MBSさんのちちんぷいぷい木曜日→金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』29宿目~30宿目のまとめ。

【29宿目】 2020年03月12日(木)放送 

旅の内容:●見附宿  浜松宿くっすんの親戚がいっぱい登場?!■東海道のまんなか?!再び憔悴する家康の絵?!
スタートは静岡県磐田市・見附宿[旧見付学校]。目標点は静岡浜松市・浜松城。約15キロのコース。

午前8:30、静岡県磐田市、見附宿にある旧見付学校の前からオープニング。弥次さん喜多さんの顔ハメパネル(こども用)を使って、登場する2人。

 前回のロケで歌川広重の見附宿の浮世絵を紹介していないので、今回は見附宿と浜松宿の浮世絵を紹介する。

 

午前8:40、朝の気温は、8℃とひんやり。

 

スタートから0.5キロ、恋愛のパワースポットとして有名な、『東福山西光寺』に到着。1265年に創建されたお寺で、境内を入ってすぐ右手に、見付の名木・巨大な楠(クスノキ)が鎮座している。

 2人はさっそく楠にべたべた触る。くっすんは親戚に抱きついている感覚をおぼえ、「あんたの親戚、えらいごっついんやね。」と河田アナ。

 

 樹齢500年以上のクスノキの下で、ご住職の下村さんにお話しをうかがう。クスノキは高さ約18メートル、根回り約13.7メートル。

 クスノキの隣りには、縁結び(恋愛成就)にご利益のある、ナギの木がある。樹齢約250年で、伊豆に流された源頼朝がこの木の下で、北条政子とデートを重ねたという伝説が残る。

 

 2つの木の参拝方法は、まずナギの木を触ってから、次にクスノキに触る。順序が逆だと、縁切りになりますとのこと。時すでに遅し、河田アナとくっすんは先にクスノキに触っていた。悪いこと(悪縁)を一回リセットできたと思ってください、とご住職がフォローする。

 2人は改めてナギの木→クスノキと触れ、旅での良い御縁を願う。

 

 本堂にて、参拝者からの良縁の報告例の書かれた黒板を見る。

 初めての参拝を終えてお寺から出るとき、元カレから復縁したいと電話があった。参拝後、男性と出会いすぎて困ってます等々・・・。

 ご住職曰く縁結びでは、さっそくご縁があったと思うのと、たまたまだと思うのでは大違いで、前向きにしてくださる場所がパワースポットであると。

 

午前9:30、良縁を願いつつ、お寺を後にする。

 すると、さっそく菅笠を被った女性と、連れの男性に道路越しにすれ違う。2人が背中の菅笠を見せておそろいだとジェスチャ―を交えてアピールするが、全然伝わらずスルーされる。

 

スタートから4.5キロ、静岡県磐田市と浜松市の市境となる、天竜川に架かる橋を渡る。天竜川は、川幅約800メートル。今回はドローンによる空撮で、橋を渡るむかえら一行を撮影。橋の途中で、犬を呼ぶようにこっちおいでと、ドローンを呼ぶ河田アナ。ずいぶん近くまで寄ってくるドローン。

 一昔前までは考えられないと、ドローンの技術のすごさを噛みしめながら橋を歩く。

 

 広重の東海道五十三次・見附宿の浮世絵には、天竜川と舟が数艘描かれている。これまでの宿場では、大きな川を渡る際には川越し案内人が肩車や台に乗せて旅人を運んでいたが、天竜川は水量がハンパなく舟の渡しが利用された。

 

 橋を渡りながら、河田アナは徳川家康と天竜川のエピソードを語る。

 1572年に、浜松城主・徳川家康武田信玄と戦った。劣勢の家康は命からがら敗走し、天竜川にたどりついた。

 そこで、地元池田村の人々が、舟を出して家康を助けた。追っかけてきた武田軍に対しては、舟を隠して足止めした。

 家康はこの恩を忘れず、後に池田村の舟守に、天竜川の舟の運営権を与えた。

 

 天竜川を越え、

午前11:10、静岡県磐田市から浜松市中野町へ入る。

 

