はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

青い玻璃の子馬 その2

2019年04月13日 13時18分44秒 | 青い玻璃の子馬
この唐突で、一見すると関連性のなにもないような光景も、自然からすれば、まさに『自然』なものなのだろうと、あたりまえのことを、草の上に寝そべりながら、馬超は思う。
そうして、じつにらしくない状況に苦しんでいるおのれを振り返り、ひとり、心を沈ませるのであった。
そんなふうに過ごしていた、ある日のことである。

毎日のようにだれかの屋敷に招かれていた馬超であるが、さすがに疲れてきたので、その日はなにも予定をいれず、馬をはしらせて、崖にやってきていた。
ここに足を運ぶようになってから、ほかのだれかと顔をあわせたことはない。
たまに、ぬかるみに人の足跡がのこっているから、ほかに、だれかがこの場所を使っていることはわかっていたが、すくなくとも、成都の町中にいるのとちがって、孤独をたのしめるのには、まちがいなかった。

やわらかい草のしとねのうえで、目をつむっていると、さく、さく、と、軽い足音が、草のうえをあるいてくる音が聞こえてきた。
どうやら、だれかがやってきたものらしい。
鹿やたぬきの類いではないだろう。足音がそれにしては大きかった。
とはいえ、大人の男でもあるまい。足音が軽すぎる。
女、あるいは子供か。
馬超は、いい意味でもわるい意味でも、両方のことが好きであったから、向こうを驚かせてもいけないだろうと思い、上半身をおこして、あらわれる何者かにあいさつをしようと思った。

そうしてみれば、やってくるのは、粗末ではあるが清楚な身なりをした若い娘で、まっすぐ前をむいて、ゆっくりと慎重に歩いている。
その手にはその身を先導するための杖があり、杖の先は、行く手の安全をたしかめるために、ひっきりなしに右に、左にと動いている。
娘の目線が、真っ直ぐ正面からほかに向かないところから見ても、娘が盲目であることはすぐに知れた。
従者を連れていないようであるから、良家の子女ではあるまい。
だが、その顔を見たときに、馬超は、野に咲く可憐な、名前も知らない白い花を思い出した。
青白い肌をしたその娘は、垢抜けてはいなかったけれど、聡明そうな、かわいらしい顔立ちをしていた。
盲目の娘が、なにゆえこんなところで一人で歩いているのだろう。

ちらりと、崖のほうを気にしていた馬超であるが、娘はというと、ちゃんと農道に沿ってあるき、崖のほうには向かわない様子である。
これは、かえって声をかけないほうが、驚かせないだろうと考えて、娘がさくさくと道を行くのを見守っていると、そのうしろから、邪魔なものが数名。
いかにも街の鼻つまみものだとわかる男たちが、小走りに娘を追いかけてきたのである。

かれらは、叢に隠れる格好となっている馬超と、そのそばにつないである愛馬には気づかない様子である。
「おい、待て、青翠、どこへ行くのだ」
青翠(せいすい)という名であるのかと、馬超は、その粗野な男のことばで、娘のなまえをおぼえた。
うすい灰色の衣に、うすいみずいろの帯をしめた、名前にぴったりの落ち着いた色合いの服をまとった娘である。
手にした杖は白く、男たちがあらわれても、青翠は、まるで聞こえないかのように、たんたんと道をあるきつづけていた。

が、馬超は、近づいてくる男たちの顔を見るなり、ひどく不愉快な心持ちにおそわれた。
男たちの顔に浮かぶその顔には、はっきりと、この人気の無い場所で、いかに娘を思うようになぶってやろうかという、その思惑が浮かんでいたからである。
名前を知っているからには、知り合いなのだろう。
青翠という娘が、なぜひとりで、こんなふうに人気の無い場所を(若い娘にとっては、危険な場所であるといえよう)を歩いているのかはしらない。
知らないが、どうやら、男たちは、青翠がこの場所に入るのを見て、よからぬ思惑で持って、追いかけてきたようであった。

