MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』21宿目~22宿目のまとめ。

【21宿目】 2019年12月12日(木)放送 

旅の内容:●鞠子宿  岡部宿▲静岡の美味しい紅茶怪奇?!トンネルの向こうに人影★親愛なる河田さんへ

スタートは静岡県静岡市駿河区・鞠子宿[丁子屋]。目標点は静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋]。約8キロのショートコース。

午前8:00、静岡県静岡市駿河区、鞠子宿にある『丁子屋』の前からオープニング。『とろろ汁』の暖簾をかき分けて、隠れていたつもりのくっすんが登場。

 

 とりあえず丁子屋の前で、広重の東海道五十三次の浮世絵をフリップで確認する。東海道の難所のひとつとされる、宇津ノ谷峠を行き交う人たちが描かれている。

 

午前8:10、雲一つない晴天の空の下、はりきってスタート。

 

スタートから1.5キロ、茶畑を取材する。静岡茶は、京都の宇治茶・埼玉の狭山茶と並び、日本三大銘茶のひとつに数えられる。静岡の茶の生産量は日本一で、全国の約4割のシェアを誇る。

 静岡では、江戸時代からお茶の栽培が盛んだった。

 

 茶畑で、主の村松二六さんと会い、お話しをうかがう。

 栽培しているのは静岡茶・・・ではなく、紅茶の品種。ダージリンとアッサムを交配した、国産紅茶・紅富貴(べにふうき)。見た目は日本茶に見えるが、茶葉を発酵させることで紅茶になる。

 

 明治時代初期、多田元吉がインドなどを巡り、紅茶の原木を持ち帰った。それを丸子の地で栽培し始め、日本初の国産紅茶を作った。元吉が残した紅茶を守るため、栽培に取り組んでいるのが村松さん。

 

 くっすんが試飲できないか聞いてみると、即オッケー。村松さんのご自宅で、紅茶をご馳走になる。ご自宅の前で、奥さんの時枝さんが出迎えてもらう。

 奥さんが目の前で紅茶を淹れてくれる。村松さん流美味しい紅茶(ミルクティー)の淹れ方・・・

 ①茶葉9gに対し、、98℃の熱湯400ml入れる。

 ②時間を計って、きっちり3分蒸らす。

 ③茶葉を茶こしでこしながら、別のティーポットに移す。

 

仕上げは、おとっつあん

 ④ティーポットに牛乳50mlを注ぎ込む(色具合が難しい)。

 ⑤砂糖をどっさり?、ティーポット入れる。

 

 ティーカップで飲んでみて、美味しさに唸る河田アナと、顔をほころばせるくっすん。くっすんが「僕、認定します。おとうさんは、紅茶仙人です。」と言ったら、反応してくれない、おとっつあん。

 スタッフさんの分まで、ミルクティーを作ってくれた。

 

スタートから4キロ、宇津ノ谷地区に入る。静岡市の美しいまちづくり推進地区に指定され、昔ながらの景観を守っている。各民家の玄関前の軒先に、白い粒々の集合体がぶら下げられている。

 

午前10:10、慶龍寺に到着。1578年に創建された、曹洞宗のお寺。お寺の秘仏は、空海が石で彫ったとされる延命地蔵尊。本堂にもぶら下げられている、謎の白い粒々『十団子(とうだんご)』。

 

 本堂の中で、ご住職の加藤さんに『十団子』伝説についてお話しをうかがう。

 昔の旅人は、宇津ノ谷峠を通らなければならなかった。峠に鬼が出て、旅人を苦しめていた。

 それを聞いた、旅の僧が鬼退治のため峠へ向かった。僧が鬼を錫杖で叩くと、10の粒々に砕けた。そいでもって、その粒々を飲み干した。

 

 鬼を退治した僧侶は、なんと延命地蔵尊の化身だった。伝説にあやかり、宇津ノ谷地区では鬼に見立て団子を十個つなぎ合わせ、房にしやものを厄除けとして軒先に飾るようになったとさ。