スタートから6キロ、中野町にある旧東海道のちょうどまん中と書かれた、案内版の前に到着。袋井宿は宿場の数で東海道の真ん中と謳っているが、中野町は東海道約500キロの距離のちょうど中間地点の真ん中。

 ただ、寄り道ばっかりしている2人は、ここまで約316キロ歩いている(スタッフさん調べ)らしい。このペースでいけば、東海道500キロ+寄り道などで、東海道制覇時には600キロ越えになる算段。

 

 東海道のまんなか・中野町を歩いていると、学校がお休みで家の前で遊んでいる、こどもたちと出会う。

 足をクネクネさせて進む、3輪の乗り物で遊ぶ男の子。くっすんが借りて乗ってみるが、うまいこと進まない。河田アナがやってみると、腰から足を動かしてコミカルに進む。

 

 6年生の女の子は、新型コロナウイルスのせいで、卒業式の練習が全然できない。卒業式は予定通り行うが、在校生や来賓の方が来られないとのこと。学校が休みで友達と会えないことが寂しい。

 

 東海道に尺八の音色を響かせながら、浜松城を目指す。

 前を歩く小学生の女の子が、尺八を吹きながら歩く男とその仲間たちを、ちらちら見る。信号待ちしている女の子に追いついたので、不審者ではないことを伝える河田アナ。

 

午後1:20、

スタートから12キロ、浜松宿 [馬込橋(まごめはし)]に到着。橋の上で、浜松宿と紹介する河田アナと、尺八を吹くくっすん。その後ろを通り過ぎる、さっきの小学生の女の子が、2人の方をチラ見。

 浜松宿は、本陣6軒・旅籠94軒が建ち並び、浜松城の城下町として栄えた東海道最大級の宿場町。

 

 宿場の入口・馬込橋の近くで、浜松観光ボランティアガイドの大村さんに、広重の浜松宿の浮世絵についてお話しをうかがう。

 ”冬枯ノ図”で、旅人たちが寒いので、焚火にあたりにきた常を描いている。奥の方には、浜松城が描かれている。現在は、高い建物の遮られてお城は見えない。

 浜松城は家康を育み、歴代藩主が幕府の要人になって出世したことから、出世城と呼ばれる。そこから、浜松も『出世の街』といわれる。

 

 浜松にあやかって出世したいとくっすん。少しでも多くテレビに出たいけど。『四捨五入したら一般人』だと嘆く。ユニークな表現に、笑ってしまう河田アナ。

 それに対して、河田は毎日放送アナウンス部・部次長のポディション。お偉いさんだと言うくっすんに、出世していたらこんな歩いてないと返す河田アナ。

 

 

 CM明け・・・午後2:50、静岡県浜松市、浜松城を目指して歩く一行。

 

スタートから13キロ、『浜松八幡宮』に到着。浜松城の鬼門にあり、徳川家康が開運招福・武運長久を祈願し参拝したとされる。

 境内には、またまた巨大なクスノキが植わっており、真ん中でパカっと割れているさまから、「骨盤っぽいですね。」とくっすん。

 

 クスノキを囲っている柵の前で、宮司の桑島さんにお話をうかがう。

 推定樹齢1000年・樹高約15メートル・根回り約15メートル

 元々1本のクスノキだったが、真ん中に生えていた本体の幹が枯れてしまい、その左右から生えてきた”ひこばえ””が大きくなったみたい。

 

 くっすんはクスノキが左右に広がっているさまを、「扇を広げているようなこう・・・」と表現し、「良い例えですね。」と宮司さんに褒められる。河田が「さっき骨盤言うてたやん。」とバラす。

 また、雲立楠(くもたちのくす)と呼ばれ、家康の伝説が残る。

 

雲立楠

 1572年に三方ヶ原の合戦で、武田信玄に大敗し逃げてきた徳川家康は、浜松八幡宮のクスノキの洞(うろ)に隠れた。中で一心に八幡様を拝んだところ、クスノキから雲が立ち昇り、難を逃れた。

 

 この歴史あるクスノキにちなみ、境内には楠倶楽部という結婚式場がある。社務所ではご神木にあやかった『くすのき守』を授与していて、もちろんくっすんはゲットした。

 本殿で東海道の旅の安全を祈願し、八幡宮を後にする。

 

