長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

ネットで誹謗中傷しているひとが知らないこと。SNSでの匿名などない。すべてバレる。逮捕もされる。覚悟を持って誹謗中傷してる??(参考文献引用)

2020年10月21日 18時32分35秒 | 日記












誹謗中傷して訴訟される人たちが知らない、3つのこと
7/9(木) 19:16配信

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LIMO
写真:LIMO [リーモ]

近年、誹謗中傷が社会問題化しています。訴えを起こされ、損害賠償請求される人たちには3つの共通点があるように思えます。

筆者は有名人などではありませんが、ビジネス雑誌や、ネット記事、テレビやラジオ出演をしていて中傷されてきた経験があります。その経験からも語っていきたいと思います。

「ネットは匿名」という思い込み
ネットで中傷をしたことで損害賠償請求を起こされる人の中には「ネットは匿名」と思う人は少なくありません。過去に中傷して訴訟を起こされた人は「出来心で書き込んだ一文でこんなことになるとは…」と声を揃えます。

ネットの訴訟に詳しい弁護士によると、賠償金の金額は書き込みの内容や、繰り返し書き込む執拗性など多面的にみて判断するそうです。いずれにせよ、ネットには「書き込み」という動かしようがない証拠が残るわけですから、ダークウェブなど特殊な技術を使わない限り、ネットはリアル以上に足がつきやすいといえるでしょう。

匿名でSNSのアカウントを作ってせっせと中傷をしている人は、「自分たちの行為はすべて記録に残っている。発信者情報開示請求の妥当性があれば、匿名アカウントから実名にたどり着く」ということを理解する必要があるでしょう。

「誹謗中傷は犯罪だ」という意識が希薄
誹謗中傷は言う側は心を痛めることはありませんが、言われる側はたまったものではありません。

筆者はジャーナリストとして、ビジネス雑誌や、ネットメディアでニュース記事を書いています。内容によっては読者から感想を受け取ることがあるのです。「為になりました」とポジティブな感想を受け取ることがある一方、いわれのない中傷を受けることもゼロではありません。

「顔がムカつく」
「こいつは実は韓国人で反日家だ」
「頭おかしい」

一通り思いつく限りの悪口は言われてきましたが、コメントの内容を見てみると記事の内容を曲解して理解していたり、ひどい時には内容を読まずに記事のタイトルだけで判断していると思しきものもあります。また、ユニークな経験としては、とあるビジネス雑誌で書いたコラムを読んで怒った女子大生から呪いの手紙が送られてきたこともあります。

誹謗中傷を受ける側は単に心を痛める、という被害に留まりません。筆者の知人のブロガーは「中傷が辛いから」ということを理由にブログを閉鎖してしまいました。そのブログでは、多くのファンが彼を応援していましたが、極一部の粘着性の高い中傷に耐えきれなかったのです。ブログの閉鎖により、彼はブログから得ていたビジネスメリットを失うことになってしまいました。こうなるとビジネスの営業妨害であり、経済的損失を被る紛れもない犯罪行為です。

「この人がムカつく」

という極めて個人的な感情だけで、その人を追い込む理由にはならないのです。

「誹謗中傷される側は人間である」という意識が薄弱
そして中傷される側は中傷する側と同じ、人間であることを忘れてはいけません。

「有名税」という言葉があります。筆者はこの言葉が好きになれません。「有名になるほど何かの分野で結果を出し、利益を得ているのだから、多少の批判は受け入れなさい」という中傷を肯定的に捉える姿勢だと感じるからです。

しかし、中傷する人は相手が人間であることを忘れています。人間ですから、嫌なことを言われたら当然、心が傷つくのです。これは痛ましい中傷の騒動を見るたびに感じるのですが、「もしも自分の発言を相手から言われたら、自分はどう感じるか?」を考えた上で発言するべきではないでしょうか。

「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」、多くの人が小学生の道徳の時間で学んだはずなのに、なぜか大人になると忘れてしまう人がいるようです。

「誹謗中傷」と「批判」の違いは?
最近、ある若い女性が中傷を苦に自殺をした事件を受け、有名人が「中傷されたら訴えます!」と牽制する事態となっています。こう言われると「訴訟が怖くて何も言えない」となってしまいそうです。しかし、批判と中傷は全くの別物です。してはいけないのは中傷であり、批判は自由です。

そもそも、日本には言論の自由があり、思想や意見の自由が保証されています。

「Aは好き、Bが嫌い」

このような主張をして法的に罰せられることはありません。筆者も好きな作品について「ここは良かったが、あっちは改善を期待したい」というレビュー記事を書くことはあります。その際、できるだけ製作者にとって次なる改善のアイデアにつながるよう、建設的意見になるように努めています。また、意見を言う以上は責任も伴うと考えており、当然ながら事実と根拠に基づく意見を出すようにしています。もちろん、中傷をしたことは一度もないのはいうまでもありません。

「批判」は制作物に対する事実と根拠に基づく意見です。プラスのこともあれば、マイナスのこともあるでしょう。一方で「中傷」は事実や根拠がなく、それを聞かされる相手にメリットもありません。

「この人嫌い。見たくないから消えてほしい」
「センスなさすぎ! もうやめたらいいのに」

このような中傷は事実も根拠もないですし、言われた側も一切善処に繋がりません。誰も得しない、存在価値のない便所の落書き以下のコメントです。

批判と中傷を分けて理解することが肝要なのです。

誹謗中傷も配慮すれば批判に昇格できる
しかし、上述した個人的な負の感情も、少し言い方を変えるだけで「中傷→批判」に昇格できます。それは改善につながる一言を入れ、個人の感想であるとお断りをいれることです。

「この人嫌い。見たくないから消えてほしい」
→「今のスタイルは〇な点が好きになれない。個人的には▲になってくれると嬉しいんだけど」

「センスなさすぎ! もうやめたらいいのに」
→「自分は彼の歌はプロとしてはあまり上手じゃないと思う。ダンスはいいからそっちに力を入れてほしい」

こうした言い方をするなら、聞いた本人も深く傷つくことはなく、また、「個人の感想である」と前置きをすることで、受け取る側の気持ちのクッションになるのではないでしょうか。

中傷をして訴訟に発展すると、人生が変わってしまうほどのダメージを受けます。訴訟する側も中傷で深く傷つき、誰も得をする人はいません。中傷はやめ、建設的意見を奨励したいと思います。

黒坂 岳央(起業家/投資家/ジャーナリスト)
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