生きている事が奇跡 | 羽生結弦くんにメロメロ♡めろん

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池江璃花子さんのInstagramより


2/19の報道ステーションに池江璃花子さんが出てたんですね。

私が気がついた時にはちょうど放送が終わった時間でしたが動画がupされていたので見ることが出来ました。


凄絶な闘病の事、金メダルを期待されるアスリートのプレッシャーなど、19歳の彼女が背負うもの。生の声を聞けて、そして笑顔で話せるくらいになるまでどれだけの苦悩があったのか、見れてよかったし、インタビュアーが修造さんで良かったと思いました。

 

池江さんの想い、これからの目標や夢、多くの人に見てもらいたくて書き起こしました。



現在は日常生活を送れるほどに回復したそうです。


修造さん「今は健康状態は安定してる?」

池江さん「安定してます」


修造さん「学校にも行った?トレーニングも始めてる。どうでした?トレーニング始めてみて」


池江さん「筋肉痛が酷かったです。やっぱり筋肉は落ちていて。んー、出来ない自分が面白いんですけど、ある意味。でもここからどのくらいのスピードで自分が成長していくのかっていうのが凄い楽しみな…トレーニングをしていて楽しみの1つでもあります」


修造さん「今まで出来た事が出来なくなった感覚はショックではなかったですか?」




池江さん「全然ショックじゃなかった。あのぉ…私、筋肉モリモリだったじゃないですか。入院して細くなって入る服がたくさん増えて嬉しいって言う感じが勝っちゃいました笑」





修造さん「最初、病気が判明した時はどんな状況でした?」


池江さん「病院で先生に『白血病です』って言われたんですよ。名前は聞いたことあったけど、どういう病気か知らなくて。その後に『抗がん剤治療をやります。抗がん剤治療で髪の毛が全て抜けます』って言われて、それが1番ショックだったんですけど、そこで大泣きして、でも部屋に戻ってきたら意外とケロッと元気になってて。なんかもう…病気になったらなったで頑張るしかないって気持ち切り替えて…」


修造さん「部屋に戻ったらポジティブ璃花子になってた?」



池江さん「それは本当の…本心でポジティブな気持ちになってました」

修造さん「早すぎません?」


池江さん「正直、アスリートとしてはあまりよくない考えかもしれないけど、世界記録までもう少しってところまで行って、ランキングも世界1位っていうところで“東京五輪では金メダル候補”って言われるようになってから、やっぱり自分では分からなかったけど、どこかにプレッシャーがあって、もう五輪の事について考えなくていいんだっていう気持ちになって…」






修造さん「そこまで追い詰められていたんですね」





池江さん「多分。だからその時に初めて自分て意外とプレッシャー感じてたんだと分かりました。とにかく“五輪”“金メダル”っていう言葉から解放されてホッとして、それでポジティブに切り替わったのかもしれない」



でも抗がん剤治療は想像を超えて過酷だったと。






池江さん「吐き気がひどい時にずっとトイレに閉じこもっていて。でも凄いしんどくって。でもこの気持ち悪いのが一生続くわけじゃないから大丈夫。絶対大丈夫。いつか治るって思って。とにかくそう言ってないと逆にどんどん自分の気持ちが沈んでいっちゃうから、もうとにかく実際自分の気持ちはネガティブになってたかもしれないけど表面上の想いでは大丈夫大丈夫って言い聞かせてました」





修造さん「とにかく言葉を前向きにしていないと潰されちゃうってことですか?」




池江さん「しんどい時でも毎日家族だったり色んな関係者の方がお見舞いに来てくれて、つらい思いをしている自分を見られることも、ちょっと正直嫌なところがあって。水泳でも結果を出して弱音を全く吐いて来なかったので病気中も辛いと言えなかったし」






池江さん「素直に頼れなかった。家族を」

修造さん「家族をのことも?」



池江さん「はい。つらい、しんどい、ここが痛いとかそういう事を全く言わなかったので、まぁそれが結構溜まってしんどい時もあったりもしたんですけど、でも最終的には家族の支えが、家族、関係者の支えが無かったら絶対乗りきれてない事だったなと思うし感謝しています」



修造さん「ちょっと失礼な聞き方でごめんなさいね。なんで璃花子さんは、それほど苦しいのに自分を思い切りさらけ出さなかったんですか?」

池江さん「(ちょっと考えて)家族に迷惑をかけたくなかった」


修造さん「家族は!絶対に支えてくれるよ。でも必死に頑張ってきた。応援してる、ずっと支えてきた」



 治療開始から3週間。3/6のSNSにはこんな言葉が。





修造さん「あの時はどんな思いだったんですか?」


池江さん「あの時は体調が悪くなって3日目くらいだったんですけど、その後の方がもっとそんどくて携帯なんて絶対触れない、もうテレビも見れない、音も聞きたくない、ご飯も食べないという状況が2週間続いたので」


修造さん「2週間も!」


池江さん「はい。もう寝返り打つのもしんどかった状況だったので、だからもう数千倍ところじゃない。多分人が感じる苦しいとはレベルが違う苦しさなんだろうなって思いました。人によって苦しさの度合いは違うと思うんですけど、こんな経験二度としないだろうなっていう経験はしたと思います」





修造さん「でもその後に『でも負けたくない』って書きました」




池江さん「その後、気持ち折れてましたけど」


修造さん「書いてから?笑」


池江さん「書いた後に笑」


修造さん「折れた時のの璃花子さんはどんな感じでしたか?」


池江さん「ほんとに1番しんどい時は…死にたいって思いました





池江さん「こんなに苦しい思いをするんだったら死んだ方がマシって思っちゃって。でもその言葉を今だったり、後々考えた時に凄く反省しました。なんでそんな事思っちゃったんだろうって!」


