京都まち歩き

いつも京都の街を見ながら、少しづつ、京都の街を散策しております
京都の行政書士です。歩く街京都!

保津に生まれる⑤

2020-08-27 21:23:09 | 日記
昔から、保津川は、重要な川であった。
都に物資を送る川として豊臣秀吉もいかだ船を送っている。
また、角倉了以も保津川を切り開いて、都に物資を送っています。
その後、田中源太郎は、鉄道を引き都に物資を送っています。
昔、嵯峨嵐山に製材所が多かったのも、ここで、水揚げして都に調達しています。
また、鉄道ができてからは、二条駅近辺に製材所や、木材店が、今でも多く残っています。
いつも重要な川でした。鉄道や、材木商の私のおじいさん山口惣次郎は、トラックを取り入れました。
明智光秀は、この亀岡で天下を取りました。その後、譜代大名でいつの時代も、重要な位置だったようです。この丹波亀山で生まれて、この保津川で産湯につかり、この保津川で育ち、保津という名前に感謝しております。
保津川は、亀岡から、嵐山までの名前で、その下は、大堰川、桂川、そして淀川です。また、亀岡より北は、大井川、またその上は大堰川です。一時阪急と組合が衝突したときに、保津川と、保津川下りを守ると、選挙公約に入れたのは、蜷川虎三さんでした。蜷川さんのおかげで、保津川も、保津川下りも今も残っています。
1つの川なのに、桂川でいいのではないかといった阪急も、身を引いてしまいました。
私は、大学生の時、石川県金沢市に4年間いたときに、堂々と、保津川下りの亀岡市保津町ですと言いました。保津と保津川下りに感謝しております。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