こんばんはーーー。
昨日の電話で父が随分落ち着いていた上に
「皆いなくて寂しいよぉ」
と言っていた声が忘れらず、
16時半頃電話を入れてみました。
でも出ません。
そのくらいの時間にお風呂に入ることも多いので
お風呂かと思い、
また時間を置いてからかけたのですが
やっぱり出ません。
その後も気になって何度かかけましたが
一向に出ません。
何かあったのかと心配していたら
ほどなくして姉からLINE。
なんでも今日、姉は朝から行ってくれていたそうですが、
夕方帰ろうとしたら父に
「俺も一緒に行ってもいいか?」
と聞かれ、連れて帰って泊まらせることにした、とのこと!!
ホッ!!!
悪い意味で何かあったわけではなくて安心したし、
こうやって少しずつ姉宅に泊まる習慣もつけてくれるといいな、と
思いました(*^o^*)
今日は義兄の誕生日なので
皆でお祝いする輪の中に入れて
嬉しかったんじゃないのかな?
姉と父には仲良くやってもらって
四十九日までは7日ごとにお墓にお参りに
行かなくてはならないので
それは父一人では無理だし姉にお願いしたいんですよね。
ま、とにかくよろしく、といったところです。
さてさてこちらのつづきを書きたいと思います。
ここからはほぼ自分の記録用です。
中送り と言って
母が家から旅立って行ったのが6/13(木)の
通夜の日の昼の12時。
その後、13時から会場で
「会場納棺」という儀式があるので
家を片づけてパタパタと向かいました。
家族葬にして良かったと思ったのは
実は会場まで我が家から徒歩5分、という距離ということ。
これは何かと便利でした、ホント。
父から
「お腹空いたから俺の分のおにぎり買ってきてくれ」
という電話を受け、
私も含め、全員お昼ご飯を食べないまま
13時からのその儀式ではお腹空くよなぁ、ということで
近くのコンビニでおにぎり20個、
ペットボトルのお茶10本を買ってから向かい、
13時までの間にそれぞれ適当に食べました。
そして13時から儀式開始。
中送りに来てくれた母の弟たちは来ませんでした。
というかきちんと知らせていなかったようで、
知らずに一旦帰ってしまった感じ?
ちゃんと説明して来てもらってたら良かった、と思いました。
というのも、儀式ではまず母に白装束を着せてくれるのですが、
母が着替えている間に
三途の川を渡る為の渡し賃の
六文銭をみんなで作りました。
紙に一文銭が6個印刷されているので、
それぞれ形に沿って丁寧にちぎって6枚の一文銭をつくり、
それを母が身につける白いポシェットに入れます。
後は旅の食糧となる米と塩もその中に入れました。
そうこうしているうち母が白装束に着替え終え、
今度は草履を履かせて
その紐を゛縦結び」に結ぶのも皆でやりました。
(スタッフの方が指導してくれるのでその通りにやっただけ)
それと同時進行で母の顔もきれいにメイクしてくれて。
そうそう、母は膠原病を患ってから
杖を使わないと歩けなくなっていました。
そんな母が亡くなり、白装束に着替えて旅立つ準備をしているわけです。
「お母さん、これからは杖なしで歩いていけるね」
と涙ぐみながら声をかけたら
三途の川を渡る衣装には杖もセットでついていました
あ、杖はこれからもいるのか
で、その後いよいよ棺に入れられ、
母は通夜会場に運ばれていきました。
通夜は18時からなので
私はその間一度家に帰り、
洗濯物を取り込んだり。
・・・・と、何故か姉や姪っ子、甥っ子たちもついてきてたしまって
部屋でテレビとか観始めました(@_@)
仕方ないのでクーラー入れたりして余計な仕事が増えましたとさ(;'∀')
それからそこそこに会場に戻ると
まだ全然早いのに親戚たちが次々と来るので
その対応に追われ、
そうこうしているうちにご近所の皆さんが
通夜開始前に、ということで
次々とお線香をあげに来てくれたのでその対応に追われ、
あっという間に18時!!!
通夜開始です(^_^;)
で、家族葬で人数制限もあり、
最小限の人たちしか呼べない、という話から
「31人までなら後ろに臨時の席を設けて何とか入れる」
という話になり、
「入れるなら行きたい」
という親戚が増え、
ギリギリ31人、にしていたのに
何故か知らない人が2人いました(@_@)
あの人たちは誰!?
いやでも父の妹たちと会話したりしています。
そしてなんとなくどこかで見たことがある気がしたので
多分親戚なんだろうけど・・・・
という状態(^_^;)
後でわかったのですが、
「家族葬だから決まった人しか来れないんだよ」
と何度も説明したのに
父が勝手に自分の親せき(父の母の生家の人たちでした)を
呼んでしまっていて(;'∀')
結局通夜ぶるまい(皆で寿司などの大皿料理を食べる)では
旦那様や凌太、義兄、姪っ子1.2.甥っ子は席もなく食べれず控室で待機(;'∀')
私と姉も席はなかったのですが、
とにかくみなさんに挨拶しながらお酌して回りました( ̄□ ̄;)
父ですか?
ええ、お客さん状態でドカッと座って飲み食いしておりましたよ(^_^;)
何故私がお前に酌せねばならない?!
とワナワナしながら何度もビールをついでさしあげました(-_-;)
いや、父にお酌するのはいいんだけどさ、
お前も皆に挨拶してまわれやーーーー!!!!
と言いたくなりましたね(^_^;)
まぁでも無事終わって良かったです!!
そして夜は父、姉、私、旦那様、凌太、姪っ子2で
会場に泊まりました。
昔は
ろうそくの火を消さないように一晩中交替で火の番をする
というのが目的で
そこに2人くらいで泊まっていましたが、
今はろうそくも火事防止も兼ねて電気のろうそくになっていて
お線香も10時間くらい持つやつをつけるので
単に母と最後の夜を過ごすための宿泊、という感じでした。
噂には聞いていましたが
お風呂にはジャグジーもついていたり、
なかなか豪華な設備でしたーーー!!
徒歩3分のところに遅くまでやってるスーパーもあったので
そこに翌朝の朝食を買い出しに行ったり。
まぁでも姉も私もなかなか眠れず、
何度も母の顔を見に行っていました。
明日は葬儀で、それが終わると荼毘に付すわけで・・・・。
今は 形 があるからまだいいけど
明日には焼かれて消えてしまうのか
と思うと胸が張り裂けそうでした。
葬儀編へつづく。
お父さん、落ち着いてきてよかったね!と思ってくれたらぽちっとな~