「で一回目の一時退院の時 4日間くらいあったんですけど、その時すごい幸せだったんですよ。」






池江さん「外に出られた事だったり 車に乗れた事だったり、外食出来た事だったり、もう全てが本当に幸せで。なんであの時あんなこと思っちゃったんだろうって。こんなに楽しいことが待っていたのにって。絶対こんな事思っちゃったダメなんだと思いました」




修造さん「(去年9月)インカレで応援に行かれてたじゃないですか。あの時はどんな思いでいらっしゃいました?」


池江さん「めちゃめちゃ楽しかったです」



修造さん「楽しかった?応援するってどんな気持ちになりました?」



池江さん「とにかくパワーを送りたい!自分のパワーを使ってでも相手にパワーを送りたい。本気で頑張って欲しいっていうか結果を出して欲しいっていう気持ちに…なりませんか?」



修造さん「僕はそれです」





昨年12月に退院した時のメッセージ。

2024年のパリ五輪を目指すと…






修造さん「パリ…」


池江さん「…パリ」


修造さん「もう、すぐですよ、ある意味」



池江さん「はい。覚悟はしてます」


修造さん「覚悟」


池江さん「パリに出られなくても次があると思ってます。次ぎは28なので。パリが24歳で…多分(笑)」


修造さん「多分じゃない…」


池江さん「自信があるわけじゃないんですけど、でも目標って絶対必要だと思うし。水泳だけじゃなくて人生にはおいて。だから…パリが今の1番の目標です」




池江さん「だいたい…いつか いつの日か試合に出られたら絶対何秒くらいは出しておきたいとかそういうレベルではちょっと考えてはいるんですけど」



修造さん「もうですか?」



池江さん「笑まだ泳いでもいないのに。たまに泳いでいる姿を夢に見たりもするんですよ」



修造さん「泳いでる?」



池江さん「泳いでるんです。タイムも聞こえるんです、それ。意外と早くて毎回、毎回っていうかビックリしました、タイムが」



修造さん「もの凄い具体的なものがイメージ出来てるという事ですよね」



池江さん「夢ですけどね」



修造さん「最後に…この病気を通して璃花子さんは1番何を掴んだんですか?前に進むために」


池江さん「病気になって水泳が出来なくなって。水泳をする事が当たり前だったし、普通に生きて 当たり前に生きて、ここにいるっていうのが当たり前になってたけど、それは私にとって全く違くって、ここにいるのが奇跡だし、生きている事が奇跡っていう風に考える事が…考えるって言うか気持ちがそういう風に変わりました」




池江さん「病気になって良かったとかは1ミリも思わないんですけど病気になって学んだ事が多いから1回でもそういう経験をして、自分がどういう立場でどういう気持ちで生きていくべきかっていうのを凄い考えさせられたので、その自分の人生において凄く大きなターニングポイントになるんじゃないかなって思います」






池江さん「ほんとにこの番組に出させて頂いて多くの人に見て頂くことによって、そういう病気の方たちにとっても絶対希望をもって治療に励んでほしいし、とにかく…ここまで元気になれた人間がいるんだから『あなたも元気になれるよ』って伝えたいって思ってます」





私ね、勝手に思っちゃってたんです。

東京オリンピックに向けて、金メダルも取れる位置にいて、なのに直前の大切なシーズンに病気になって…どんなにか悔しいだろう、どんなに苦しいだろうって。


でも違った。


五輪、金メダルという言葉から解放された。


トップアスリートというのは…それほどのプレッシャーが…




トップアスリートは自分の為だけにオリンピックや試合や記録を目指しては行けないの?そんな重圧を…って思うと胸が苦しい。



いえ、きっとそのつもりだったとしても自分でも分からないうちにプレッシャーになってたりするんですね。


どれほどの重圧が…国の期待、ファンの期待、協力してくれてるスタッフのため、心血注いでくれている家族のため…


それらを背負って進化していかなければならない。


池江璃花子さん



まだ19歳なんです。



とてもしっかりしているから、ついもっと大人の女性と思ってしまうけど、まだ未成年。まだ19歳。



池江さんの言った「生きている事が奇跡」


それは別に病気になった人だけの事ではない。

人はみな、奇跡の連続で生きているのだと思う。



先日、「フォルトナの瞳」という映画をみた。

その中である人が「人は皆、毎日9000回も『選択』して生きている」のだと言う。

選択した結果、生きる方になるか、命を閉じる方になるか。


それも奇跡の連続なのだと思う。




アスリートの苦悩を少しでも知るにあたって、どうしても考えてしまうのは自分の推しの羽生くんのこと。



平昌で…どれだけ大きな重圧を背負っていたか





レジェンドだ、絶対王者だと言われても1人の人間。

大きすぎるプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのではないかと…この時の写真を見て、いつもいつも胸が熱く苦しくなって、大丈夫、大丈夫だよって肩を抱きしめてあげたくなる。




アスリートにとって怪我は選手生命にも関わる大変な事だけど


病気ともなると中々太刀打ち出来ない。


ソチで堕ちてからの


特に2014-15シーズン。


私は、いえ私だけではないと思うけど、羽生くんは生き急いでいるように見えた。


あまりに進化が早くて美しくて儚げで…

命が短く感じてしまって不安だった。

ファンとしては羽生くんの幸せが1番の願いなんだけど…



どうか生きて…



元気に健やかに


生きていって欲しい。


あなたがおじいちゃんになった姿は見られないと思うけど



私が逝った後もどうか



幸せに生きていて欲しい。






キャプはこちらの動画をお借りしました。



さー!夜勤の仕事もあと少しあせる


今回は久しぶりにハードな夜勤でしたあせる

疲れたー!!まだ終わらないけどあせる


あと少し!頑張ってきます!
 みなさんも良い一日をー!


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