相模湖-232
 お宿の裏手、覆い被さるように取り囲むその鬱蒼とした山のほぼ山頂までの離れ小屋探索の全てをやり遂げ、山を下って来た。

 腓腹部の痺れを同行人にこぼすことなく、自らの裡に押し留める。

 憔悴しきって口でハァハァ息を吸い、チアノーゼみたいな症状をみせるSさんに、ねめつけるような眼で、僕はこう言い放った。

「山頂付近のもう片方の離れ小屋、トイレ未確認だったかもしれないんで、もう一回行きましょうか?」Sさんは愛車の白いアクアの運転席前の地面に、へたり込むような勢いで直立からガクンと屈曲をしたかと思うと、そのまま蹲踞の姿勢となり、同時に両手で恥じらう女学生のように、両の指先を額にそれぞれチョンと着地させたかと思うと、そのままそっと両目隠していき、もうたまりませんと、勘弁して下さいと、こんなにも厳しいものだったのかと、自分からまるでテーマパークのアトラクションに参加でもするように、怖いもの見たさで、手っ取り早く廃墟ブログの管理人と連絡を取り、いざ胸躍らせて、来てはみたものの、本気でやっている人は、こんなにも過酷で、純粋に打ち込んでいるのだなと、丹念に同じ場所で朝から晩まで、何時間も時間を費やし、寡黙に地味な作業を淡々とこなしているのだなと、もうここまで来たら、添い遂げることも辞さないような覚悟をもって臨むだろうし、少しだけ過剰であった、疲れたアピールは、水に流して忘れて下さいと、ひとしきり反省をした感のあるSさんは、すくっと立ち上がり、さぁ、続けましょうよとばかりに、今目が覚めたような、清々しい顔をして、誰に命令を受けるでもなく、お宿本宅の方へ、若干左足を引き摺り気味に、歩き出して行った。



相模湖-230
 途中のこのビニールシートには違和感があった。土砂崩れのために今更、ビニールシートを被せるものなのかなと。

 寄せられた情報によると、この付近で、2009年頃から、酒粕と生ごみの混じったような、死体の腐敗臭ではないかとも思われる、強烈な異臭が漂い始めたという。

 異臭の原因は、業者による、お宿敷地内への不法投棄。業者曰く、堆肥ということだったが、実際は廃棄目的の産業廃棄物であり、警察の捜査も入り、その後撤去された模様。

 別の廃墟でも、ビニールシートの被った不自然な盛り上がりを見たことがあり、ネットで調べると、業者が不法投棄で捕まったとのニュースがあったので、ここも、同じようなことがあったということのようである。

 産廃の完全除去は難しいので、異臭を抑えるためにも、ビニールシートをまだ残してあるのかもしれない。



相模湖-154
 再び、お宿の母屋に戻って来た。山の中の離れ小屋はそう崩れてもいないのに、母屋の一階の特に中庭側は、煤けたように黒みがあり、痛みも激しい。ボヤでもあった可能性もありそうだ。



相模湖-156
 廃墟に実にありがちな、垂れ下がる受話器。
 


相模湖-157



相模湖-155
 よく見れば、いつ崩れてもおかしくないような歪みが生じている   



相模湖-158
 まぁ、自分がいる間は、崩落しないだろうな、という、根拠のない自身をもって、行動するしかないだろう。



相模湖-160
 ハガキ挿しがあり、「謹賀新年」の年賀ハガキが、陰鬱な気分にもなる、暗いこの廃墟で、虚しくも、顔を覗かせ、あまりの場違いもあり、苦笑するのも憚れる。



相模湖-159
 焼けただれたような、中庭側の一階部分だが、スチール製の棚だけは、しぶとく、傾きながらも、ほぼそのままに、残っていた。

 校友会のご案内とあり、赤字で、入学金他、領収書、と書かれている。かつて山の中にあった、和歌子ちゃんも通った、分校の事務手続きをここのお宿が、代行でもしていたのだろうか。



相模湖-162
 スチール製の棚には、お宿宿泊者用の、浴衣もあった。

 お宿のオリジナルデザインというわけでもないようだ。



相模湖-161
 僕とSさんが、お互い見やって、無言でほぼ一どきに、頷く。

 『完了だ』の意であるのは、もう口に出さなくとも、意志相通ができるような、そういう緊密な間柄になっていたのは確かなようだった。



相模湖-151
 二階の住居スペースへ行こうと、鉄パイプの手摺を伝い、階段を登るが、朝確認した通り、途中で一部分が欠落してしまっている。スーパードンキーコングのトロッコの面で、レールが途切れているように、ぽっかり無い部分があるので、そのままでは落下してしまい、先に行けないのである。

 僕が、山側の蔦を掴みながら、ぶら下がって、反動で、欠落部分を飛び越えて、二階のドア前に着地をすればいいと、説明をすると、Sさんは一瞬顔を歪めたかと思うと、僕から目を逸らし、誰もいないはずの、真後ろを向く。振り向きざまに口元が動き、声にならない声を上げた  僕に面と向かっては言えないので  ようであった。山岳登山でもあるまいし、そこまでやるのかよ!!とでも、思わず  声には出なかったが  漏らしてしまったに違いないだろう。

 僕としては、行くつもりでいたが、Sさんが拒めばもう帰ろうと思っていた。生半可な覚悟の人間に無理にやらせても、大怪我の元だからである。

 行くか退却かの選択はSさんにお任せしますと言うと、彼は駐車してある白いアクア方のをじっと見つめ、頭を傾げ、腕を組み、無言でしばらくうつむいたまま、やがて息を大きく吸ったかと思うと、口元を尖らせ、すぅーと、時間稼ぎをするかのように長めに、鼻からゆっくりと息を吐いた   




つづく…

「二階玄関、ピンクの浴室」廃墟、家族崩壊のお宿.8

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