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   冤罪事件はいつでもあとでわかるもの。これは日本という国の機構の持つ暗部であり弱点である。これは他人ごとではない。いつ誰の身に起こるかわからない。著者の村木厚子さんは、そんな恐ろしい状況に陥ったけれど、権力に負けなかった。いったいどのようにメンタルを保ち検察と戦い無罪を勝ち取ったのか? そんな問いを持ちながら読み進んだ。

● 冤罪を防ぐ提言
   村木さんは優れた実務家だと思う。なぜなら、この本の中で今後冤罪が起こらないようにするための具体的な提言をしているからである。官僚として常に「しくみ」を作ってきた経験から来るのだろう。今回の自分の経験から、強引な取り調べ、ハラスメントなどの問題を解決する一つの方法として、村木さんはルールやシステムを作ることだと提言する。
「人間は誰でも弱いので、誰でも上司や権力におもねったり、忖度したくなったりします。検事や警察官の場合は、適正な取り調べをしなければならないのはわかっているけれど、早く容疑者に自白をさせたいと思えば、強引な取り調べが多くなります。それならば、取り調べはすべて録音・録画をしてしまえば、無理な取り調べをする余地がなくなります」(p103、第3章日本型組織で不祥事がやまない理由)
    政治の世界での慣習的な陳情についても、しっかりとしたルールづくりを推奨する。
「忖度の余地がないルールを作るということは、様々な頼まれごとをされやすい政治家にとっても、実は楽なはずです。財政が豊かな時代ならいざ知らず、コンプライアンスも厳しく問われる今の時代では、いくら頼まれても実現できない難しいことが多くあります。「先生の力がないから無理だよね」と言われるよりも、「今の社会のルールはこうなってしまったからとても無理だ」と言える方が楽なはずです」(p104、同上)
    いったんルールができると誰でも容易に判断できる。それこそ「忖度の余地のないルール」づくりができれば、グレーなところを政治家に強引にお願いされたり、忖度することがなくなる。もちろん、そういうルールができることを喜ばない人たちもいるだろうけれど。

