青い花

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輝く金字塔

2019-04-22 07:30:33 | 日記
マッケン著『輝く金字塔』には、ボルヘスによる序文と、「黒い石印のはなし」「白い粉薬のはなし」「輝く金字塔」の三編が収録されている。

本書は、ボルヘス編集の“バベルの図書館”(全30巻)の21巻で、私にとっては13冊目の“バベルの図書館”の作品である。

“歴史の長い、汲めども尽きぬイギリス文学において、アーサー・マッケンはひとりのマイナー詩人である。(略)私はいま彼を詩人と呼んだが、そのわけは、苦心の散文で書かれた彼の作品は、詩作品のみがもつあの緊張と孤独を湛えているからである。”

マッケンの作品を読んだ殆どの人がラヴクラフトを思い浮かべると思うが、マッケンがラヴクラフトに似ているのではない。ラヴクラフトがマッケンの後継者なのだ。
文学史的な順番を無視してマッケンの作風を平たく表現すると、ラヴクラフトの作風から熱狂を排除し、代わりに詩情と郷愁を加えた感じ、だろうか。
私個人としては、folk taleを精神の支柱とし、オールド・ファッションと評されたA・E・コッパードの作風にも近いものを感じる。

もう一つの特徴、というかこちらの方が重要だと思うが、マッケンの作品世界では、かつてイギリスを支配したいくつもの民族の残り香が古いものから順に妖しく美しい層を形成しているということである。

“彼はケルト人であることに、あくまでもこだわりつづけた、ということはつまりローマ人より早い、サクソン人より早い、この地にその名を与えたアングル族より早い、デーン人より早い、ノルマン人より早い、この島に入植したどの人種よりも早い先住民族であることにこだわりつづけたということだ。幾多の勝利者たる民族によってつぎつぎと重ね書きされてきたこの俗界の羊皮紙文書ともいうべきものの下に、マッケンは、その大地にしっかりと根を張って原始の魔術的な知に培われてきたという、古参者の勝利感をおぼろげながら味わうことができた。”

勝者の歴史を上から順に一枚一枚剥いでいくと、最後にケルト人に行き当たる。
ケルト人はこの土地のもっとも古い敗者なのだ。ケルト人であることに拘り続けたマッケンは、はるか遠い昔に戦いに敗れ、歴史の闇に追いやられた祖先たちの孤独に寄り添い、逆境に耐え続けた。
今日では、アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズと並んで欧米怪奇小説の三大巨匠との評価を受けているマッケンであるが、当時のイギリス文学界においては、不道徳であるとの激しい批判を受け、汚物文学とまで蔑まれ、著作は売れず、生活は苦しかった。彼はタリエシンがケルト人に捧げた「彼らはつねに戦いに加わり、つねに敗れた。」という詩句を愛唱していたという。
日本では、ラヴクラフトに比べると紹介される機会が少なく、どちらかと言えばマイナーな印象のマッケンだが、古い古い敗者の血を引く彼の作品は、平家と南朝の嘆きを愛する日本人の感性に馴染みやすいのではないだろうか。

本書に選ばれた三編のうち「黒い石印のはなし」「白い粉薬のはなし」は、マッケンの一番有名な作品『三人の詐欺師』所収の物。この二編と「輝く金字塔」は、奇妙な石の配列や謎の言語の発見、その付近で起きた失踪事件、異形の者の秘儀など共通する要素が多くて、世界観が一つの連作短編集の様で読みやすい。


「黒い石印のはなし」では、とある大学教授の失踪の顛末を、助手を務めていた女性が語る。

実家の没落で行き場を失くしたラリー嬢は、偶然知り合ったグレッグ教授に拾われ、彼の助手を務めることになった。
義務として抱えていた『民族学教本』の原稿を仕上げた教授は、ラリー嬢にこれから自分が本当にしたい研究に本腰を入れることを告げる。それは「グレイ・ヒルの石灰岩に刻まれたる文字」に纏わる謎で、グレッグ教授は既にそれと関連があると思われる二、三枚の紙切れと奇妙な印の付いている黒い石を入手していた。
グレイ・ヒルの石灰岩と黒い石には同じ形の奇怪な文字が刻まれていた。教授によると、石灰岩の文字は15年くらい前のもので、黒い石印の文字は四千年以上前のものだという。
そして、教授が黒い石と一緒に保管していた地元の新聞の切り抜き。そこに報じられている失踪事件や殺人事件も石の文字と関連があると教授は考えている。

教授は研究のためにラリー嬢を伴って、グレイ・ヒルそばのカーマンという町に別荘を借りた。ラリー嬢は、別荘の本棚に収められた地誌学者の著作の中の、ラテン語で書かれた文章に注目し、翻訳してみた。

“「この種族は」とわたくしは自分なりに翻訳してみました。「人里離れた秘密の場所に棲み、荒涼たる丘の上で忌まわしき秘儀を行う。顔形をのぞきて人間らしきところさらに無く、人間の習慣とは無縁にして日光を忌み嫌う。人語を話すというよりもシャアシャアと唸り、その耳障りなる声は恐怖を覚えずして聞き得ず。一つの石を尊びてこれを六十石と呼ぶ。六十の文字を示せるが故という。この石には秘密の、口にすべからざる名前あり。イクサクサルがそれなり」”

