シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその48 漂流者

うーむ。

一週間のうち5日曇りor雨で、2日何とか晴れるかなという天気が続いていますね。そして、晴れる日は平日という。

なので、まあ、平日撮りに行くしかないんですけどね。昨日も行ってきたんですが、平日はやはり次の日少し眠い。

まあ、ほどほどに行くしかないですね。コスモスがどのタイミングなのか、もう少しだけあとのような気がする。本当は今週末がベストぽいが、また台風ですね…。

 

雨が多いので、必然的に、本を読む時間が増えまして、写真論も少しずつ深めていっています。

最近読んだのは、佐々木基一全集7

佐々木基一 - Wikipedia

文芸や映画の評論が多いようですが、写真論も論じています。

彼も、写真芸術の大衆性というのは指摘していて、そこら辺を軸に色々考えてみないといけないなと…。

 

(と、気づかれないように、スムーズに写真論語にはいるスタイル…)

最近は、SNSによる写真展示の意味ということについて考えています。

SNSには毎日、多くの写真が、流れているわけですけど、そのSNS的展示の持つ特性というのは何だろうかな、と。

 佐々木基一の、写真の大衆性を論じた部分を引きますと。

これまで芸術の世界は少数の作家と多数の享受者とに分裂していたが、写真は、作家と享受者との差異と分裂を時とともに解消してゆく傾向にある。享受者大衆がいつでも作者に転換できる可能性がひらけてきたのである。プロ写真家とアマチュア写真家とは、たんに写真を職業とし収入源としているか否かのちがいにすぎず、芸術家と非芸術家とのちがいではありえない。いや、写真は、従来の芸術家という観念をもうち破って、新しいタイプの芸術家、つまり、ただ写真を写す人間というだけにすぎない芸術家のタイプを生み出す可能性をそれ自体にもっている。言いかえるなら、すべての人間が、芸術家になりうる可能性をきりひらくもっとも有力な手段である。このように作家と享受者のあいだの断絶と距離を埋め、すべての人間がいつでも作者に変わりうるという点でもまた、写真は本来、芸術ばかりでなく文化全般の民主化を促進するものであると言って差支えないだろう。

と、指摘しているように、大衆性というのをキーワードに読み解くと、一つは、やはり、誰もが写真を通した表現者(芸術家)になりうる可能性を持つメディア特性が特にSNS的展示においては強く表れているだろう、ということは言えると思います。

これは、作り手の側からみた展示の可能性の側面。

 

そして、私が、もう一つ、大事だと思うのは、受け手(鑑賞者)が気軽に、写真を見る(鑑賞する)ことができるという側面ではないだろうか、と。

写真というのは、複製芸術として、基本的に無尽蔵にコピーが可能で、むしろ、複製された形(雑誌や新聞、写真集、そしてSNSを含むインターネット環境)で、受け手の側の手元まで届いてくる、というところに大きな特徴があります。

その時に、多数の受け手が、同じ写真を異なった文脈で(受け手の経験や価値観を通して)見ることで、作者の意図を離れて、写真が読み解かれるということが起こるだろうということです。そのことが、本質的な意味を持つように思います。

つまり、写真というのは、複製芸術である以上、宿命的に、作者の側の意図しない受け取られ方をしうる芸術なんだろうと。受け手の手元に(そしてそれゆえに受け手の内面に)届く形式であるがゆえに、作者がその写真の意味を100%コントロールすることはできないのではないか。

もちろん、ある程度作者の側で、文脈を補強する(タイトルをつけたり、ステートメントを書いたり)ということもできるんですが、それは時間が経てばいつか剥がれてしまい、その時代の大衆性に根差した各受け手の感性の中で、受け取られていかざるをえないんだろう、と思います。それは言い換えれば、写真作品の芸術的価値は、それを読み解く受け手次第だということでもあります。

だから、SNS的展示のもうひとつの意味としては、受け手の側が、芸術的価値を自らの内部で生み出していく(写真を内面化していく)、そういう芸術鑑賞のスタイルとしても大衆性を持つものなのだろう、と。

 

つまり、SNS的展示方法には、ひとつは、作り手の大衆化(民主化)、もう一方は、受け手主体の鑑賞スタイルの創造という可能性があるのではないでしょうか。二重の意味で、芸術を大衆化し民主化する側面があるといえるかもしれません。

 

しかし、佐々木基一も、先の引用箇所に続けて、

ただ、現代ではそれが、コマーシャリズムによる疑似民主化と疑似大衆化に利用されている。大衆の創意を促し、さまざまなかたちにおいて発現するその多様な創意を組織することによってはじめて、写真の本来もっている民主的気質が機能的に有効に働きうるのではあるまいか。

と、指摘しているように。SNSも、このコマーシャリズムから完全に自由になっているわけではないとも思います。

この側面は、SNSにおいては、すでに世間に広く流布されている写真イメージと「同じものを撮りたい」(し、それが歓迎もされる)という現象に強く表れているように思います。例えば、いわゆる「絶景」ブーム的な…あるいは、インスタ映え的な…。それ自体は、SNSの一方での特性だろうし、それを否定してもしょうがないとは思うのですが、それとは別に、佐々木基一のいう「写真の民主的気質」の側面を意識した作品展示と鑑賞のあり方というのはありうるだろう、と。

