母の死から通夜までの話③ | るんるん♪るるのDIARY

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~自閉症の20代の次男との毎日を綴っています~

こんばんはーーー。

 

 

 

昨日の電話で父が随分落ち着いていた上に

 

 

「皆いなくて寂しいよぉ」

 

 

と言っていた声が忘れらず、

16時半頃電話を入れてみました。

 

 

 

 

でも出ません。

 

 

 

そのくらいの時間にお風呂に入ることも多いので

お風呂かと思い、

また時間を置いてからかけたのですが

やっぱり出ません。

 

 

 

 

その後も気になって何度かかけましたが

一向に出ません。

 

 

 

 

何かあったのかと心配していたら

ほどなくして姉からLINE。

 

 

 

 

なんでも今日、姉は朝から行ってくれていたそうですが、

夕方帰ろうとしたら父に

 

 

「俺も一緒に行ってもいいか?」

 

 

と聞かれ、連れて帰って泊まらせることにした、とのこと!!

 

 

 

 

ホッ!!!

 

 

 

悪い意味で何かあったわけではなくて安心したし、

こうやって少しずつ姉宅に泊まる習慣もつけてくれるといいな、と

思いました(*^o^*)

 

 

 

今日は義兄の誕生日なので

皆でお祝いする輪の中に入れて

嬉しかったんじゃないのかな?

 

 

 

 

姉と父には仲良くやってもらって

四十九日までは7日ごとにお墓にお参りに

行かなくてはならないので

それは父一人では無理だし姉にお願いしたいんですよね。

 

 

 

ま、とにかくよろしく、といったところです。

 

 

 

 

さてさてこちらのつづきを書きたいと思います。

 

 

 

ここからはほぼ自分の記録用です。

 

 

 

中送り と言って

母が家から旅立って行ったのが6/13(木)の

通夜の日の昼の12時。

 

 

 

その後、13時から会場で

「会場納棺」という儀式があるので

家を片づけてパタパタと向かいました。

 

 

家族葬にして良かったと思ったのは

実は会場まで我が家から徒歩5分、という距離ということ。

 

 

 

 

これは何かと便利でした、ホント。

 

 

父から

 

 

「お腹空いたから俺の分のおにぎり買ってきてくれ」

 

という電話を受け、

私も含め、全員お昼ご飯を食べないまま

13時からのその儀式ではお腹空くよなぁ、ということで

近くのコンビニでおにぎり20個、

ペットボトルのお茶10本を買ってから向かい、

13時までの間にそれぞれ適当に食べました。

 

 

 

そして13時から儀式開始。

 

 

 

中送りに来てくれた母の弟たちは来ませんでした。

 

 

 

というかきちんと知らせていなかったようで、

知らずに一旦帰ってしまった感じ?

 

ちゃんと説明して来てもらってたら良かった、と思いました。

 

 

 

というのも、儀式ではまず母に白装束を着せてくれるのですが、

母が着替えている間に

三途の川を渡る為の渡し賃の

六文銭をみんなで作りました。

 

紙に一文銭が6個印刷されているので、

それぞれ形に沿って丁寧にちぎって6枚の一文銭をつくり、

それを母が身につける白いポシェットに入れます。

 

 

後は旅の食糧となる米と塩もその中に入れました。

 

 

 

そうこうしているうち母が白装束に着替え終え、

今度は草履を履かせて

その紐を゛縦結び」に結ぶのも皆でやりました。

(スタッフの方が指導してくれるのでその通りにやっただけ)

 

 

それと同時進行で母の顔もきれいにメイクしてくれて。

 

 

 

そうそう、母は膠原病を患ってから

杖を使わないと歩けなくなっていました。

 

 

そんな母が亡くなり、白装束に着替えて旅立つ準備をしているわけです。

 

 

 

「お母さん、これからは杖なしで歩いていけるね」

 

 

 

と涙ぐみながら声をかけたら

 

 

三途の川を渡る衣装には杖もセットでついていました滝汗

 

