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サン・ロレンツォ聖堂は395年ミラノ司教アンブロシウスと聖ザノービにより初代殉教者聖ラウレンティウス(ロレンツォ) に奉献された教会でフィレンツェの司教座がおかれていました。
1418年修道院長マッテオ・ドルフィーニが再建を決め、市の有力者たちが出資しその中にジョバンニ・ディ・ビッチ・メディチ(老コジモの父)がいました。ジョバンニの推挙と思われるフィリッポ・ブルネッレスキが設計、ジョバンニの死後コジモとブルネッレスキの弟子アントニオ・マネッティに引き継がれました。
メディチ家の菩提寺のような役割を果たし結婚式、洗礼、葬儀、埋葬が行われました。
ファサードはロレンツォ豪華王の次男教皇レオ10世からミケランジェロが請け負いましたが未完成です。
三廊式,ルネッサンス様式の平らな天井です。ラテン十字形で祭壇の後ろ、後陣があるべき場所に君主の礼拝堂があります。
身廊には小さな礼拝堂が並んでいます。
右身廊
第1礼拝堂 ヤコポ・ダ・エンポリ「聖セバスティアヌスの殉教」
第2礼拝堂 ロッソ・フィオレンティーノの「聖母マリアの結婚」
第三礼拝堂 ニッコロ・ラーピ「聖ラウレンティウスと煉獄の魂」
第4礼拝堂 ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ「聖母被昇天」
第5礼拝堂 ピエトロ・ダンディーニ「磔刑のキリスト」
第6礼拝堂 ジローラモ・マッキエッティ「東方三博士礼拝」
主祭壇
1787年にガスパーレ・マリア・パオレッティ設計で作られました。半貴石でできているそうです。置かれているのはヴァレリオ・チョーリ作磔刑のキリスト。祭壇の手前の床はコジモ・デ・メディチがこの地下に安置されていることが示されています。
ドームはヴィンチェンツォ・メウッチ「フィレンツェ守護聖人たちの栄光」1742年
メディチ家最後の相続人アンナ・マリア・ルイザ・デ・メディチの依頼。
ドナテッロ「受難の説教壇」
「キリスト復活の説教壇」と対ですが写真を撮り忘れました。コジモの依頼で作成されたドナテッロ最晩年の作品。左が磔刑、右が哀悼。ぐるっとオリーブ山での祈り、ピラトの前のキリスト、カヤパの前のキリスト、磔刑、哀悼、埋葬、鞭打ち。
左身廊
ブロンズィーノ「聖ラウレンティウスの殉教」
北翼廊マルテッリ礼拝堂 フィリッポ・リッピ「マルテッリの受胎告知」14537年-1441年
この聖堂再建の寄進者の1人ニッコロ・マルテッリの墓碑のある礼拝堂のために描かれました。遠近法で描かれた空間のオープンロッジアの書見台の前に立つ聖母の前にやってきて跪く大天使ガブリエルと受胎告知ではあまり描かれない御供の2人の天使がいます。お供の天使の光輪の上に聖霊を表す鳩がいます。手前のガラスの花瓶に半分水が入っていて聖母の処女性を示しているそう。
ドメニコ・ギルランダイオ「玉座の聖アントニオ・アバーテと聖ラウレンティウスと聖ジュリアーノ」
イタリア語でロレンツォとジュリアーノ。
ピエトロ・アンニゴーニ「工房のキリストと聖ヨセフ」1964年
大工仕事をキリストに教える聖ヨセフ。あまり見ない場面のように思います。20世紀の作品には見えません。
ジョヴァン・アントニオ・ソリアーニ「聖アカティウスの磔刑と仲間たち」
作者不詳「玉座の聖母子と聖ラウレンティウスと聖ザノービ」1877年
アンブローズの聖ザノービはフィレンツェ司教でここの旧聖堂に葬られていました。
フランチェスコ・コンティ「磔刑」1709年
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