 飾ると、一年の家内安全無病息災のご利益があるといわれる。

 

 慶龍寺を後にして、宇津ノ谷地区を歩いていると、鈴木さんに家の前で出会い、『十団子』のご利益についてうかがう。

 毎年毎年、お寺の中にある公民館で、町内の方々が手作りしている。安全に健康で暮らさせていただいているのは、十団子のおかげだとみんな思っているとのこと。

 

CM明け・・・午前11:15、 静岡市駿河区宇津ノ谷。

スタートから4.5キロ、東海道宇津ノ谷越え・旧東海道登り口へ入る。本格的な山道で当然舗装されておらず、歩きにくい。

 山道のベテラン・河田アナが、「これは絶対、人に会わんな・・・。」とぼやく。

 

 だがしかし、すぐに男性2人組に出会う。趣味のハイキング・ウォーキングで、どうせだったら、旧道を歩こうと東海道を歩いているところ。これから、日本で初めてお金をとった、明治時代のトンネルへ向かうとのこと。ぜひ通ってくださいとオススメされる。

 

 ハイキング中のお2人と別れて、峠の頂上を目指す。

 しばらくして『宇津ノ谷峠』と簡易な看板がかかっている、峠へ到達。ガッツポーズするくっすん。

 

 下り道に入り、『明治の道← →明治のトンネル』の分岐点に出る。

 せっかくだから、明治のトンネルを通る。1876(明治9)年に完成した、全長203メートルある、日本初の有料トンネル。味のある煉瓦づくりで、オレンジの照明がエレガント。

 

 トンネルの向こう側がだいぶ見えてきて、河田アナが「誰か向こうにいる?」と人影らしきものを発見する。2人は立ち止まり、ビビりのくっすんが、「立ち去れ~。×2」と御祓いする。おそらく人間だろうと考える河田アナ。霊かもしれないとおっかなびっくりのくっすん。

 トンネルの出口にだいぶ近づき、「こんにちは。」 と呼びかける2人。

 出口付近で、人じゃないことに気づく2人。

 トンネルを抜けた2人が目にしたモノは・・・、ただの配電盤だった。配電盤に『こんにちは』と呼びかけたり、御祓いをしたり、とバカバカしい気持ちになった2人であった。

 

 トンネルを通って引き返し、山道を下って、舗装された道に出る。

 峠を越えて、静岡県静岡市から藤枝市に入る。道中で昼食を済ませる。

 

午後1:30、スタートから7.5キロ、岡部宿に到着。岡部宿は、全長1.5キロ、人口2,300人の小規模な宿場。駿府城を守る重要な位置にあるため、本陣2つ・脇本陣2つ・旅籠27軒が置かれた。

 『岡部町観光ボランティアガイドの会』の高田会長に、岡部宿の浮世絵の描かれた場所まで案内してもらう。かつての東海道沿いには現在家が建ち、道路が広げられている。そして旧東海道と川の間に、山を削って国道1号が通っている。当時の面影は少なくなっている。

 

午後2:00、スタートから8キロ、目標地点の『大旅籠 柏屋(おおはたごかしばや)』に到着。江戸時代に建てられ、一部を改築しているものの、国の登録有形文化財に指定されている。

 

 柏屋の中に入ると、今しがたチェックインした旅人と出迎える旅籠の男女の、等身大フィギュアが置かれ、当時の様子を再現している。フィギュアに見入っていると、後ろから柏屋の館長・大石さんが現れビックリさせられる。

 

 館長さんにあれこれ解説してもらう。

 玄関を入ってすぐのこの場所は帳場で、今のホテルのフロントにあたる。旅籠に着いたばかりの旅人は、桶に入った水で足を洗い、汚れを落とすとともに疲れを癒す。草鞋では、さぞかし足が汚れたであろう。

 

