選議員であった世襲政治家が首相になったのも吉田が初めてである。同年12月20日には、吉田の退陣を要求する在日朝鮮人によって首相官邸を襲撃される。大蔵大臣に石橋湛山を任じて傾斜生産や復興金融金庫によって戦後経済復興を推し進めた。

 

GHQ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8

日本を占領した軍隊。連合国軍の総司令部。現地の実行部隊。総司令官をSCAPと呼ぶ。マッカーサーなどがそれ。極東委員会の指示に従う。やったことは多岐に渡る。以下、個人的解釈と略式。

 

7.1 戦争犯罪人の逮捕 : 東条英機総理大臣ほかを死刑。

7.2 公職追放 : 軍関与者まで25万人にも及ぶ。政府機能停止。

7.3 言論統制 : 検閲。GHQに否定的なことは禁止。

7.4 非軍事化 : 装備をスクラップ化。また刀狩り。

7.5 民主化 : 大きな直接権力を解体した。財閥や警察を数千に解体。知事選挙を官選から民選に(意思の分断)。労働組合を設置(国民VS政府の構図へ)。

7.6 農政 : 農地を小作人に分配。大規模農業は北海道以外で難しくなり、国際競争力が極度に低下。

7.7 教育改革 : 現在の教育の形が作られた。小中高大学。公職追放された人が多いから、教師が左翼ばかりになったと思われ。

7.8 医療制度改革 : 日本に明確になかった分野を導入。

7.9 日本語のローマ字化計画と断念 : 日本の識字率、教育レベルが高すぎて、導入の理屈が通らず、日本語破壊を断念。

7.10 「慰安所」の設置 : 8月20日には近衛文麿国務相が「特殊慰安施設協会 (RAA)」の設置を決めた。

7.11 非共産化と再軍備 : 公職追放をやりすぎて、左翼(お花畑)ばかりになった。バランスをとって公職追放を解除。警察を解体され、小組織ばかりになった弊害で、自治体負担の3割を超えた。そのため徐々に警察法を戻す。数年で数千に分けた組織が元の国家警察に戻った。おそらくその間に在日朝鮮人などが各地で暴動を起こし、地元ヤクザが自治として機能していたと思われ。任侠映画の元(ノンフィクション)。

7.12 対日講和 : 各地と国交正常化

 

極東委員会 : 占領国連合軍の最高意思決定機関

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

太平洋戦争に敗北した日本を連合国が占領管理するために設けられた最高政策決定機関[2]。強大な権限を有した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)もその決定には従うものとされた[2]。

 

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、委員各国から判事を一人ずつ出す権利を持ち、日本国憲法の制定に当たっては、新憲法草案の最終採決には、委員会の承認を必要とするとした決議を採択した。

 

大分話が脱線しました。だいたい背景が掴めたらいいかなと。

 

5.財政法があっても高度経済成長期を実現した日本

当然公債特例法のおかげです。公債が発行されるとそれだけ政府支出が増えます。近年はダメダメですが、昔はすごいですね。

 

国債残高と政府支出の前年比の推移 : 連動してます。

 

高度経済成長期は1954-1973年とwikiには書かれています。

高度経済成長期

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%BA%A6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7

グラフを見る限りは、1975年が赤の政府支出のピークですね。そうでなくても、1969年でも政府支出=公的需要は右側15%でした(前年比)。

 

特に公債特例法は昭和40年、1965年から始まっています。

特例公債法

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E4%BE%8B%E5%85%AC%E5%82%B5%E6%B3%95

 

このように、財政法があれど、公債特例法があります。現在もこの法律は変わっていません。同じことができます。そうやって財源を調達できるわけです。できるわけですが、大震災があれど近年は国債を発行して大きく財源を調達していません。無知は嫌ですね。

 

そのせいで、被災して5年経っても仮設暮らしだったりで、その間子供は成長するし、大人も年を取っていきます。失われたものは取り戻せません。赤信号、みんなで渡るのは勘弁です。これは人災です。

 

とりあえず、少し財政法をかじったりすると、財政法を真に受けて、国債発行からの財源調達を「それは財政ファイナンスと言って違法だ!」といってどや顔している人がいます。財務省もそう主張していますね。特例という法律が見えないようで。それはほっといていいのですが、大真面目にそのへんを議論する政治家や金融関係者がいるとマジ勘弁です。しかし、今回紹介した資料中でも、そういった議論があります悲しい。

 

6.財政法の成立経緯

70 年を迎えた「財政法」制定過程と国会での議論 企画調整室(調査情報担当室) 藤井 亮二

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h30pdf/201816502.pdf

(3) 日本銀行の国債引受禁止
財政法第5条は戦前、戦中を通じて大量の公債発行が日銀引受によって行われ、激しいインフレを引き起こしたことを反省して規定されたものである。 

 

これですね。

江戸時代、徳川幕府が終わって明治政府になってからの、物価と賃金の推移

2つのグラフは同じグラフ。縦軸のスケールが違うだけ。

どちらにしろ、1945年の戦前戦後でぐぐっと急上昇しています。いろいろと品不足になって物価が上がった結果、その分賃金が急上昇して、庶民が豊かになっています。さて、こうして考えると、本当に物価の上昇は嫌なものでしょうか?ちょっとおかしいと思いませんか?目の前の物価の上りが嫌なのはわかりますが。戦後の極端な時期だけ基準にして「日銀の国債購入は一切禁止!」としてませんか?と疑問が浮かぶわけです。