午後3:30、歩きながら、今日はクスノキ一色の旅だと振り返るくっすん。

 

スタートから15キロ、目標地点の浜松城に到着。浜松城は、1570年に家康が武田信玄との戦に備え築城した。現在の天守は、昭和33年に再建された。

 

 天守の3階から、浜松城下を見下ろす2人。天気が良ければ富士山が見えるが、今回は残念。

 3階建ての天守には、浜松城の歴史を学べる品々が展示されている。中でも、若き日の家康を描いた肖像画が有名。

 

 2人もさっそく鑑賞するが、家康っぽくない顔だと意見が一致する。

 浜松観光ボランティアガイドの鈴木さんにお話をうかがう。

 家康が浜松城に入った、29歳頃の写真?とのこと。鈴木さんが解説していると、女の子の声にかき消されていくので、河田アナが”待った”をかける。近くにいた女の子は、無料レンタルのカツラをかぶって、お母さんに写真を撮ってもらうところだった。

 

 落ち着いたところで、トークを再開。

 三方ヶ原の合戦で、人生最大の敗戦を経験した家康。地元の村人や、八幡宮のクスノキに助けられ、なんとか浜松城に逃げ帰った。

 生涯この敗戦を忘れないよう、自分を戒めるため憔悴した姿を描かせたという。左手で顔の震えを抑え、右手で脚の震えを抑えている。

 

 河田アナは、誰にも見られたくない姿をあえて描かせるところが、凡人じゃない家康さんかなと思う。

 くっすんは、ドラマなんかを見て家康さんに『ずるい狸』というイメージを持っていたけど、一つ一つの積み重ねがあるからこそ結果を出したと評価する。

 最後に、鈴木さんに通行手形を書いてもらい、裏側には『家康を見習って大出世せよ!!』とお言葉を頂戴する。浜松宿の通行許可をいただき、こうして東海道五十三次・29宿目の浜松宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県磐田市・見附宿[旧見付学校] →『東福山西光寺』[見付の名木] (0.5km) → 天竜川 (4.5km) →『旧東海道のちょうどまんなか』(6km) → 浜松宿 [馬込橋] (12km) →『浜松八幡宮』(13km) → 目標地点:浜松城 (15km) 

 

 

 

【30宿目・前編】 2020年04月03日(金)放送 

旅の内容:●浜松宿  舞坂宿▲初めましての金曜メンバーに緊張するくっすん■世界一の般若心経で反省★軽自動車とバイクの歴史を学ぶ


スタートは静岡県浜松市・浜松城。目標点は静岡浜松市・浜松城。約16キロのコース。

午前7:30、静岡県浜松市、浜松城の天守石垣下からオープニング。尺八を高らかに鳴らしながら、くっすん参上。「時にはDJ、時にはイクメンパパ、でもその正体は、尺八ニスト。」と金曜メンバーたちにアピールするため、自己紹介する。

 

 朝のお天気は快晴だけど、気温6℃と肌寒い。浜松城から下って、金曜メンバーについて話しながら歩く。『昔は偉かった』は今まで10年間ずうっと木曜日に放送してきて、今回から金曜日にお引越し

 吉弥さんは歴史に詳しいイメージがあって、モモコさんはとにかくグルメ、とくっすん。スタジオの2人に変な人に思われないか緊張気味で、「金曜ファミリーになりました、楠雄二郎をよろしくお願いします。」と挨拶する。

 

スタートから4キロ、1年半前にもロケ[2018年8月16日放送]で訪れた、『龍雲寺』に到着。約700年前に創建された、臨済宗のお寺。

 

 住職の木宮さんに案内され、本堂の中ある『世界一大きい般若心経』を拝観する。

 その大きさは横16メートル×縦4メートルで、ダウン症の書家・金澤翔子さんの作品。金澤さんが30歳のとき、四国のお寺に2週間泊まり込んで完成させた。

 くっすんは、字が飛び出してくるパワーを感じる。河田アナも、素人目に見ても文字ひとつひとつの力強さを感じる。

 