「青翠、すこし、話をしないか」
男のひとりが、なれなれしく口をひらいた。
ことばをいくらか交わすことで、これから自分たちが行おうとしている狼藉の罪の重さを、軽くしようとでも思っているのだろうか。
「どこへ行くのだ。こんなふうにひとりでは、あぶないだろう。俺たちが一緒についていってやろう」
狼の群を引き連れていくのとおなじである。

青翠は、沈黙のまま、さくさくと道を踏み分けていく。
最初、馬超は、青翠が黙っているのは、おそろしさのためであろうと想像していた。
なにせ男たちは四人。
自分は目が見えない。
まわりには、助けてくれそうな者はいない。
これでは、たしかに恐ろしかろう。

しかし、青翠が、馬超が寝そべっていた場所にどんどん近づいてくるにつれ、そうではないことに気がついた。
馬超は、青翠が、耳も聞こえて無いのではと疑った。
それほどに、青翠の表情には、恐怖や戸惑いが浮かんでいなかった。
かといって、まさか喜色が浮かんでいるわけでもない。
無色な女。
そんな奇妙な言葉が頭に浮かぶ。

男たちはたがいに目配せをして、青翠をてきとうな藪の中に押し倒す計画を、無言のうちにたてている。
間近にいる青翠に、その気配が感じ取れないはずがない。
それでもなお、青翠の表情はうごかない。

いや。

馬超は、じっと娘の表情を観察していて、気がついた。
娘には、表情がないのではないのだ。
恐怖もなにも通り越して、すっかりあきらめきった顔をしているのである。
こういった目に遭わされるのは、じつは一度や二度ではないのではないかとさえ、馬超は嫌な想像をはたらかせた。
と、同時に、怒りが沸きあがる。
女子どもを理不尽に傷つけて平然としていられるような輩は大嫌いだ。
そういう輩こそ、この刃の餌食になるべし。
というより、ただ斬るだけではすまさぬ。
宦官にでもして、劉備に献上品として贈りつけてやれ。

腰に帯びた剣の柄に手をかけた馬超のこともしらず、男の一人がいう。
「なあ、おまえも、なんにもしらないわけじゃないのだろう。なにせ高家の旦那の囲いものになるののが決まったそうじゃないか。
それも、高家の旦那はいまからおまえにご執心で、もうおまえの家に通いつめているって。いい思いをさせてもらっているのだろう。
なあ、おまえが高家にもうすぐ引き取られてしまうのは聞いているのだよ。その前に、おれたちにも旦那とおなじことをさせてくれよ、さびしいんだよ、青翠。おまえみたいにやさしい娘なら、俺たちのことをなぐさめてくれるだろう」
いいながら、男が青翠の肩をつかみ、藪のなかに引き込もうとする。

娘は、一瞬だけ抵抗する素振りをみせたが、すぐに力を抜いた。
抵抗することを、あっさりとあきらめてみせたのだ。
それを見て、男たちはたがいに顔を見合わせて、よこしまに笑いあった。
「言ったじゃないか、こいつは、だれになにをされても文句を言わない。あの変態のひひじじいの言いなりになっているくらいだ。俺たちの言うことだって、ふつうに聞くさ」
「高家の旦那なんかより、おれたちのほうが、よっぽどやさしくしてやるよ、ほら、そこに横になれ」
どん、と乱暴に娘を藪に突き飛ばし、逸る気持ちをおさえきれぬとでもいうように、男が自分の帯に手をかけた。
そうして、前をくつろげてみせるのであるが……