 

7.財政法は程度問題を考慮していない

(3) 日本銀行の国債引受禁止
財政法第5条は戦前、戦中を通じて大量の公債発行が日銀引受によって行われ、激しいインフレを引き起こしたことを反省して規定されたものである。 

 

裏の本音は、大量の軍事費を調達できるから禁止にしたんじゃないかと思います。GHQの政策と一緒じゃないかと。武器をスクラップにしたら、次は財源を押さえるでしょうし。しかし、現実、現在の経済と照らし合わせると極端過ぎます。禁止ってゼロですから。程度問題が考慮されていません。それで、経済復興の財源に支障をきたしたから? 特例公債法が成立したのではないかと思います。

 

なお、程度問題と言うのは、ゼロだと不況まっしぐらだからです。

例えば政府支出と物価のグラフ。

政府支出が前年比10%くらいないと、物価は5%になりません。もし0%だったら物価は現在のようにほぼ0%だったでしょう。つまり、戦後復興も財源不足で進まず、ずっとデフレ不況だったと考えられます。

 

今度は国債残高と政府支出の前年比グラフですが、高度経済成長期でなくても、やはり右側、赤色の政府支出は10%程度はほしいと思います。5%毎年増加は最低限必須です。そうしないと、1980年代以降から現在のように、ずっと不況です。

 

それに該当する左側、青い国債残高ですが、こちらは20%くらい増加が毎年ほしいですね。最低でも毎年10%国債残高を増やしてほしいです。国の借金1000兆円というならば、毎年100兆円増やせ、ということです。

 

このように、不況でない状況を望むだけでも、ゼロはありえないわけです。不景気のときに財源を作って政府支出!というコントロール権すら放棄することになります。これをゼロ%にしろというのだから、財政法の5条は現実の経済に即していません。これをいじれそうにないから、特例という形で公債法を付け足したわけですね。昔の人は優秀です。

 

しかし、現状では、特例公債法を使っても、前年比5%になるくらいしか、国債が増えていません。震災があって、増税で不景気が見えていても、どうして昔と法律が変わっていないのに、きちんと公債発行して財源確保をしないのか、理屈が通りません。それが1980年からずっと続いているので、私たちは不景気です。

 

本ブログではグラフが連動している、と図を載せていますが、全部自作のオリジナルです。もちろん国債残高~政府支出~GDP~物価などの間は、データでエクセルで前年比を作り、確認しています。データはそのへんの公的サイトからダウンロードしてきたやつです。

 

そういったことを把握せずに経済水準をどうするか?という話をするのは無理だと思います。数字の話どころか流れの話もできませんよね。ですが、他であまりにも見ないので自作を始めました。

 

8.財政健全化の度合いは気にしている

 

70 年を迎えた「財政法」制定過程と国会での議論 企画調整室(調査情報担当室) 藤井 亮二

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h30pdf/201816502.pdf


この財政法の経緯などを見ても、数字を気にしているのは財政健全化の度合いなどです。そんなのどうでもいいのは以前に記事にした通りです。

 

国の借金で、財政悪化を招いた、財務省のブーメラン

https://ameblo.jp/tasan-ame/entry-12378626454.html

 

毎度同じことを言ってますが、それだけいつもの話だけでカタがつきます(空目)。

 

物価とマネタリーベースは少し記載がありましたが、この2つには直接関係がないですしね。通貨を発行して、マネタリーベースが増えても、次のステップで財務省が国債を販売しないのであれば、そこでストップです。

 


上図のところで、断線しています。国債残高から他の経済指標は綺麗に連動しているんですが。詳しくは以下をご覧ください。

 

2018年6月25日時点のマネタリーベースとマネーストック

https://ameblo.jp/tasan-ame/entry-12385811129.html

 

というわけで、現代は財務省不況と言ってもいいでしょう。結果として国債発行が少ないので。その前後で誰かの意思が介しているとかは知りません。あくまで結果で、彼らが現在進行形で組織的に?やっていることです。

 

しかし、東大出のエリートの皆さんである、私なんかより頭のいい財務省の人たちがわかっていない、わけがないと思います。組織的な確信犯で、まず理屈が通じないのかなと。または、教えられた勉強ばかりを盲信して、そのまんま信じているとか。そういう人だけが残るとか。まぁおかしいと思っても、自発的に手を動かしてグラフを作成して確認する人なんて少ないでしょうが、やったところで、職場をどうする、という話かなと。

 

まず皆さんの参考の指針になれば幸いです。

 

まとめ

 

・財政法は現実問題、程度問題を考慮していない

・よって、財政法に執着してはいけない

・特例公債法が上積みされた意味を知ること

・現実問題、程度問題をデータで議論し

・高度経済成長期も実現した公債特例法を生かそう

 

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----編集後記----

 

長くなりました。どちらかといえば、戦争の背景把握で時間を取ったような。昔の総理大臣なんて知りませんよね^^;

 

まぁ今回は、特例公債法があるんだから、しっかりしろよ!って話です。