 大名の家臣など、身分のある者が泊まったお部屋に案内してもらう。庭園に面した広い、1階のお部屋。当時の武士は、常に戦いを念頭に置いているので、襲われたときに不利になる2階を避けた。「坂本龍馬は2階で宴会していたときに、攻め込まれて斬られましたもんね。」と幕末好きの河田アナ。

 

 宿泊費は、一般客の2~3倍である、400~900文だったと考えられる。ちなみに一般の旅人の宿泊費は200~300文と思われる。現在の貨幣価値で5,000~7,500円(1文=25円計算)に相当する。河田アナ・くっすんが泊まっているビジネスホテルとだいたい同じ値段らしい。

 

 急な階段を上がり、2階へ。当時は手すりもなく、女中さんがお膳を持って上がった。一般の旅人が泊まったお部屋では、お膳を前にしてくつろぎながら酒を呑もうとしている旅人と、お酌する女中さんの等身大フィギュアが置いてある。お膳の食品サンプルも豪勢で、奮発した様子。

 

 今回は特別に、宿泊体験をさせてもらう。

 晩酌のしている部屋の隣りのお部屋に、敷布団を2つ並べ、ジャージ姿で横になる2人。高い枕に頭を乗せ、「寝心地わる。しんど。こんなんで朝まで絶対寝られへんわ。」と文句を言う河田アナ。髷が崩れない形になっていて、そのため高くなっているとのこと。昔の人はしんどかった

 くっすんは、ドテラのような掛布団をかけてもらう。意外に温かいと思うくっすん。

 

 河田アナと館長さんとがお話ししている間に、くっすんは江戸時代の変身コーナーを見つける。無料で江戸時代の衣装に着替えて、敷地内で記念撮影できる。

 この手の変身コーナーが大好きなくっすんと、いつもしぶしぶ付き合わされる河田アナ。くっすんは本格的な旅人装束に着替え、河田アナも武士の恰好になる。気合入りまくりのカメラマンくっすん、河田アナをいいねいいねと言いながら、激写する。

 

 小田和正さんの『言葉にできない』の曲にのせて・・・。庭園でスタッフさんに写真を撮ってもらう、旅人と武士。館内で撮った旅人と武士の写真が、走馬灯のように流れる。

 さらにくっすんと河田アナの東海道五十三次編の名場面とともに、くっすんの熱唱が流れる、謎演出。「河田に会えて ほんとうによかった 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない らーらーら ららーら 言葉にできない」

 くっすんから河田アナへのメッセージ:『河田さん これからもずっと一緒に・・・くっすん』

 

最後に、館長さんに通行手形を書いてもらい、岡部宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・21宿目の岡部宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県静岡市駿河区・鞠子宿[丁子屋] → 村松さん家の茶畑 (1.5km) → 村松さん家 → 宇津ノ谷地区 (4km) → 慶龍寺 → 宇津ノ谷峠登り口 (4.5km) → 宇津ノ谷峠 明治のトンネル → 昼食 → 岡部宿 (7.5km) → 目標地点:『大旅籠 柏屋』(8km)

 

 

 

【22宿目】 2020年01月09日(木)放送 

旅の内容:●岡部宿  藤枝宿サッカー王国藤枝■難攻不落の田中城★藤枝名物の伝統的せんべい

スタートは静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋]。目標点は藤枝市・藤枝宿。約9キロのコース。

午前9:00、静岡県藤枝市、岡部宿にある『大旅籠 柏屋』の中からオープニング。屋敷の中にある、弥二さん・喜多さんの等身大フィギュアがさもしゃべっているかのように声をあてる、くっすんと河田アナ。くっすんの2020年の目標は、1年習った尺八でコンサートを開くこと。

 

午前9:30、先ほどまで降っていた雨が止む。ロケ日の天気予報は、雨時々曇り。スタートしてほどなく、民家の軒下に吊してある、サッカーボールの飾りが気になる。

 

