韓流時代小説 寵愛~隻眼の王の華嫁~このままそなたを宮殿にさらってゆきたい。英宗は切なげに溜息を | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】

~隻眼の王の華嫁は二度、恋をする~

 第三話 ポジャギの謎

 

「そう、今だけは、王と町娘ではなく、ただの男と女でいたい。せめて今だけは、ただのセリョンとムミョンでいられるこの大切な時間に浸りたい」
~遊廓の女将の娘が王様を好きになっても良いの?~

とある国王の御世、都漢陽では旅の一座が上演する仮面劇「王宮の陰謀」が大流行。
翠翠楼の一人娘、セリョンは念願叶って「王宮の陰謀」を見た帰り道、大怪我をして行き倒れていた美しい青年を助けるが-。

人物紹介  
チョン・セリョン(鄭世鈴)-後の貞慧王后
妓房(遊廓)の看板娘。まだ幼い頃からセリョンを水揚げさせて欲しいと願う客が殺到するほどの美少女。外見を裏切るお転婆娘。明るく、落ち込んでも立ち直りの早い憎めない性格。 

ムミョン(無名)-王世子(世弟)・後の国王英宗
自らを「無名」(名無し)と名乗る謎の男。雪の降る冬の夜、深手を負っていた彼をセリョンが助ける陰のある美男なところから、翠翠楼の妓生(遊女)たちに絶大な人気を集める。隻眼ということになっているも、実は碧眼と黒目のふた色の瞳を持つ。