「斬るにしても小さすぎて、なかなかむずかしいな。からす瓜を切り取る要領でよいのかな」
などと軽口をいいながら、ひゅん、と刃が男の鼻先を掠める。
と、同時に、すさまじい、それこそ筆舌に尽くし難い激痛が、股間を襲った。
ぱっと鮮血が、青草の上に散る。
まるで若者は、命を取られたように絶叫するが、馬超は、若者の、その粗末なものの表面を、ちょっぴり傷つけただけにすぎない。
「つまらぬものを斬った」
いいながら、馬超は、ほかの三人のほうを振り返ると、無造作に言った。
「おい、おまえたちも脱げ」
ことばの意味がつかめずに、凶悪な闖入者の出現におどろきうろたえる三人であるが、馬超は短気なところをみせて、ぼう然としている男たちの帯を、ざくり、ざばりとみずから切り取った。
そうして、下着のうえからでもかまわぬと、畏縮しているそれを斬ってしまおうとするのであるが、とたん、三人の若者と、大事なものを斬られて恐慌に至っている若者は、怪物に遭遇したように、けたたましい悲鳴をあげながら、雑木林のなかを、めちゃくちゃに走って、逃げていった。

青翠のほうはといえば、横倒しにされたままの状態で、なにがあったのかと、ふしぎそうな顔をしている。
馬超は、丁寧に、剣の先についた血を拭き取ると、盲目の娘に近づいていった。
その足音に、娘は、はじめて怯えたように、身体をすこしよじらせた。
「安心せい、おまえを襲おうとは思わぬ。怪我はないか。立てるか。手を伸ばせ」
そうして、馬超が手を伸ばすと、娘は素直に、自分の手を差し伸べてきた。
馬超の手をにぎって、はじめて、むすめは口をひらく。
「助けてくださって、ありがとうございました。あなたは、高大人に雇われた方ですか」
さきほど、連中が言っていた、高家の旦那とかいうやつのことだな、と思い、馬超は答えた。
「いいや、俺は単に、ここで昼寝をしていた者だ。高大人とは何者だ?」
馬超がたずねると、かえって娘はおどろいたような顔をした。
「ご存じないのですか。高大人は、成都でも有名な金貸しです」
「おまえがそいつの囲い者だと、連中は言っていたな」

とくになんの感慨もなく、事実を馬超が口にすると、娘は、どこかで見たことのあるような、皮肉げな、冷たい笑みをうかべてみせた。

「あれを囲い者というのかしら。わたしはこのような身ですが、男と女のことは知っています。けれど、ただただ、わたしを撫で回すことが、男女のまじわりというの。あんなことしかできない老人なんて、ちっとも怖くないわ」
馬超はおどろき、言った。
「清楚な身なりに見合わぬ大胆なことを口にする女だな」
「あなたは、成都の方ではないのですね。ことばでもわかります」
と、立ち上がりながら、青翠は言った。

その青翠に、馬超は落ちていた白い杖を握らせてやる。
「高大人はたいそうな高齢で、それでもたいへんな好色家なのです。金を貸したものが返せなくなると、そこの家の若い娘を担保の代わりに奪っていく。そうしてわたしも担保にされたのですけれど、お気の毒なあの方には、年をとりすぎていて、もうわたしを『女』にする力はもうないのです。
ただ、わたしを撫で回したり、舐めまわしたりするだけなのが精一杯。それがどうしてよそにばれたのか、そのことは、成都のほとんどの者が知っています。わたしは笑話の登場人物のひとりというわけです。
さっきの者たちは、そんな話に刺激をされて、わたしをつけてきたのでしょう。あなたがいてくださってよかった、あらためてお礼を申し上げます。そうでなければ、わたしはいまごろ、あの男たちに『女』にされていたでしょうから」