 般若心経の要諦は、『この世の全てのものに実体はない』という『色即是空』に示される。世の中の有り様は、自分の心の持ち方次第で、どんな風にでも変えられる。

 金澤さんは上手に書こうとも思ってなく、誰にでも生まれる上手く書きたいという邪心すらない。そういう心で書かれた般若心経の前で、自分の心がいかにいい加減なのか、反省する場所にしてほしい、とご住職。

 

スタートから6キロ、日本で初めて量産型の軽自動車を作った会社の施設・『スズキ歴史館』を取材する。平成21年に建てられ、自動車の製造工程や歴史が学べる。年間200校もの小学校が校外学習に訪れる。

 

 歴史館の馬越さんに、館内を案内してもらう。

 まずは、展示されている軽自動車・ハスラーの乗り心地を体感する2人。

 運転席に乗り込んだ河田アナは、全然『軽』の感じがしないとコメント。

 助手席に乗り込んだくっすんは、『走る応接間』と快適性をアピール。さらに後部座席に移り、めちゃめちゃ広くて、テーブル付きで、「ここで暮らせますわ。」とベタ褒めする。河田アナに、「スズキのCMとか狙ってる?」と魂胆を見抜かれる。

 

 続いて、3階の歴史フロアを見学する。

 機織り機の展示を見学。スズキの起源は、1920年に創業した『鈴木式織機株式会社』。第2次世界大戦の影響で織物産業が衰退したため、織物で培った技術で新たな製品の開発した。

 

 オートバイの展示を見学。スズキが最初に作ったオートバイは、自転車に織機の技術を応用したエンジンをくっ付けたもの。1950年から開発されたオートバイも徐々に進化していった。

 軽自動車の展示も見学。日本で初めて作られた量産型の軽自動車、スズライトが展示されている。今、街で走っていてもオシャレと、デザイン性を褒める2人。

 

 1960年代に入ると、一家に一台自動車をもつ時代になり、歴史館では近所の人が覗きに来る様子を再現している。一軒家のジオラマの前に、車が置いてある。家を囲むブロック塀の穴から、等身大の女の子が車を覗いている、というセットが組まれている。

 女の子にならって穴を覗き込むと、家の中から住民・夫婦と子供たちが出てくる映像が見える。くっすんが家の前にある車の後ろに立つと、あら不思議、映像の中に入り込む。

 河田アナが「この物語にちょっと参加してよ。」と言うので、演技を始めるくっすん。なんとか参加しようとしゃべるが、まったく映像の家族が反応してくれないので、「この人たち、みんな僕を無視するんですよ。」とすねる。とそこへ、車の上に猫が飛び上がり、ちょうどくっすんが移り込んでいる位置にきたので、ビックリした。

 

 歴史館を後にして歩いていると、お腹が減った2人。『餃子』と書かれた看板のお店を発見、開店前に人が並んでいる。餃子とラーメンで有名らしいので、2人も行列に並ぶ。

 

待つこと20分、『喜慕里』にて昼食。まずは、河田アナ・くっすんともに『ぎょうざ 小』を食べる。浜松餃子には、もやしが付いてくる。第二次世界大戦後に中国からの帰還兵が、現地で食べた味を再現したのが始まりといわれる。お味は、お肉より野菜の味が主張していると河田アナ。

 続いて、河田アナはトリと豚がベースの『しょうゆラーメン』を、くっすんは『みそラーメン』を食べる。「アルデンテ、ちょうどいいかたさです。」とくっすん。

 2人はお昼早めにきたのですぐに食べられたが、ラーメンを食べているときには、並んでいる人がいっぱいになっていた。

 

 お昼をすませ、旧東海道を西へ歩く一行。すると、『昔のうなぎ屋』という看板を発見する。浜松の名物は、ウナギだと思い出した2人。すでにお腹はいっぱいだが、せっかくだから食べたいところ。舞坂宿まではまだ距離があるので、道中で食べようかと、まとめる河田アナ。

 

 そんなとき、スタッフさんからウナギは高級品なので、簡単には食べられない(食べさせない)と言われる。河田アナは、「視聴者の皆さんのためにも、ちゃんと、ホントに美味しい浜松のウナギ、お伝えしよう。」と、強引に食べる方向に舵を切る。