☆貞順大王大妃(シン・チェスン)-韓流時代小説「後宮秘帖~逃げた花嫁と王執着愛」主人公。
三代前の国王知宗の正室。王室の最長老であり、後宮の最高権力

者。


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 二人が次に訪ねたのは、ミン・スンチョンの近隣の家々だった。隣家といっても直接隣接しているわけではない。ある程度の距離を置いて家が建っているわけで、その一つ一つを訪ねて歩くのはなかなかに根気の要る作業ではある。
 どこの家も皆、似たような情報しか入ってこず、しかもそれはすべて捕盗庁の通り一遍の調査で既に判明済みのものばかりだ。亡くなったソンジョンの評判はおしなべて良かった。病の父親を献身的に看護し、礼儀正しい働き者。絵に描いたような孝行娘だ。
 このままでは一日中歩き続けても、似たような情報しか入らないかと半ば諦めの境地に達しかけた頃、数えて五件目の家に到着した。
 両班とはいえ、ミン・スンチョンの住まいも訪ね歩いた隣家の者たちの住居も似たような造りである。その家の前では、三十手前の女が背中に赤ン坊を括り付けていた。
 家の前には収穫したトウモロコシが蔓のように並べてつり下がっている。女はそれを一つ一つ外し、籠に積み上げている最中だった。
「お忙しいところ、済みません」
 セリョンが声をかけるのに、女が振り向いた。
「何か用?」
 無愛想なこと、この上ない。セリョンはとりつく島もない態度にいささか怯みながらも、根気よく続けた。
「五日前、亡くなったヤン・ソンジョンさんをご存じですか?」
 女はさも面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「何だい、その話はこの間もさんざんっぱら、お役人に話したよ。また同じ話をしろっていうのかい」
 と、ムミョンが背後から進み出た。
「忙しいのに申し訳ない。これを」
 彼は袖から銭の入った巾着(チユモニ)を取りだし、女の手に握らせた。
「いや、別にこんなことをして貰わなくてもさ」
「聞き料だと思って受け取ってくれ」
 男の色香全開のムミョンがこれまた極上の魅惑的な笑顔を見せ、女は完全にポウっと見蕩れている。
 ムミョンが小さく頷いた。どうやら、ここは自分に任せろということらしい。彼は相も変わらず蠱惑的な笑みを浮かべたまま、女に問いかけた。
「ここまでして貰っちゃ悪いから、旦那さま(ナーリ)にだけは話すけどさ」
 女は周囲を窺うように見回し、更に声を低めた。
「あそこのお嬢さまにはひそかに通う男がいたんだよ」
「―」
 ムミョンがつと背後を振り返り、セリョンは頷き合った。
「そうなのか? さりながら、役人の調査ではそんなことは一切出なかったと思うが」
 ムミョンは女に向き合い、巧みに話を引き出してゆく。
 女は作業中の手を休め、溜息をついた。
「だって、捕盗庁のお役人は最初からお嬢さんの死因は溺死だって言ってたし。なら、わざわざ死んだ人の秘密を暴くようなことをしなくても良いかなと思ったんだよ」
「なるほど、役人はやはり、令嬢の死因は溺死だと公言していたんだな?」
「お気の毒なお嬢さまさ。本当に良い娘さんだった。ほら、ミンさまのところはあの通り、ご主人がもう寝付いて長いだろ、だから、お嬢さまが一人で何もかもやりなさってたんだよ。病身の父親のために朝から晩まで内職をして働いて。落ちぶれたとはいえ両班だ、気位ばかりは高いかと思いきや、そうでもない。近所のあたしたちに道で会っても、向こうから丁寧に挨拶してきなさる。偉ぶったところのない、気持ちの良い方だったね」
 これは、ここに来る前の数件でも既に聞いた話である。ムミョンは、それでも一つ一つもっともらしく相づちを打って大人しく聞いている。
 女の話がひと段落ついたところで、ムミョンはすかさず言った。
「それで、その令嬢に通っていたという男の件について、もう少し話して欲しいんだが」
「ああ、どんなことを聞きたいの?」
 ムミョンは首を傾げた。
「例えば、どんな風体をしていたか、特に外見的に記憶に残る部分とか」
 女はしばし考え込んだ。
「そうだねぇ」
 短い沈黙の後、女が大きく手を打った。
「旦那さまも背が高いけど、あの男はもっと」
 彼女は小柄でふくよかな身体を精一杯伸ばし、片腕を上げて見せた。
「もっと背が高かったね。滅多に見かけないほどの長身じゃないかね」
「なるほど」
 ムミョンはもっともらしく頷き、おもむろに問うた。
「令嬢の父上は、通ってくる男については知っていたのだろうか」
「多分、ご存じじゃないと思うよ。何しろ、男が訪ねてくるのは決まって深夜だったから」
「だが、父御は病身で夜もなかなか寝付けないほど具合が悪いそうだ。幾ら何でも、あまり広いとはいえない家の中のことなら気づくのではないか?」
 明け透けには言わないが、薄い壁一つ隔てた狭い家であれば、隣室で娘が男と乳繰りあ合っていれば判るだろうと、ムミョンは伝えたのだ。女は彼の意図を解したらしく、ポッと頬を染めた。
「そりゃ、お嬢さんが部屋の中で事に及んでいればそうだけど、外に出て済ませてくれば、ミンさまだって気づかないかもしれないよ」
「うーむ、そういう手もあるか」
 ムミョンはこれは満更本気で感心したように唸った。
「他に何か目立った特徴はあるかな?」
「済まないけど、何も」
「いや、大いに助かった。ありがとう」
 すごぶるつきの美男に微笑まれ、女はまだ上気した顔でムミョンを見つめている。突如として、女の負うた赤児が思い出したように目覚め、泣き出した。
