スペックにわくわくする時代が好きでした | 元駄菓子屋ゲーセン息子のレトロゲーム秘密基地

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ファミコンには「ドンキーコング」「パックマン」などゲーセンでしか遊べなかったゲームを家で遊べる驚きがありました。

PCエンジンでは「ビックリマンワールド」「R-TYPE」「ドラゴンスピリット」など高クオリティーなアーケード移植への満足感。
そして当時の高級ホビーパソコンでしか遊べなかったADVやRPGがCD-ROM2でプレイできる優越感。

メガドライブでは当時のアーケード並みのマシンスペックにより「スペハリ」や「サンダーブレード」など体感ゲームへの期待感。
スーパーファミコンでは「グラディウスⅢ」「ファイナルファイト」の高クオリティの満足感、そして「F-ZERO」のスピード感に驚き「FF4」のドラマチックな展開に魅了され。

プレイステーション、セガサターンでは「リッジレーサー」「バーチャファイター」が家にやってくる異次元な高揚感。
そしてプレイステーション2では、プレステやサターンのローポリゴンが一気に古臭く見える驚き。

ファミコン以来、わずか十数年の間に発売されたゲーム機たちは、新しいハードが登場するたびにそのスペックへの驚きと期待感がありました。







PS3が発売されたあたりからでしょうか。
最新ハードに対しての、何とも言えない気持ちの違和感。

リッジレーサーを見ても「あーなんか綺麗になった」くらいは感じるものの、「あのゲームがついに家で遊べる!」みたいな期待感はもうなくなっていて、でも処理速度など数値上のスペックは飛躍的な進歩をしているのに・・・
 
PS4に至っては、画面をパッと見ただけではPS3とのスペックの違いすらわからず、「コレを遊びたい」というはっきりとした目的感がなくなってしまいました。

思えば、PSと一緒に進化を続けていた「リッジレーサー」シリーズは新ハードとともに新作を出し、そのスペックの可能性を感じることのできるタイトルでした。
 
「今度のリッジは○○な表現が可能に!」みたいな期待がいつもありました。
最新ハードにあわせてリッジの新作が出なくなったのは、映像表現などのスペックに感動する時代が終わったということなのかなと。
 
実現した瞬間に価値を失ってしまうのが「可能性」の寂しさですね。

でも、ゲームファンとしてこれ以上スペックに何を求めるのかって言われても、個人的にあまり望むこともなくて・・・
これも歳をとったということでしょうか。

「ゲームは中身だ、アイデアだ」
さんざん言われてきた言葉は今さら語るまでもないことですが。
 
色数が増え、音の表現が豪華になり、キャラクターが大きくなり、新ハードが出るたびに新しい可能性にワクワクしていた時代。
メガドライブだったらこんな表現が、PCエンジンだったら・・・という可能性には常にわくわくがあって、発売日の長い行列に並んでいたときの高揚感は特別なものでした。

今では、店頭に行列ができたりすることもなく、最新ハードは予約開始と同時にネットで一瞬で売り切れ。
一部の思い入れのない人たちによる高額な金額での転売。
 
もはや、わくわくというよりは・・・
 

 
もうすぐ新型プレイステーションが発売です。
今回はスルーですが、新しいわくわくがあることを願うばかりです。