 するとスタッフさんは、2人がうなぎと言い出すと想定していて、簡単には食べさせるワケにはいかないので、2人に頑張っていただこうかと、曖昧に告げる

 

 スタッフさんの『想定』という言葉に、少々ひっかかりを覚えた2人であったが、何を頑張るのか教えられないまま、後編へ続く。

 

 

 

【30宿目・後編】 2020年04月10日(金)放送 

旅の内容:●浜松宿  舞坂宿▲ヌルヌルとニョロニョロにたじたじいつか食べたい高級食材★殺風景な宿場には彩りを


午後:1:30、静岡県浜松市、道中でうなぎの店を見つけ、食べたくなった河田アナとくっすん。うなぎ屋さんの喚起口から、うなぎの蒲焼のいい香りがもれてくる。

 

 お庭でドッジボールで遊んでいた、マスク着用女の子2人に声をかけてもらう。この春から小学3年生で、習字にチャレンジしてみたい。

 黄色いマスクの女の子は、自分の名前に『優』という漢字が入っているので、『優しい』という字を書いてみたいとのこと。

 

 さらに、以前は滋賀県に住んでいた、地元の女性に「河田アナウンサーですよね?」と声をかけてもらう。よくあることだが、くっすんは名前を忘れられていたので、背中に背負う『く』の文字の入った菅笠を見せてヒントを出す。しかし、『クッキー』ぐらいしか思い浮かばない。

 記念に河田アナとの2ショット写真を、くっすんが撮ってあげて、別れ際に「あの、僕の名前はくっすんです。」と思い出させた。

 

スタートから13.5キロ、何も知らされていない2人が、スタッフさんがアポをとっていた、謎の場所に到着。浜名湖養魚漁業組合の小川さんに、浜名湖周辺で養殖されたウナギの、選別作業をしている場所だと知らされる。

 スタッフさんのたくらみで、ウナギの選別作業のお手伝いをすることに・・・。「え~。」と声をそろえ、できるかどうか不安がる2人だが、とにかくチャレンジ。

 

 浜松はウナギ養殖発祥の地とされ、明治33年に、服部倉次郎が静岡県西部の浜名湖でとれた、ウナギの稚魚を育てたことに始まる。昭和46年に、卵から育てる養殖方法に成功し、全国各地に養殖技術が広まった。

 

 車で運んできた大量のウナギが降ろされ、選別する作業場の横にあるウナギ入れに、ニョロニョロとひしめき合っている。ウナギ入れから流れてくるウナギたちを、小・中・大と3つの大きさに分別するミッション。

 作業台で、小サイズならそのまま、中サイズなら手で掴んで前の溝に投げ込み、大サイズなら掴んで奥の溝に投げ込む。

 

 ゴム手袋をしてウナギを掴もうとするが、ヌルヌル滑って全然もてない。ヌルヌルとニョロニョロにビビッて、大声をあげる2人。くっすんの雄たけび声が大すぎたので、「うるさいなあもう、ビックリするやん。」とマジで怒る河田アナ。

 

 選別するどころか、ウナギに翻弄される2人。ベテラン選別人に、ウナギの掴む場所を教えてもらう。ウナギの頭に近いエラの,くぼんでいるところを掴むのがコツ。

 教えられたとおりにやってみると、なんとかウナギを掴むことができて、ぎこちないながらも選別できるようになる。隣でベテラン選別人たちがひょいひょい簡単に選別しているのを見て、全然できませんよと視聴者に訴える河田アナ。

 

 そんななか、ウナギを掴んで放り投げる作業に、徐々に楽しさを感じる2人。はじめは思うようにいかなかったが、後半は慣れて様になり選別作業に没頭する。

 

没頭すること15分、お手伝い終了。していたゴム手袋は、ウナギのヌルヌル成分がべっとり。河田アナとくっすんの上達ぶりに、「スカウトしたいな。」と最後に小川さんお褒めのお言葉をいただいた。

 

 ウナギを選別を見事にやってのけ、ご褒美のウナギを期待しながら歩く2人。すぐにウナギが食べられると期待していたが、その前に、もう1つある浜名湖の養殖で有名な生き物を飼っている場所にいってもらいたい、とスタッフさんのお願い。