 大正時代は学生スポーツとして野球が人気だったが、1924年に藤枝市の中学校で、蹴球と呼ばれていたサッカーが校技に指定された。それを機に、県内にサッカー人気が広がり、静岡はサッカー王国となった。

 藤枝出身のサッカー選手としては、かつて日本代表で活躍した、中山雅史選手・長谷部選手などがいる。

 

 旧東海道沿いの家々で、いくつものサッカーボールの飾りを見かける。そんな一軒に、『サッカーロードおかべ 藤枝手まり工房』と書かれていて、ピンとくる河田アナ。

 工房の中を見ると、天井からたくさんのサッカー手毬がぶら下がっている。

 

 工房にいる方々に、藤枝手毬についてお話しをうかがう。

 平成24年にオープンした工房で、週1度集まって、サッカーボール型の手毬を作っている。サッカーボール型の発砲スチロールに、自分たちで考えた色合いの布を貼りつけて作る。道中見かけたサッカーボールの飾りは、こちらで作られたものみたい。

 作り始めた当初は10人近くメンバーがいたけど、年をとっちゃったり体を壊したりして、今は5人でやっているとのこと。

 サッカーの国際試合などは、夢中になって日本を応援している。

 

 再び歩いていると、地元の女性が声をかけてくれた。藤枝では、お年寄りを中心に、団体で東海道を歩いている人たちがいるそう。昔偉一行を見て、測量とかをしていると思ったとのこと。

 

 測量の人たちは東海道を少し外れ、藤枝の観光名所へ向かう。

午後0:30、

スタートから6キロ、天候も回復したところで、田中城跡に到着。約500年ほど前に今川氏が築城したとされる。現在では、当時の櫓や茶室を移築した庭園と、一部のお堀が残っている。

 

 田中城跡ガイドの村松さんに、お城の特徴をうかがう。

 昭和30年代後半に、上空から田中城跡を撮影した写真を見ると、円形のお堀にぐるりと囲まれているのがよく分かる。直径600メートルのお堀で、現在も丸いお堀の面影が残っている。お堀は4重に作られ、『難攻不落の田中城』と呼ばれるほど防衛に優れたお城であった。

 

 湿地帯にお城があったため、敵は2つのルートからしか攻められなかった。

 しかも、お堀の内と外では移動距離に差が生まれ、城を守る内側は敵の攻撃に迅速に対応できた。徳川家康が田中城の攻略に8年かかるほど、鉄壁だった。

 

 二重二階の櫓の中にある田中城の模型を見ると、城の中と外に城下町が見当たらない。田中城周辺は液状化地域なので、人が住めない。お城から1キロほど離れた場所に、城下町があった。

 くっすんは、円形で何もないところにポツンとある田中城の模型を見て、「ーーーある雑誌で読んだのは、円形の大きなマークになるようなものがあったら、UFOが来やすいって・・・。」と思いあたる。さらに、「おそらく本丸の空き地のところは、UFOの着陸する場所になってたんだと思いますね。」という説を唱える。

 それに対して、「ノーコメント。」と村松さん。

 

CM明け・・・午後2:00、 静岡県藤枝市某所。岡部宿から藤枝宿を目指す道中。サッカーの町藤枝をアピールする、看板やら飾りやらが至るところに見られる。

 サッカー少年たちとの出会いを期待する河田アナ。そんな折、学生服の少年を見かけたので、声をかけてみる。中学2年生で体が大きいので、「もしかして、サッカーやってますか?」と尋ねると、やってないとのこと。

 

 彼の周りではサッカーをやっている人が多いみたいのに、「なんで君は、やらないんですか?」と、ずけずけ聞く河田アナ。すると、運動があまり得意ではないからと理由を述べ、でも中学からは野球部に入っている。

 藤枝では、運動がすごくできる子はみんなサッカーをやるので、野球はあまり盛んではないらしい。

 

