青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

バートン版『千夜一夜物語』

2019-11-18 07:41:36 | 日記
バートン版『千夜一夜物語』は、ボルヘス編集の“バベルの図書館” (全30巻)の15巻目にあたる。私にとっては29冊目の“バベルの図書館”の作品である。

“バベルの図書館”全巻読破チャレンジを始めて早くも11ヶ月が経った。
残りはガラン版『千夜一夜物語』のみだ。飽きっぽい私がここまで続けて来られたのも、すべてはボルヘスのおかげである。本当はもっと早く読み終わる予定だったのだけど、目の痛みが酷くて長時間の読書に耐えられなくなってしまいまして。人生の喜びの何割かを失ってしまった気がする。

最初に、パピーニ『逃げてゆく鏡』を読んだ時から、『千夜一夜物語』でこのシリーズを締めるつもりだった。ガラン版とバートン版、どちらを最後にしても良かった。だが、ガラン版は教訓めいた話が多く、バートン版は官能的な話が多いとの書評を読んだので、先にバートン版を読むことにしたのだ(好きな物から先に食べる派)。同じ千一夜でも翻訳者によってテイストが変わるのが面白い。

『千夜一夜物語』は、原語では「キタープ・アルフ・ライラ・ワ・ライラ」というのだそうだ。「アルフ・ライラ」が「千の夜」で、「ワ・ライラ」が「一つの夜」である。呪文のようにエキゾチックな響きだ。

リチャード・フランシス・バートン大尉は、イギリスを代表する冒険家だ。ほかに言語学者、作家、詩人、軍人など様々な顔を持つエネルギッシュな教養人である。
バートンは、十七ヶ国語で夢を見、三十五ヶ国語を操ることが出来たという。顔にはアフリカで負った大きな傷痕があり、アフガンに身を包んでアラビアの諸所の聖都に巡礼したり、回教僧に身を窶して現地の病人に医術を施したりたりしながら、回教徒の習俗の知識を貯めていった。回教はバイロンと並んで彼の尊敬するものだった。バートンの命知らずな冒険については序文で軽く触れられているが、それ自体が一つの心沸き立つ物語のようである。彼を崇拝する者が多くいたのも不思議ではない。

ところで、『千夜一夜物語』の原典は、決まり文句しか出てこない「乾いた、職業的」な文体なのだそうだ。
そのまま翻訳したらあまりにも単調なこの十三世紀回教徒の伝承説話を、原典の脅威的発想力を損なわずに、十九世紀の英国紳士を楽しませる物語に仕立て直すのにはどうすれば良いのか。バートンがこの問題を解決するのには、冒険家としての、言語学者としての、詩人としての、彼の持つ様々な知識と経験が必要であった。
バートンは、直訳すると「……と言った」ばかりになる原文を、「……と尋ねた」、「……と乞うた」、「……と答えた」といった複数の語に置き換えている。さらには、古語と隠語、特殊な階層・職業の者の通語を共存させている。新語や外来語は枚挙にいとまがない。物語の要所要所で読者に対して勿体ぶった語り掛けをしたり、登場人物に原典には存在しない修飾を加えたり。所謂超訳というものになるのだろうか。それが翻訳者として誠実な仕事なのかどうかはわからないが、少なくともエドワード・レインの正確な「散文訳」よりは、物語として魅力的に仕上がっているのではないか。

バートン版の『千夜一夜物語』は、「真にまじめな流布本としてこれに勝るものはない」レイン版に欠けている要素――つまりエロスの方面にかけて驚くほど有能であった。この辺は、本人の実体験も効いているのだろう。無論、そればかりではない。
“懲役の判決と、体刑および罰金刑の擁護。パンに対する回教徒の尊敬の礼。バルキス女王(シバの女王のアラビア名)の毛深い脚に関する伝説。死を表現する四つの色の名称。忘恩の東洋的理論と実践。天使は糟栗毛を、魔神は鹿毛を好むという情報。知られざる「全能のかなう夜」、すなわち夜々のなかの夜の神話の要約。アンドルー・ラングの皮相さの非難。民主政体に対する酷評。地上、火中、楽園におけるマホメットの呼称の総目録。長寿で長身のアマレキ人への言及。男は臍から膝まで、女は頭から足までという、回教徒の恥部に関する知識。アルゼンチンのガウチョの焼き肉に関する考察。乗られるほうも人間である場合の「馬術」のむつかしさへの言及。マント狒々を人間の女とかけあわせて品種を改良し、善良なプロレタリアという下級人種を派生させようという遠大な計画”等など、下世話だったり、皮肉だったり、ユーモラスだったり、人間の好奇心を掻き立てる様々な刺激物が詰め込まれているのである。


ボルヘスがバートン版『千夜一夜物語』から選んだのは、「ユダヤ人の医者の物語」と「蛇の女王」の二篇だ。

『千夜一夜物語』は、枠物語という入れ子構造の物語形式である。
基本の物語、つまり一番外側の枠にあたる物語は、ササン朝ペルシャのシャフリヤール王が、彼の留守中に不貞を働いた妻と彼女の愛人たちの首を刎ねたところから始まる。
それからというもの、シャフリヤール王は、臥所に一夜限りの処女を迎えては、翌朝に首を刎ねることにした。やがて宮中に処女が居なくなったので、シャフリヤール王は大臣に処女を探してくるように命じた。
大臣が苦悩していると、娘のシャハラザードが、自分が王の相手をすると申し出た。シャハラザードは、夜ごとシャフリヤール王に物語を聞かせた。そして、王が興味津々になったところで話を打ち切った。シャフリヤール王は、翌日も続きを聞かせて欲しくてシャハラザードを生かし続けた、というもの。

「ユダヤ人の医者の物語」と「蛇の女王」は、シャハラザードがシャフリヤール王に語った膨大な物語の中の一部である。どちらとも色恋の匂いが強い物語なので、寝物語には最適と言えよう。

特に、「蛇の女王」は、まず、ハシブの物語があり、その中に、蛇の女王の物語があり、さらにその中に、プルキヤの物語とヤンシャーの物語があるという、開けても開けても新しい物語が出てくる凝った入れ子構造になっている。最後にきちんとハシブの物語に戻っているのもすごい。毎晩こんな面白い物語を聞かされたら処女を殺している場合じゃなくなるわ、と納得する。暴君の悪癖を改めさせるには、同情を引こうとしたり良心に訴えかけたりするより、もっと面白いことに気をそらさせる方が有効なのだろう。
冒険、魔法、変身、美女、性愛、財宝、飽食、戦闘。人間のあらゆる欲を刺激するエキゾチックで艶めいた物語たち。
男性の登場人物たちはイマイチぱっとしないけど、胴体は大蛇で顔は人間の美女の姿をした水晶のように輝く蛇の女王とか、羽根を脱ぎ捨てると乙女の姿になり裸体で水遊びに興じる鳩の三姉妹とか、人外の美女たちの描写は大変に蠱惑的だった。
コメント    この記事についてブログを書く
« 聊斎志異 | トップ | ガラン版『千夜一夜物語』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