 話しがちがうちがうやんか、と河田アナ。スタッフさん曰く、「ちょっとお二人が選別はできないと思ってたんで、予想外にお二人ちゃんとやりはったんで・・・。」。実力を見くびられたので、河田アナは「やるときは、やるよ。」と言ってやった。

 

スタートから14.5キロ、『服部中村養鼈場』に到着。2人とも、会社入口の看板の『』という漢字が読めなくて、何を飼っているのか分からない。

 養鼈場の服部さんに案内され、屋内にある水槽の元へ移動する。水槽から引き揚げられたのは、亀。その正体はスッポンだと判明する。

 

 ウナギの養殖を始めた服部倉次郎は、もともとはスッポンの養殖をするために、浜松を訪れた。東京で養殖の研究をしていた倉次郎は、安定した温暖な気候の浜松が、スッポンの養殖に最適な場所だとにらみ、明治33年に養殖所を作った。スッポンの養殖技術は、後にウナギにも活用されるようになった。

 

 巨大なスッポンに育てるには、10年くらいかかる。出荷するには3~4年かけて、0.5~1.2キロくらいまで育てる。また、毎年冬眠させて自然に近い状態で飼っているので、養殖だけど旬があるとのこと。

 服部倉次郎の子孫が経営する、服部中村養鼈場ではウナギとスッポンの両方を育てていたが、昭和43年にスッポンのみに専業化した。

 

 巨大スッポンをもっていた服部さんが、「持ってみます?気をつけないと、指とれちゃうけど・・・。」とさらりと怖いことを言う。ちちんぷいぷいのムツゴロウさんことくっすんも、かなりビビりながらスッポンを渡してもらう。甲羅の下の方を両手で持っていたが、スッポンの首が反り返ってびよーんと伸びてきたので、ホントに怖くてトリッキー。

 「河田さんどうぞ。」とパスしようとするが、距離を2メートルとられて、ノーサンキュー。ますますスッポンの首が伸びて、指に届かないかと恐怖で絶叫するくっすん。そんな中、小さなスッポン2匹を持って、オスとメスの違いを伝えるマイペースな服部さん。

 

 巨大スッポンを服部さんにお返しし、一安心のくっすん。ちなみに、巨大スッポンは子供をとるために育てているので、出荷しないそう。

 2人は、いつかスッポンが食べらるよう出世したいな、と思うのであった・・・。

 

 ウナギの選別作業とスッポンの取材という、スタッフさんのお題をクリアし、いよいよウナギが食べられるとウキウキ。スタッフさんが探した、この場から近いウナギのお店へ向かう。

 だがしかし、やっぱりというか、ある意味期待通りの定休日。河田アナはスタジオの金曜レギュラーの皆さんに、「このコーナーってね、このパターンすごく多いんですよ。行ってみたら定休日っていう。」と教えてあげる。

 諦めがつかない河田アナとくっすん。この付近に他にはうなぎ屋はない、というスタッフさんの声を疑い、自分のスマホでうなぎ屋さんを探す河田アナ。でもやっぱり無かった・・・。ウナギ実食は、次回のロケに繰り越し。

 

スタートから16キロ。目的地の舞坂宿に到着。日本橋から数えて30番目の宿場で、浜名湖の対岸へ行くための湖船場としての役目をもっていた。

 歌川広重の舞坂宿の浮世絵が描かれた場所まで、舞坂宿郷土資料館の荒熊さんに案内してもらう。

 

 浜名湖のほとりで、絵では湖の右奥にどっしりとした山が描かれているが・・・、実際には存在しない。実際に見える風景が殺風景だったので、広重お得意の捏造誇張表現を加え、さらに山の奥に、別角度の富士山もちょっぴり見えるように付け足した。「やりたい放題ですね。」とくっすん。

 最後に、荒熊さんに通行手形を書いてもらい、舞坂宿の通行許可をいただく。こうして東海道五十三次・30宿目の浜松宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県浜松市・浜松城 →『龍雲寺』(4km) →『スズキ歴史館』(6km) →昼食:『喜慕里』 →『浜名湖養魚漁業組合』(13.5km) →『服部中村養鼈場』(14.5km) → 目標地点:舞坂宿 (16km)