トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

「東京2020」延期という博打に付き合う

2020-03-27 17:38:36 | 政治や経済
「東京2020」延期。がっかりだ。祭典騒ぎも2020年冬にはおさまるだろう、それまではじっと我慢・・・と自分に言い聞かせてきたのに。このストレスが、最悪で1年、長びいてしまう。
私は、招致活動が始まった石原都政時代からずっと、開催してほしくなかった。当時の都民では多数派だったはず。今は皆さんどうなんでしょうか。

しかし、まあ。宿泊付き観戦ツアーに申し込んだとか、とても楽しみにしている方々もおられる。それを台無しにしたくないし。あの「・・・トゥキョウ!」以来、そんなふうに、観念して過ごしてきましたよ。
それは今でも同じだ。求める楽しみが私と違う方々はいる。

アスリートの方々。人生を賭けている、という重さは理解しているつもり。ただ、想像はするが実感はできない。人生賭けてた他の場の人達が挫折する例が、あまりに多いので。私の感覚は麻痺してしまった。
こんな4年ごとの国家的総合的大事業の場でなくて、種目ごとの国際大会では不十分でしょうか。見ている私は結構夢中ですが(でも、テレビ中継なので、熱心な観戦者ではないのでしょう)。
「感動を与えたい」は私にはご無用。感動は日々見出せております。
代表を選び直すかとか練習の機会とか、公平性の問題は。公平・・・?スポーツ競技における、競技者本人・コーチなどのスタッフだけでなく、ウェアなどのツール・航空機でのクラス差・資金(国家予算やスポンサーや)・・・私にとって、オリンピックやパラリンピックは「公平」よりも「格差」を感じる場だ。だから醒めてしまう。開催までの過程において、いっそう感じてきた。工事から始まって何でもかんでも「東京2020のために」。今回の延期によってまたも思い知らされる、譲る側(他のイベント・費用を負担させられる納税者・予算配分のしわ寄せを受けるはずだった人、など)に対する東京2020の優位。なんなんだ、これ。

正直に書けば、私は延期よりも中止がいい。だが、観光業界や飲食業界など、開催にもろ利害ある方々の経済的危機が少しでも小さくなるなら、中止ではなく延期にすべきだ(まあ、ちょっと・・・。「延期費用に加え開催すればどんどんかさむであろう出費分の金額を各界への補償に当てて割に合うなら、中止すればいいのに」とは思ってる。オリンピックの在り方にはつねづね疑問があるので)。
とはいえ、「東京2020」開催が決まっていなかったら、日本にこんなにも観光・飲食などの業界が広がっていなかったかもしれない、という検討は続けたい。なぜなら、長期的で平時の日本社会のあり方を、東日本大震災をきっかけに考えるべきだった、と信じるからだ。
「東京2020」という非日常的イベントでの目くらまし的な一時的な経済活性化は、多くの国民にとっては経済的安定をもたらすものではないのでは。だからコロナで簡単にひっくり返る。
今回は、新型コロナウィルスが開催7ヶ月ほど前に知られ、やがて拡大し、開催を危うくした。だが、それは首都直下地震だったかもしれないし、開催直前や開催中だったかもしれない。通常の外国人観光客に加え、オリ・パラ関連の関係者や観光客が多数。そんな状況での大震災への準備はもちろんしているはず、と私は思っていた(なんておめでたい)。医療関係者さえマスクに不自由しているのが現実。もともと、場所によっては観光客が住民の日常生活を圧迫する(京都ではバスに乗れないとか)事態に陥っていた。ダイヤモンドプリンセス1隻だけでも大変だったのに。オリ・パラ開催地選考の際には、こういった災害時の対応費用・対策も織り込んでもらいたいものだ。
災害の有無は博打だ。10年近く前の開催決定・莫大な費用・・・というこんな大博打に経済を委ねたいか?私にはなんだかヒステリックに感じる。もっと日常的な長期的な構築はできないのか。
新型コロナ禍も大震災もなく、政府や都や商機をみた人々の予想通りに大成功・大儲けだったと仮定して。おかげで莫大な税収が得られたのだから、それだけでも私にも大きな恩恵があった、と言える?「東京2020」が成功例になって、そのお金でまた海外(独裁国家)の票を買い、また何らかの国際イベントを招くのだ(そのうちカジノ付き観光施設も作られることだし)。そんな経済の、日本のあり方でいいのか。


というわけで(?)、「東京2021」じゃなくて「東京2020」の無事開催を心から、ではなく理性から祈っています。仕方ないじゃないか、大人として責任があるのだから。
大人なので、身体中に充満したもやもや、より強力になったもやもやは抑えて協力する。
だから、「人類の勝利」「日本一丸となって」「困難を乗り越えた」「感動をありがとう」などに酔いしれるような皆様には。わかってほしい。皆様の感動に水を差すようなことはしたくないし、皆様も私のような人達(私だけじゃないんだよ〜ん)の気持ちも尊重してほしい。あんまりつつくともやもやガスが漏れるぞ。
「東京2020」での幸福を望む皆様ために、私は祈る。

でも、招致活動(竹田氏の件含む)から閉会までの金銭の動きをせめて企業の会計資料レベルで整備して、収支が誰にでもわかるようにするべき。関連文書すべて保存。将来の日本人達には、招致活動するかどうかをそういった資料も使って判断してもらいたい。
それが今の大人の責任の1つだ。

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