かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

広渡廃寺跡は重要な役割を担って造営された寺院でした

2019-09-19 06:08:09 | かごめかごめの真実とは

2019年9月19日(木)

今は無き広渡寺は、東大寺大仏殿の造営責任者であった行基の開基でした。

その広渡廃寺跡から空海様の墓までと七面山までの距離は大凡315㎞と同距離でした。

広渡廃寺跡は、応神天皇の墓や藤原不比等の墓、そして空海様の墓の場所など重要な聖なる場所を教える重要な役割を果たしていました。

そしてその広渡寺で手を合わせて祈る重要な場所は、コンパスグラスで4度の場所で、このポイントは、粟鹿神社でした。

そしてその場所は、藤原不比等の墓から広渡寺までの距離と同距離で、粟鹿神社と広渡寺から導き出される重要なポイントは、丹後半島からモーセの御霊を移し替えて祀った場所を教えていました。

この場所は、現在の神河町にあるホテルリラクシア中庭の盛り上がった場所で、おそらく大事な磐座があったはずですが、建設時に壊されています。

でも・・その位置そのものを等高線地図から消し去ることはできません。

広渡廃寺跡と粟鹿神社とモーセの御霊を移し替えた場所とは、36度 54度 90度の正三角形の一部をなす直角三角形を描きます。

その消し去ることのできない重要な場所に手を合わす場所が、書写山円教寺の摩尼殿であり、賀野神社でした。

広渡寺は重要な役割を担って造営された寺院でした。

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