● 教育も重要である
  もうひとつは教育が重要だとのべている。ルールが対処療法だとすれば、教育は予防療法につながる。人々のハラスメントに対する理解をしっかりとさせることは、何が良くて何が良くないかを把握できるので防止につながる。それは教育が担わなくてはならないという。
▶︎「・・・セクハラは、職場の潤滑油でも、ましてやコミュニケーションでもなく、明らかな人権侵害であり、相手を心身共に傷つける行為です。そうしたことに気づかせ、「自分たちの本音(物差し)は通用しない」と分からせる教育は意味があります」(p104、同上)
▶︎「パワハラもそうです。当人たちは「仕事熱心さの表れ」だと思っているけれど、それは大きなる勘違い。明らかに、背後に権力構造があって、自制心の欠如がうかがえます。なのに、当人たちにはその自覚がない。こうした状況では、「パワハラをする人は出世させない」という明確なルールを作ってしまうのが最も効果的ですが、教育も十分、やる価値があります」(p105、同上)
   昔はそれでよかったと思われた時代があった。しかしそれは神話がある。単に組織の力関係の中で抑圧されて言い出すことができなかっただけだ。時代は変わった。昔はうやむやにできたことはもう許されなくなった。そんな社会の変化に気づかない輩が意外に多いようである。だから人によればまじめに当惑している場合もあるだろう。だからこそ村木さんが言うように教育が必要になる。
   村木さんはそれに付け加えて、セーフガードも考えている。
「・・・もしも失敗して時、間違ってしまった時に、「やり直しがきく」「また頑張れる」と思わせ、そうできることを教える教育も重要です。それには、失敗してもやり直しがきくような社会の環境、社会の構造を作っておかなければなりません。許され、立ち直る機会があるとわかれば、人はまた歩き出すことができます」(p105、同上)
   この考えには、社会が機能していくためのシステム的な視点がある。それは人に優しい社会につながり、持続可能な社会システム設計につながるに違いない。
● しくみをつくる
    あともうひとつ驚いたのは「若草プロジェクト」のことです。そもそもの出発点は、村木さんが拘置所の中で見かけたあどけない少女たちに疑問を持ったところからだというのです。拘置所という場所とその少女たちがどうにも結びつかない。「薬物か売春が多い」ときいて、そこに社会のほころびを見つけたようだ。
「復帰後の仕事で、貧困、虐待、ネグレクトなど、家庭的に厳しい環境に置かれた少女たちが多いことを実感しました。家庭にも、学校にも「居場所」を失ってしまった彼女たち。その少女たちを、結果的に受け止めているのが「夜の街」です。助けが必要な子ほど、出会ってはいけないものがそこにある。助けが必要な子ほど、支援に結びついていないという実態がある」(p186、第6章 退官後も「世直し」を続ける)
    そこで、村木さんは2016年に退官したあと、一般社団法人として「若草プロジェクト」を立ち上げます。弁護士の大谷恭子さん、村木さん、そして作家の瀬戸内寂聴さんが理事になる。この活動は「つなぐ」「ひろめる」「まなぶ」の三つが軸になる。「つなぐ」では、少女たちと支援者をつないだり支援者同士をつないでいる。「ひろめる」では少女たちの実情を社会に広める広報活動、「まなぶ」とは彼女たちの実態を学び、信頼される大人になるための支援活動だという。(p187〜188までを編集)
    村木厚子さんはまさに「正義の味方」だ。社会を闊歩する怪人や怪獣をやっつけるために「つくみ」というスペシウム光線でやっつける。大変な試練にもさらされるが、それに耐え抜き、凛と立ち向かっていく。村木厚子さんは、ウルトラウーマンなのである。
● 家庭を円滑化するにもルール化
   ほほえましいと思ったのがここだ。家族が円満にいくために「ポチ」というルールを設けているという。
「ポチはこんな風に活躍します。私が娘を叱っています。すると、娘が私に「ポチ」と言うのです。すると、私は「ワン」と、従順に答えなければなりません。どんなに娘を叱っている時でも、話の途中でも、です。それが決まりです。ポチは人間の言葉が話せないから、何があっても「ワン、ワン」と言うしかありません。そんなポチをしばらくやっていると、怒っていた私も「まあいいか」と言う気分になり、娘の方も落ち着いてきて、親子が再び仲良くなるというわけです」(p221、終章 闘いを支え続けれくれた家族へ)
    こういうルールが機能する家庭とは信頼し合っている証拠である。お互いがそれ以上言わないでという境界線がある。それが夫婦であっても親子であってもある。自分が傷つきそうになったら、この不思議な言語を言えば助かる。人を追い詰めない魔法の呪文である。それがルールとして家族で共有されている。実務家の知恵が家庭にも生きている。

   この本から村木厚子さんという人間の強さ、そして強くなれた秘密と知恵を見つけることができた。何事も仕組みを作る。ルールをつくる。そしてそれを動かしていく。簡単に言えば、あらゆる仕事がそのように片付けられるし、新しい事をそのようにはじめていくことができる。そしてその考えを共有する人たちがいて、いろんなことが動くんだと感じた。この本を最後まで読んだ時、私はある映画のラストシーンを思い出した。
   「JFK」のラストだ。主人公のガリソン検事がケネディ大統領が当時の政府絡みの暗殺でありクーデターだと裁判を起こし敗訴する。そのときに裁判所を出て、報道陣に「何度でも戦う」という言葉を残して去っていく。そのときに妻と子供と3人でどんどんと歩いていく。その姿はシルエットなりながらずっと歩いてく。タイトルバッグが流れ始める。正しいと思ったことをやり通した男、そしてそれを支えた家族。ガリソン検事の強さの秘密は家族だと印象付けれられた。そう、私は村木厚子さんにその姿を重ねていた。


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