 野球の他に、勉強を頑張っている。将来はいろんな研究をする職に就きたいなと思っている。少年のしっかりとした受け答えと考えに、感動して拍手を送る2人。

 最後に感動したお礼にと、尺八で1曲送るくっすん、神妙に聴く少年。「厳かなかんじ。」だと気に入ってもらえた。

 

午後2:30、

スタートから9キロ、藤枝宿に到着。藤枝宿は全長約2キロ、本陣2軒・旅籠47軒があり、田中城の城下町として栄えた。武士を相手にした刀鍛冶、旅人を相手にした商店など、最盛期には1000軒以上があったとされる。藤枝宿の上伝馬商店街が長~いのは、その名残りかもしれない。

 

 歌川広重が描いた東海道の浮世絵の場所は、現在交番になっている。

 交番の前で、藤枝市郷土博物館の海野さんに浮世絵についてうかがう。

 浮世絵は、藤枝宿にあった問屋場(といやば)の様子を描いている。問屋とは、宿場で大名などの荷物を運ぶ、人や馬を管理していた施設。浮世絵では、人や馬を交代して荷物を引き継いでいる様子を描いている。

 

 浮世絵の奥の方の建物に座っている人は、問屋場の責任者である問屋役で、引き継ぎ全体の様子を見守っている。そして、そばにいる武士がいちゃもんをつけているといった感じ。

 藤枝宿には、問屋場が2つあった。宿場で問屋場が2つあることは珍しい。静岡の政治経済の中心的な場所として、宿場はとても賑わい人々の通行も激しかった。それを聞いて、「まるで梅田みたいですね。」と例えるくっすん。河田アナはそうですねとくっすんにうなずきながらも、次に「ワケ分からないでしょ。」と海野さんに笑いながら言う。藤枝の方に梅田のこと言っても分からないはずなので、あやまる。

 

 ここで、ロケ終了かと思いきや、突然に河田アナのお便りコーナー。和歌山県古座川町の方から。

 『こんにちは、昔の人は偉かったのコーナー 楽しみにしている私でございます。藤枝宿には江戸時代からあるという おたけせんべいも有名でおいしいですよ。是非食べてみてください。肌寒くなっていきているので、河ちゃん くっすんさん お体気を付けて旅頑張ってくださいねファイト!』

 

 海野さんにおたけせんべいのことを聞いてみると、昔から有名とのこと。なんと、食いしん坊センサーに長けたくっすんは、すでに道中でおたけせんべいの店を見つけていた。

 食べる気まんまんのくっすんに、急かされ先導され、江戸時代創業の『おたけせんべい本舗』に到着。当時の東海道を行き交う旅人が、おたけせんべいで疲れを癒した。現在は、10種類のおせんべいを販売している。

 

 お店の中で、6代目の天野昌昭さんにお話しをうかがう。

 さっそく、梅の花の形をした、名物のおたけせんべいをいただくと、醤油の香ばしさに加えて、ほんのり甘い。裏はお醤油で、表はお砂糖の味付けになっている。

 中浮かしといって、硬くもない・フワフワ過ぎない絶妙な焼き加減に調整している。

 おたけさんの愛称でしたわれた、創業者・天野たけが考案した、味と製法を江戸時代から守り続けている。

 

 6代目の母・先代社長の天野禎子さんにもお話しをうかがう。

 おたけせんべいの味は、おたけさんから先代社長まで、ずっと女性が受け継いできた。6代目に至り、ついに男が継いだ。

 

 河田アナが7代目はどうなる予定か、6代目に聞いてみると、男性の候補がいることはいるが、逃げたそうだから・・・とのこと。

 最後に、おたけせんべい6代目に通行手形を書いてもらい、藤枝宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・22宿目の藤枝宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋] → 『サッカーロードおかべ 藤枝手まり工房』→ 田中城跡 (6km) → 目標地点:藤枝宿 [上伝馬交番前](9km) →『おたけせんべい本舗