1962年2月16日Bobby Vintonは生き残りをかけてColumbiaのNew Yorkの録音スタジオにいた。1960年末にBobby Vinton and his orchestraはバンドとしてEpic Recordsと契約、2枚のLPと3枚のシングルをリリースしたが売れ行きは伸びずEpic Recordsはボビーの解雇を検討していた。Dick Clark の"Caravan of stars"のバックオーケストラとして当時のアイドルBrenda Lee, Tony Orlando, Fabianなどと全米を巡演。オーケストラとして

それなりの力量を持っていた。

1961年に録音された"Stella by starlight"(星影のステラ)

 

 


”Corrina Corrina”は1961年に録音。アルバム"Plays for his li'l darlin"に収録されシングルとしてもリリースされた。

 

このシングルも売り上げが伸びずエピック・レコードは

解雇の検討にはいった。

ボビー・ヴィントンは契約書の中身を熟読しもう1枚シングル盤を

制作できることを確認、会社側を説得し、歌手としてこの日"Roses are red""you & I""Mr.lonely""Miss America"の4曲を録音する。制作はBob Morgan,編曲・指揮はRobert Mersey"Roses are red"(涙の紅バラ)は1961年の作品。作詞:Al Byron, 作曲:Paul Evansでボビーがエピックのオフィスのreject pileから発見し録音。当初はR&B調で録音したが、

うまくいかずカントリー調のアレンジに変えPasty Cline調で録音した。


「遠い昔、君は僕に卒業式の日に本を渡してくれた。それに僕は書いた。

"いとしい人へバラは赤く、すみれは青い、砂糖は甘い、でも僕には君ほど

甘くない。ハイスクール在籍時はデートを重ね、別離の日がきて僕は

君の本のなかの自分の名前の次に書き込んだ、そして別れ、君は別の恋人と出会った、ぼくは懐かしい君の手紙を読んで返事を書いた。”いとしい人、バラは赤く、スミレは青い、幸せになってほしい。あの幼い子は君の子だろうか?君によく似ている。そしていつの日か誰かがまた本に同じことを書くだろう。」といった内容。

ボビーの友人たちはこぞって「ふるめかしい作品でヒットはしないよ」といった。だがボビーは自信をもっていた。

Epicは4月6日"You & I"/”Roses are red"として"You & I"をA面に発売した。一部の地域で少し動きがあったが、ボビーは地元のペンシルべニアにおもむきローカルのレコード店に売れ残っている"Roses are red"のシングルを買い取り、自らバラの花をそえておもなラジオ局に配った。その際、偶然であった若い女性が手助けしてくれたそうだ。

1962年6月9日付Billboard誌に68位に初登場。以降31位→16位→5位→2位→1位と7月14日付から8月4日付まで4週間第1位を維持しEpic Recordsに初のゴールドディスクをもたらした。

 

 

 

 

R&Bチャートで第5位 ACチャート第1位を記録したほかドイツ、オーストラリア、ノルウェイなど世界的なヒットとなりドイツではドイツまでわたり現地でドイツ語で録音した。

Bobby Darin, Bobby Rydell, Bobby Veeについで4人目のボビーとして以降アメリカのポピュラー歌手として足跡を残す。

作者のPaul Evansはのちに「本当は自分で歌ってヒットさせたかった。順当ならGuy Mitchellあたりが録音する予定だった」と語っている。

Paul Evans自身の録音。

 

 

 

1963年には5人目のボビー、Bobby Goldsboroも録音した。

 

 

 

日本では山下敬二郎がカバーした。

 

 

ボビーの日本盤は同年8月に日本コロムビアから発売されかなりの

注目を集めた。

 

1990年映画「グッドフェローズ」にはボビー・ヴィントン役を息子のロビーが

演じコパカバーナのシーンに登場した。

再録音は1990年Curb Records 在籍時に発売された。

Four SeasonsのBob Gaudioが制作した。オリジナルとはことなる斬新なアレンジがひかる。

 

 

 

 

こうして「涙の紅バラ」はその抒情的な歌詞で現在も世界中の音楽ファンに

親しまれている。

 

 

 

 

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