 ムミョンはそれを良い潮時とし、女に手を振った。
「おっかさまを横取りしていたら、ややが妬いているようだ」
「まぁ、そんな旦那さま、妬くだなんて。それに、この子は息子ではなく娘ですよ」
 女は大真面目にムミョンの言葉を受け止め、恥ずかしげにうつむいている。
「それでは失礼」
 ムミョンが優雅に一礼して身を翻そうとしたそのときだった。女の声が追いかけてきた。
「旦那さま、旦那さま。思い出したことがありますよ」
 それにはムミョンだけでなく、セリョンも振り向いた。女は泣きわめく赤児を揺すり上げつつ、息を荒げている。駆けてきたのだ。
「この子が夜泣きをよくするもんで、あたしは深夜に再々起こされて、この辺りを行ったり来たりするんだよ。それで、お嬢さんの男も何度か見かけたことがあるのさ。あたしが憶えているのは、月明かりに照らされた男がずば抜けて背が高かったことと、お嬢さんと並んで歩いていた時、右足を軽く引きずっていたこと、それだけしきゃないですけどね。近くならもっと顔の造作とか見えたでしょうけど、何しろ夜で遠目だったもので」
 ホウッと、ムミョンの口から息が洩れた。
「いや、十分だ。それは大きな手がかりだ。恩に着るよ」
 彼は心からの礼を言い、セリョンはまた彼と並んで歩き出した。
「大きな収穫だったな」
 ムミョンが声を弾ませるのに対し、セリョンは何故か不機嫌である。当たり前だ、先刻、女を弄ぶ輩は同じ男として恥ずかしい云々と言った口の先が乾かない中に、見知らぬ女を口説く―もとい色目を使っていたではないか。
 いや、判っている。彼は色目を使ったわけでもなく、ましてや誘惑したわけでもない。ただ、調査をするのに〝男の魅力を最大限に駆使した〟だけなのだ。それでも、ムミョンが他の女にあんな魅力的な笑顔で微笑みかけ、甘い声音で話しかけただけで、心がどす黒いものに染まってしまう。
 セリョンは自らの内にわき出た醜い感情を追い払うかのように、首を振る。
―ああ、嫌だ。今からこんな有り様では、将来やっぱりムミョンの奥さんにはなれない。
 彼はセリョンを中殿にと言ってくれているけれど、妓房で育った娘がこの国の王妃になんてなれるはずがない。ムミョンの側で生きると決めたなら、いずれ後宮に入り、その多大勢の側室の一人として正妻である王妃やその他の側室たちと彼の愛を分け合う日々を過ごすことになる。
 とはいえ、今から彼が他の女と親しく話しただけでこうも嫉妬してしまうのでは、到底後宮で暮らすのは無理そうだ。
 醜い想いに気づかれるのは嫌だった。セリョンは無言でひたすら歩く。ムミョンは本当に何故、彼女が不機嫌になったのか判らないようで、慌てて後をついてくる。
「待てよ、セリョン、どうしたっていうんだ。またとない情報を掴めたっていうのに」
 彼はまたしても怒ったセリョンに置いていかれてしまった。まったく気の毒な王さまである。が、仮にムミョンがセリョンの心の真実―嫉妬を知れば怒るどころか、逆に踊り出すほど歓んだだろう。
 何しろ、この若い国王の眼にはどんな美女がいたとしても、道端の石ほどにしか見えず、セリョン一人しか映じてはいないのだから。
―俺のセリョンが嫉妬した!
 裏腹に歓ぶムミョンを見て、セリョンはますます自己嫌悪に陥るだろうから、結局、ムミョンがセリョンの心の有りようを知らずに済んで良かったのだ。
 最後に二人が目指すのは、亡くなったソンジョンの唯一の親友だという娘だった。これは、最初に訪れたソンジョンの父ミン・スンチョンがくれた情報である。去り際、スンチョンはこれ以上、話すことはないが、娘には親しく行き来していた同じ年頃の娘がいるから、その娘ならもしや何かを知っているかもしれないと教えたのである。
 確かに、年の近い女友達なら父親も知らない、ごく私的なこと―例えば、隣家の女房から得たソンジョンの情人についても知っている可能性はあった。
 ところが、ここで時間切れとなった。聞き込みに予想以上に刻を要したため、長い春の陽もそろそろ傾き始める刻限になったからだ。
 セリョンが空を見上げた。春の空は西からゆっくりと茜色に染まり始め、うっすらとした紅(くれない)にほんのひと匙薄紫色が溶け込んでいる。淡い紫が少しずつ溶けて広がってゆく色にたなびく雲が染められて、じいっと眺めていても飽きない。まるで、妙齢の女人の黒檀の髪を飾る紗のリボンのようだ。
 暮れなずむ春の空に魅入られていると、ムミョンの声が黄昏れ刻の静寂を破った。
「そろそろ帰るとするか?」
「そうね」
 今日は郊外の寺詣でに出かけていた母も帰る予定である。もしかしたら、もう翠翠楼に帰り着いて、セリョンはどこに行ったのか、まだ帰ってこないと心配しているかもしれない。心配が高じると、少々厄介だ。
―だから、言わんこっちゃない。もう、そんな良い加減な男とは二度と逢わせないからね! 嫁入り前の娘は身を慎んで、評判に傷を付けないようにしないと駄目なんだよ。
 遊廓で育った娘に遊廓の女将をしている母が言う科白だというのだから、これもまた奇妙な気はするが―。母がどれほどセリョンを大切にしているか判る言葉ではある。
「令嬢の親友だという娘の邸には明日、訪ねてみよう」
 ムミョンが手を出し、セリョンもその手に自分の手を重ねた。大きくて陽に灼けた手と白い小さな手。二人は手を繋いで、橋を渡り、また最初に来た道を辿る。
「いつまで、こうしてそなたを見送り翠翠楼に送り届けなければならないのか。いっそのこと宮殿にそなたをこのまま攫って帰りたいよ」
 ムミョンのつなぎ合わされた手に力がこもり、満更冗談ばかりではない彼の心が痛いほど伝わってくる。