できれば、そういうものを意識して作品作り、作品鑑賞をしたいなと思っています。写真の民主的気質を活かすSNS的展示…、ここは、よく考えてみたいですね。

それは、少し抽象的ですが、作者が作品から手を離して、作品に自由を与えることで、作品を受け手に預けるというスタイルのような気がしています。もっと言えば、自分でこういう写真だと決めつけてしまわずに、他者の評価を受け入れて、その作品が文脈を得て変化していく過程を楽しむ、というか。

そういう意味ではやはり、撮ったら何らかの形で見てもらえるように、積極的にアウトプットしていくことは最低限外せないですね。

 

ただ、そうすると、写真にウォーターマーク(すかし)=作者の刻印を入れるのもどうかなぁという思いは芽生えるのですが、それはまあ、転載対策の側面からしょうがないところかなぁ、とも。悩ましいですね。でも何かかっこいい(と思ってる)から入れてる側面もなきにしもあらずで、ここらへんは、絵画的な展示(基本的に作者のサインを入れる)に引きずられている部分はあるように思います。うーむ。思想を貫徹するというのは難しいですね…。

 

と。ナチュラルに、すでに2500字近く語りましたが、本題はサルベージです。

 

漂流者

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PENTAX KP レンズ HD DA 15mm Limited  焦点距離15mm

ISO6400 SS50秒 F4.0 アストロトレーサー使用

2018.7.15 高知県香南市にて

 

この日までは、明らかに、KPの高感度耐性を過信しており、強気のISO6400に設定しています。これがまずかった…。

特にこの日は気温がかなり高く、センサーも高温になったのでしょう…どうしてもノイズが強く出てしまいました。この日以来、4000くらいでまず様子を見るということを覚えたのですが…。で、まあシチュエーション次第では、また6400も行けるというのも再発見してますけどね。特に夏の盛りが過ぎてからは。

 

これ、流木の枝ぶりが持つ雰囲気や天の川のかかり方など、シチュエーションをみると撮り切れていれば、年1クラスの写真にもできたかもしれないと思いつつ、あきらめきれず、次の日も行ったんですが、空の抜け具合や流木の位置の変化などもあって、うまくいかず、写真における一期一会とはこういうことなんだなと痛感した写真でした。

その意味では非常に教訓的な写真。

 

低照度部分のノイズレスを追求するなら、地上部と空を別撮り合成という方法もある。あるいは加算平均という手も…。もしくは合成をしないということなら、低照度にせずに、フラッシュやライトで前景を照らすという手もあった。

どれかの手段を講じていれば…。ああ、しかし、覆水盆に返らず、これぞ一期一会です。

せめて、これを教訓に、来るべき似たシチュエーションの時は、きっちり撮り切りたい。

 

これは、プリントして某フォトコンに出したんですが予選通過止まりで、またもや選外でした。選外量産マシーン。ただ、プリントすると電子デバイスで見るよりは、ノイズは気になりませんけどね…。

 

ああ~。難しい。しかし、写真は一期一会だからこそ、意味があるともいえる。

先の「絶景」の話でもないですが、同じ物を撮っても、同じように撮ったとしても、日が違い、季節が違い、撮影者が違い、違う写真であるならば、本質的には、そこには、「絶景」の文脈に回収しきれない独自性は必ず生まれてくるとも思います。鑑賞者としては、そこに生まれた独自性を積極的にくみ取っていきたいですね。撮影者としては、独自性を出来る限り生み出していきたい…。

 

とサルベージでした!

 

そうそう。

そういえば、今年目標にしてきた高知県展は、最終的に「入選」ということで一つの目標は達成できました。ここは、素直に良かった。これを足場にして、少しずつ行こうと思います。

少しずつ、少しずつ、手探りで進むように…。

まだまだ、入り口に立ったばかり、というところですね。

…一朝一夕に独自性が生まれるわけでもなく、それは結局続けることでしか生まれえないと思いますので、来年も、少しでも良いものが出せればいいなと思います。また一年がんばって撮ろう。

 

県展・写真部門は、文化プラザ・かるぽーとで、10月5日(金)~21日(日) 会期中無休、開館時間は午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)、ということです。

もちろん星景写真で、「春に去りゆく」という題名です。全紙木製パネルになってるので(これの製作費が高かった(笑))、電子デバイスで見るのとはまた違った趣があります。特選等のタイトルを見るにいくつか星景も出ている感じがするので、私も勉強してきます。機会がありましたら、ぜひ、お立ち寄りください。

第72回 高知県美術展覧会(県展)開催概要 | イベント情報|株式会社 高知新聞企業(公式ホームページ)

 

県展がおわったら、「春に去りゆく」もサルベージしておこうと思います。

ではまた。

 

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