脊髄内腫瘍でした! ただいま療養中です。

坐骨神経痛だと思ってたら、脊髄に腫瘍が出来ていました。
珍しい病気なのでブログ書いてみました。

少し間があきました

2024-04-03 13:26:00 | 日記


私がいいねをしたのをきっかけに

過去に脊髄腫瘍の手術を受けた方からメッセージをもらい、

ベリーさんの脊髄腫瘍について話を聞かせて欲しいと言われました。


以前から脊髄腫瘍のサイトを運営してる方だったので、

私に何か協力出来ることがあれば是非と返事をしました。


いくつか質問に答えた後しばらくして、

ベリーさんは障害の受け入れが出来ていないので、

傷口をえぐるようなことはやめておきますという返事が返ってきました。


その方なりの気遣いだったのかもしれませんが、

障害を受け入れてないと言われたことが

どうにも悲しくなりました。


そもそも障害の受け入れって?

受け入れなければならないことなの?

受け入れてないって人に判断されることなの?


大人気ないと言われるかもしれないけど、

リハビリも頑張ってます。

また野原を駆け回ろうなんて思ってるわけではないけれど、少し良い動きが出来たら喜んでます。


そんな私を否定された気が

少しだけしました。


父のこと

2024-03-01 16:53:00 | 日記



父は用意周到な人間だったので、いつからか、気持ちの上でも旅立つ準備をしていたようです。


亡くなる年の春には母と結婚して暮らし始めたアパートの跡地や、思い出の場所を私の妹の車で巡り、目に焼き付けていたようです。


地方から嫁いで来た母をあんなに幸せにしたのに、

最後には、


色んなしがらみのある中、僕のところにお嫁に来てくれてありがとう


と言ったらしいです。


そういう事をちゃんと言える人でした。

思えば、ありがとうをたくさん言っていました。



体はだいぶ弱ってはいたものの、

頭はしっかりしていて、私の娘が留学からもどり、

イギリス人の彼氏が出来た事を報告すると、

それはそれは喜んで

でかしたな!と言ったらしいです。


父は事あるごとに私に手紙やハガキを書いてくれました。

毎年届いていたバースデーカードが今年からはないと思うと誕生日が来て欲しくない気がしました。


親を見送る事ができたのはいい事だとは思いますが、まだまだ悲しみは癒えません。


またお父さんに会いたいなぁ。


ここで皆さんに読んでいただける事でも

心がだいぶ楽になります。

ありがとうございます。



葬儀とお墓のこと

2024-02-18 00:26:00 | 日記
備忘録

 父は三男だったので新たにお墓が必要でした。
 しかし、子供は私と妹の女だけ。二人とも嫁に出ました。けれど、うちに男の子が産まれた事で、父はお墓を購入しました。
それも私の夫の名前で。

 常々、胃ろうはしないでくれ、葬儀に金はかけないでくれ、戒名もお経もいらない。
家族だけで見送ってくれればいい。
ただ花はたくさん飾って欲しい。特に大好きなリンドウを、と言っていたので、その通りにしました。

お位牌と墓誌には俗名がそのまま刻まれています。

お寺などのしがらみがなかった分、
事はわりとすんなり進みましたが、これでもまあまあのお金は必要でした。
(もちろん、父は用意していました)

 そして最後は実家の名義変更です。
こういった手続きは私は好きだったりするのですが、何度も法務局に出向いたりすることが今の私には無理でしたので、司法書士にお任せして、やっと完了しました。

あとは光熱費などの父の名前で契約していたものの名義や口座を一つずつ変更しているところです。

日常目にするものほとんどに父との思い出があり、まだ涙することはあります。

悲しみが薄らいでいくことに変な罪悪感を覚える事もあります。

この先どういう気持ちになって行くのは分かりませんが自分の気持ちには素直に向き合って行こうと思っています。






ここだけの話

2023-12-15 00:07:00 | 日記
備忘録も兼ねて色々と綴るつもりはあるのですが、

まだまだ向き合うには時間がかかりそうです。

そんなことをしているうちに忘れてしまうのではないかな、なんて漠然と後ろめたい気持ちもあります。

他のSNSでは私は特に後遺症のこと、
つまり車椅子であることを公表してはいないので、

ここでしか書けないことを記しておきます。

父は母によく私のことを

あの子はもう一生歩けないのか

と言っていたそうです。

やっぱり親としては、自分の子供が車椅子になって、不自由な生活をしているのを見るのは辛かったのだろうな、と

どうしようもない気持ちになります。

脊髄腫瘍ももっと早く見つかって
もっと慎重に病院を選んで
リハビリも頑張れば

もっと父や母の力になれて
いらない心配させずに済んだのになと思います。

泣いてばかりいないでリハビリは頑張っています。

落ち着きつつありますが。

2023-11-17 00:29:00 | 日記




 まだまだふとした瞬間に悲しくなりますが、

どこかに残しておかないと、忘れてしまいそうな自分がいます。


 実は23年前から些細な事で母との関係がギクシャクし、旦那や子供達が顔を出す事はあっても、私が実家に行く事はありませんでした。


 しかし、今年は父の米寿でもあるという事で、

父のたっての願いで子供や孫達も集まる事になりました。


 その少し前から打ち合わせ的な事で、私も実家に行くようになり、母との仲も元通りとなりました。

これは、遠回しに父の計らいだったと思います。


 以前から腎臓を患っていたものの、週に一度のデイサービスに通い、訪問マッサージを受け、母の手料理を食べ、長年の趣味だった俳句を作り、穏やかに暮らしていました。


 月1の通院が在宅になりましたが、


孫が夏に留学から帰るまでは、

秋に米寿を迎えるまでは、


と頑張っていました。


 頭はしっかりしていましたが歩く事がままならなくなり、トイレに間に合わない事もあったので、

最後の方はオムツでした。


オムツを替える母に、ニコニコしながら手を合わせ、ごめんね、ごめんねと言っていたそうです。


母は幸せにしてくれたから倍返しだよ、と返していました。


長くなったのと、込み上げてくるものがありますので

一旦この辺で。


お読みいただきありがとうございます。