ひそひそiPhoneとMusicStudioとGZ-5(ときどきmicroKORG)で音楽を作りたい

iPhoneアプリのMusicStudioとかで初心者が音楽を作ってみようとして もがいて あがいてジタバタします…

「耳の読者」と「目の読者」。頭の中での音読について。

2019年08月23日 16時31分47秒 | iPhone以外でも音楽つくる
音楽音楽するような作曲(ソフトを実際に動かすレベルの)作業を中断し、
文字文字している今日この頃。

5月くらいからインプットからアウトプットに移行となるも
まだまだ先は長いぞ、時間があるのにできないのは経験が足りないからだ、
と書きものの方でも実力不足に心の中でおんおん泣いたフリをしながら
けろっと生きております。

命あるうち、手が動くうち、目が見えるうちに、耳が聞こえるうちに、
頭が動くうちに、体力があるうちに、お金があるうちに、電気が使える環境のうちに、
世の中が比較的平穏なうちに、多くの人が娯楽を享受できるようなうちに、
聞いて、見てくれるひとがいるうちに、
そう考えればキリがないけど時限を意識することで
足をはやめないと何にも完成しまへんのよぉ~。はーこまった。
こまりながらもやらねばなんね。やることだけがすすむこと。

そう思いながら本を読んでいる時にふと思いました。
音読について。
養老孟司氏の本で「耳の作家」と「目の作家」という分類があり
それぞれ宮沢賢治を「耳の作家」、三島由紀夫を「目の作家」として挙げていて
あーなんとなく分かるわぁ、と思いつつ、
耳といったら音、音といったら音読、とひとり連想ゲームをした結果、
作家だけでなく、読者にも「目の読者」と「耳の読者」があるんじゃないか
という気がしてきたわけです。

だいぶ昔、速読が流行ったころに、頑張って速読術を“一時的に”習得した時がありました。
確かに早く読めた。普通に読むよりは早く読めはしたけど、続きまへんでした。
その程度の経験だけを頼りにすれば、速読の時、文字の音が脳内には流れませんでした。
行の上部と下部に視線を動かしながら、瞬間的に目に焼き付けたと思ったら、
もう隣の行の上部へ視線を動かすやり方です。

そりゃぁ文字の音なんか流れんわ。
流れてたとしたら録画再生時の2.0倍以上の速さよ。
そんなん このぼんくら頭に聞き取れるわけなかんべよ。
 ちなみに最近録画再生は1.5倍速で集中して聞くやりかたに凝ってます。
 余韻を楽しめるものでなければ、時間がハーフになるのでなかなかおすすめです。

そういうわけで、現在も余程追い詰められることがない限り
頭のなかで音読する読者に元通りとなりました。

言葉の音、文字の音を頭に流しながら読むものとして最もふさわしい形態
と言えば詩歌でしょうが、字の羅列がすでに音の羅列でもあることを思えば
詩歌に限らずとも、そこに流れる音を感じながら読むことは
少なくとも日本語においては、日本的な感覚の体得に繋がる行為なのではないかなと
思います。
よくよく考えてみると音だけじゃなくてリズムも多分に日本的なとこあるか。

音楽に重きを置かない人が「目の作家」としてあり得るのは分かるとして、
音楽を作る人で「目の作家」という人はあまりいないのじゃないかと思うわけですが、
今後、映画とか絵本とか、色んな作者の根幹を探ろうとするときに
「耳」か「目」かという視点は便利な着眼点になりそう。
あ、作者だけでなく受け取り手の感想とかがあれば、そこにも使えるかも。


最後に、先の養老さんの本を見直すと正確には
“「目の読者」と「耳の読者」”の並びであることに気付きました。
……どうやら私は「耳」に意識が傾くのか、無意識的に聞こえの良い方に流れがちなのかも。
頭で音読する人は今記事タイトルとの違いに気付かれるのではないでしょーか。




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