 

 

 

あ、杖はこれからもいるのかあせる

 

 

 

 

 

 

で、その後いよいよ棺に入れられ、

母は通夜会場に運ばれていきました。

 

 

 

通夜は18時からなので

私はその間一度家に帰り、

洗濯物を取り込んだり。

 

 

 

・・・・と、何故か姉や姪っ子、甥っ子たちもついてきてたしまって

部屋でテレビとか観始めました(@_@)

 

 

 

仕方ないのでクーラー入れたりして余計な仕事が増えましたとさ(;'∀')

 

 

 

 

それからそこそこに会場に戻ると

まだ全然早いのに親戚たちが次々と来るので

その対応に追われ、

そうこうしているうちにご近所の皆さんが

通夜開始前に、ということで

次々とお線香をあげに来てくれたのでその対応に追われ、

あっという間に18時!!!

 

 

 

通夜開始です(^_^;)

 

 

 

 

で、家族葬で人数制限もあり、

最小限の人たちしか呼べない、という話から

 

 

「31人までなら後ろに臨時の席を設けて何とか入れる」

 

 

という話になり、

 

 

「入れるなら行きたい」

 

 

という親戚が増え、

ギリギリ31人、にしていたのに

何故か知らない人が2人いました(@_@)

 

 

 

 

あの人たちは誰!?

 

 

 

 

いやでも父の妹たちと会話したりしています。

 

 

 

そしてなんとなくどこかで見たことがある気がしたので

多分親戚なんだろうけど・・・・

 

という状態(^_^;)

 

 

 

 

後でわかったのですが、

 

 

「家族葬だから決まった人しか来れないんだよ」

 

 

と何度も説明したのに

父が勝手に自分の親せき(父の母の生家の人たちでした)を

呼んでしまっていて(;'∀')

 

 

 

結局通夜ぶるまい(皆で寿司などの大皿料理を食べる)では

旦那様や凌太、義兄、姪っ子1.2.甥っ子は席もなく食べれず控室で待機(;'∀')

 

 

私と姉も席はなかったのですが、

とにかくみなさんに挨拶しながらお酌して回りました( ̄□ ̄;)

 

 

 

 

 

父ですか?

 

 

 

ええ、お客さん状態でドカッと座って飲み食いしておりましたよ(^_^;)

 

 

何故私がお前に酌せねばならない?!

 

 

とワナワナしながら何度もビールをついでさしあげました(-_-;)

 

 

 

いや、父にお酌するのはいいんだけどさ、

 

 

 

お前も皆に挨拶してまわれやーーーー!!!!

 

 

 

と言いたくなりましたね(^_^;)

 

 

 

 

 

まぁでも無事終わって良かったです!!

 

 

 

 

そして夜は父、姉、私、旦那様、凌太、姪っ子2で

会場に泊まりました。

 

 

 

昔は

 

ろうそくの火を消さないように一晩中交替で火の番をする

 

 

というのが目的で

そこに2人くらいで泊まっていましたが、

今はろうそくも火事防止も兼ねて電気のろうそくになっていて

お線香も10時間くらい持つやつをつけるので

単に母と最後の夜を過ごすための宿泊、という感じでした。

 

 

噂には聞いていましたが

お風呂にはジャグジーもついていたり、

なかなか豪華な設備でしたーーー!!

 

 

徒歩3分のところに遅くまでやってるスーパーもあったので

そこに翌朝の朝食を買い出しに行ったり。

 

 

 

まぁでも姉も私もなかなか眠れず、

何度も母の顔を見に行っていました。

 

 

 

明日は葬儀で、それが終わると荼毘に付すわけで・・・・。

 

 

今は 形 があるからまだいいけど

明日には焼かれて消えてしまうのか

 

 

と思うと胸が張り裂けそうでした。

 

 

 

葬儀編へつづく。

 

 

 

 

 

お父さん、落ち着いてきてよかったね!と思ってくれたらぽちっとな~グッド!

 

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