ラリー嬢からそれを聞いた教授は、この近辺にはあまり頭の良くない若者たちがいるが、自分がそういった若者を連れて帰って来ても気にしないで欲しいと言い出した。そして、ある日、本当に新しい使用人として一人の少年を連れて来たのだった。
ジャーヴェーズ・クラドックという名のその少年は、明らかに白痴で、おまけに癲癇持ちだという。既に使用人の手は足りているというのに、何故そんな奇妙な子供を雇い入れたのか?
クラドック少年をよく知る庭師のモーガンによると、少年の父親は彼が生まれる前に他界していた。それですっかり気の触れた母親は、グレイ・ヒルにしゃがみこんで泣いていたのだそうだ。父親の死後八ヶ月ほど経って生まれた少年は、奇妙な声をあげることで他の子供たちから怖がられていた。

更にしばらく経って、ラリー嬢はクラドック少年の発作の現場に居合わすことになった。
少年の体は電撃に打たれたように痙攣し、顔は紫色に膨れ上がっていた。歯ぎしりしながら泡を吹き、喚き散らすその声は、何か汚らわしい古代に葬られた言語のようにも聞こえた。
そして、ラリー嬢が何より恐ろしいと思ったのは、少年の上に屈み込んだ教授の顔だった。その時、教授の顔には禍々しい喜悦の表情が浮かんでいたのだ。ラリー嬢を苦境から救い出した親切な教授が何故、そんな悪魔的な表情で苦しんでいる子供を見つめるのか?

地元の方言に詳しい牧師でさえ聞いたことがない奇怪な言語を話すクラドック少年。彼の容貌は、ラリー嬢が訳した地誌学書のある種族の容貌に酷似していた。
グレイ・ヒルの石灰岩に刻まれた文字は15年ほど前のもので、丁度その時期にクラドック少年の母親はグレイ・ヒルで泣いている姿を目撃されていた。
グレイ・ヒル付近で起きた殺人事件で使用された原始的な石斧は、四千年以上前の製法で作られた物と推測された。
森へ行ったきり行方知れずとなったグレッグ教授。彼の持ち物は、あの石印と同じ文字の書かれた羊皮紙に包まれて発見された。
……これらの謎は、グレイ・ヒルに潜むある古の種族に結びついていた。クラドック少年の本当の父親は、異形の矮人の末裔だったのだ。

黒い石印の文字を調べていたグレッグ教授は、グレイ・ヒルの風習・伝承と付近で起きた未解決事件との関連に気が付いた。そして、それらの背後に、その存在を口にするだけで神への冒涜となる、遠い昔に消えたはずの異形の種族のにおいを嗅ぎ取ってしまった。
闇の世界に触れた教授は、異形の者に殺されたのか、それとも、彼自身が異形の者になり果てたのか。その末路は不明である。


「白い粉薬のはなし」は、学問にのめり込むあまり、引きこもりがちになっている弟の健康を心配した姉が、医者に掛かることを勧めたことから起きた悲劇。

医師の処方には何の落ち度もなかった。ただ、薬問屋の管理が杜撰だったのだ。
薬を服用するようになったフランシスは、夜な夜な遊び歩くようになる。最初は弟が陽気になったと喜んでいた姉も、徐々に弟の挙動に不信を覚えるようになる。
やがてフランシスの手に奇妙なシミが浮かぶようになり、そのシミは徐々に広がっていって、目つきも異様になり、自室に籠りっきりになった。
姉が再び医師に相談すると、医師は様子を見に来てくれたが、フランシスの部屋から出てくるなり、恐怖に震えながら「もう私を呼ばないでください」と言い捨てて帰ってしまった。そうして、途方に暮れた姉が窓から弟の部屋を見ると、そこには得体の知れない異形の者がいたのだった。

“いえ、それは人間の顔形などしていませんでした。何かある生き物が、爛々と燃える二つの眼でこちらをにらみつけ、その眼は、何かわたくしの恐怖の念と同じように形状をなさないものの真ん中に光っておりました。それはあらゆる邪悪と腐乱の象徴であり、現前でありました。”

医師が処方した珍しい塩は薬問屋のいい加減な管理によって、偶然か暗合かサバトの酒の原料と同質のものと化していた。本当のサバトの秘密とは、アーリア人がヨーロッパに入って来るずっと以前から存在した、ある邪悪なサイエンスの秘密なのだ。薬を常用したフランシスは、サバトに向かう邪教徒の様に夜な夜な出歩くようになり、遂には肉体が溶解し、腐った肉汁が沸きかえっているような液体とも個体ともつかない異形の者になり果ててしまったのである。


マッケンの作品においては、人間は容易く邪悪な存在に取り込まれる。
森に消えた人々の言い伝え――日本風に言えば神隠し――は、邪悪に屈服し、人間社会から転落した人々の物語なのだ。このような邪悪の勝利は、単に屈服した人間の堕落に留まらず、様々な罪を体現し、その罪を蔓延させ、精神だけでなく、肉体をも腐敗させる。我々が御伽噺や絵本で親しんできたあの美しい妖精や剽軽な小人、箒に跨った魔女たちは、古代に闇の世界に追いやられた隠微な存在の飾り立てられた姿なのだった。
彼等は土地の伝承の古層だけでなく、そこに住む人々の血の中にも潜んでいる。それを蘇らせるのは、石に刻まれた文字だったり、サバトの薬だったりする。人間の魂を一皮一皮剥いて行けば、最後に辿り着くのが彼等異形の者なのだろう。邪悪に屈服するというよりは、邪悪に還ると言った方が正解かもしれない。
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