馬超は、女の表情に浮かんでいた、あきらめの表情の意味を、ここでようやく知ったが、しかし同時に、うまく説明はできないけれども、反発もおぼえた。
「担保など、おまえの親はどれだけの借金をしたというのだ」
青翠が答えたその金額は、馬超の俸禄の十分の一にも満たない額であった。
「莫迦らしい。それならば、これもなにかの縁、わたしがおまえの親のかわりに高家のじじいとやらに借金を払ってやろう」
「では、その代わりに、あなたがわたしを担保になさるのですか」
そのことばは、馬超の誇りを、いたく傷つけた。
もしも青翠が女でなかったなら、容赦なく横面を張り倒していたであろう。
「わたしはそのようなことはせぬ! 世の男のだれもが、おまえにおなじ欲望を抱くと思うなよ! まったく、不愉快なことだ。
おい、青翠とやら、このまま散歩をつづける気はもうないだろう。馬でおくってくれよう。わたしもここでゆっくりする気が失せた。来い!」
そう言って、なかば引きずるように、馬超は女を馬に乗せると、成都へと戻って行った。





一方、屯所の趙雲は、遠方から、わあわあと騒ぎながら、戸板に乗せられて運ばれてくる若者と、その父親らしい姿をみるなり、なんとなく用件を想像して、うんざりした。
こういうところの勘は、とてもよくはたらくのである。
せっかく、今日はなにもない、穏やかな一日で終わりそうだと思っていたのに。

「趙将軍、どうぞお力添えを!」
戸板のうえで、泣きわめいている若者と、付き添いの医師と、若者を励ましているその仲間たちの、にぎやかななかで、ひときわ哀れっぽい声で、若者の父親らしい老いた男は言った。
「峠に鬼がでたのでございます! そうしてその鬼が、あろうことか、息子の、わが息子の大事なものを、斬ってしまったのであります!」
みれば、戸板の上の青年の股間はぐるぐると真白い布で巻かれ、血がにじんでいる。
戦場で負傷した者を見慣れている趙雲はたずねた。
「すっぱり斬られたのか」
そのことばに、蒼白な顔をしたのは老人のほうである。
ぶんぶんと首を振って、言った。
「とんでもございません! 傷が出来た程度で済んだのは、まさに先祖の霊の加護があったからこそ。うちは祀りをかかしておりませぬからな!」
「ならば軟膏でも塗って、寝ておれ。ほかに金品を盗まれたというのならば、話は別であるが」
「いいえ、峠の鬼は、金を無心するでもなく、わが息子の大事なものをいきなり斬ったというのです。これは、祖霊に仇なす鬼神がつかわした、悪霊のしわざにちがいありませぬ! 息子が子をなせなくなったなら、わが家は絶えてしまいます! この世に、これほどの悲劇がありましょうか!」

趙雲は、むっとした。いろんな意味で、むっとした。

「悪霊にも意味があって、おまえの息子をねらったのだろう」
突き放すと、老人は目を剥いて叫んだ。
「なにをおっしゃいますか! わが息子ほど、親孝行で優しい子はおりませぬ! 趙将軍、どうぞ、峠の鬼を退治してくださいませ、後生でございます!」
趙雲は、おおげさに戸板のうえに寝かせられている若者の、仲間らしい青年たちを見た。
どれもこれも、いかにもあそび人といったふうではないか。
これはおそらく、ろくでもないことをしでかして、しっぺ返しをくらったにちがいない。
もしかしたら、叢で村娘を襲おうとしたまさにそのとき、蛇にがぶりと噛まれたものかもしれない。
だとしたら、天罰はすでに下っているわけだ。
あとは、このわあわあとうるさい連中を静めるのも、屯所の当番の役目ではある。

「わかった、峠の鬼だな。今日はもう日が落ちるゆえ、明日になったら、退治に行ってやろう」
「ありがとうございます、趙将軍!」
感謝する老人であるが、趙雲は帰り支度をしつつ、冷たく言い放った。
「それとな、治療の甲斐なく、おまえの息子が息子として役立たずになったら、俺に報告しろ。知り合いの宦官に、口をきいてやるから」
そういうと、父親は、哀号! とふたたび騒ぎ出したが、趙雲はまったくそれを無視して、自邸へとむかったのであった。

つづく……


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