京都まち歩き

いつも京都の街を見ながら、少しづつ、京都の街を散策しております
京都の行政書士です。歩く街京都!

ご先祖様のおかげ

2021-07-24 21:41:43 | 京都
私の祖父は、丹波の材木商でした。
丹波の材木を都に送る仕事です。
昔は、角倉了以が保津川を開き、丹波の材木や、物資を都見送りました。
また、田中源太郎は、鉄道を引き丹波の物資を都に送りました。
私の祖父は、トラックを入れて、陸から都に入れました。
昔は、母も、山惣の娘だと威張っていました。(私にはそう見えました)
昔は、嵯峨嵐山でも、二条駅の近辺でも、清水でも、山惣の孫だというと丁寧にごあいさつしてくれる人もありました。
今は、もう、そんないい方しませんが、ご潜像様にいかされている気持ちで毎日手を合わせています。
お盆には、お墓参りに行きます。

世にも不思議な町 こいのぼりが上がらない

2021-05-02 19:39:52 | 日記
私の、住んでいる町は、こいのぼりが1本も上がりません。
嵐山の松尾の神様が、鯉に乗って、来られたからといういわれがあります。その大井町は、こいのぼりが1本も上がりません。また、鯉料理も誰も食べません。お鯉様を、まつっているからです。
私が生まれた、保津町は、前が川で、鯉や、アユをよく食べます。京都市内でも、嵐山や、京料理には、鯉のアライや、鯉の甘露煮が出ることがあります。私は、郷に入っては、郷にしたがえということで、よく食べました。
しかし、大井町では、絶対食べません。

保津川下りを世界遺産に!

2020-09-27 19:51:09 | 京都
私は、京都の亀岡市の保津町で生まれ、保津川下りと共に育った。
保津川の渓谷は、本当にきれいです。自慢できます。
しかし、子供のの時から、何回も水害に襲われ、家財道具も流されたこともあります。
保津川は、羽柴秀吉の時から、丹波地方の材木や、物資を送る重要な川でした。
また、角倉了以は、保津川と、高瀬川を切り開いて、また、もっと多くの物資を送るように、川を切り開きました。その後、田中源太郎によって鉄道も引かれ、亀岡をはじめ丹波地方の物資を多く京の都に運びました。
昔、阪急が経営に乗り出したときに、大幅な合理化で船頭と衝突して、一時保津川下りは中断しました。
その後、組合が、京都府に陳情して、自主運営にこぎつけました。
しかし、船を作る大工がいないということになり、兵庫県の香住に木道船を作る大工さんがいるということで、浦川さん親子が、亀岡まで来てくれました。浦川さんは、今も亀岡に住んでおられます。
また、パンフレットもいろいろと考えて、世界の名勝 保津川下りとパンフレットができました。
また、外人が来られると言うことで、英語訳のパンフレットは、当時、学校を退職された桂さんが職員で来られたので、英語訳のパンフレットができました。
その後、イギリスの皇室からも来られることがありました。
保津川の渓谷は、素晴らしいということで、何人も来られています。
私も、四季折々の景色や、渓谷は素晴らしいと思います。
世界遺産として残していかなければいけないとおもいます。

お墓参り

2020-09-21 18:28:54 | 日記
今日は、朝から、亀岡のたわわという農協の野菜スーパーに行ってきました。
朝9時過ぎだというのに、駐車場は、満車です。
それに、レジに並んでいる人も、6か所ぐらい空いているのに、長い行列です。私が、かごに1つ入れて、レジの順番を並んで、妻が、必要なものを買っていました。
このペースだと、午前中には、ほとんど売り切れるみたいです。
ここで、お墓に行く、しきみと花、そして少しの野菜を買って実家の墓参りです。
いつも思うのですが、今日も、何十年ぶりかの親戚の人に会った。
お墓参りは、いろいろな人とめぐり合わせてくれるみたいです。
その後、少し仕事をして、食事に2000円の食事に、1000円オフです。
今日も、車が多かった。

保津川下り 船頭言葉

2020-09-05 20:57:06 | 日記
私の父は、保津川下りの船頭でした。
父の言葉に面白い言葉がありました。
農作業をしていても、夕方、浜に行ってくるという言葉をよく使いまいました。
浜とは、保津川下りの乗船場の会社のことです。
明日の予約がどれぐらいあるか見にいくということです。
帰ってきて、明日は、15はい、知れているとかよく言いました・
1ぱい、2はいは、予約船の数です。それで、明日の順番がわかるようです。
保津川下りには、4班ほどあり、いつ頃自分の順番かわかるようです。
知れているとは、予約があるという意味です。
保津川下りには、4つの班があり、1つには、川の下の篠町の山本の班、
もう1つには、川の上の勝林島と保津の一部、もう1つは、保津の地区、そしてもう1つは、保津でも
下の浜の班、昔のいかだ流しの流れでしょうか?
今では、世襲がなくなり、船頭も、若返りました。