小説 龍虹記~禁じられた~遊びのつもりが本気になった。妻に恋をした夫嘉瑛の切ない恋情のゆくえは | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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 戦国時代小説 

 龍虹記【りゅうこうき】~禁じられた初恋~

 

時は戦国乱世。
 生まれ育った城が落城寸前、一つ違いの妹とひそかに逃れた少年千寿丸(せんじゅまる)。
 優しい両親を殺し、生まれた国を攻め取った憎い敵の武将木檜嘉瑛(こぐれよしてる)に囚われの身となる。

 天下取りの野望のため、嘉瑛は名門永戸氏の姫である千寿の妹万寿(ますひめ)姫を妻に迎えようとする 。
 兄の千寿は嘉瑛の奴隷扱いされ、屈辱の日々を送ることに。

 しかし、無垢な千寿は嘉瑛が自分を見つめるときの欲望を宿したまなざしに気づかない。
 千寿の姿を執拗に追う嘉瑛の眼は、まるで捕らえようとする獲物
を遠 巻きに眺める蛇のようだった。

 やがて、万寿姫が嘉瑛との婚礼を控えた身で、自害。
 嘉瑛は千寿にある一つの要求をつきつける。それは、万寿姫とうり二つの千寿に彼の〝妻〟になれという無茶なものだった-。


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   虹の彼方に

 

 千寿が深い眠りにたゆたっていたその頃、森の奥深くに建つ小屋の前に馬が止まった。見事な鹿毛に跨っているのは若い武将で、その後に二人の従者がやはり騎乗して従う。
 短いいななきを上げて止まった愛馬からひらりと飛び降り、武将は背後をちらりと振り返った。
「少し待て」
 そのひと言だけで、従者たちは、すべてを悟る。主は、この小さな廃屋の中に獲物がいることを敏感に察知したのだろう。彼等は、いずれも少年期から小姓として主君に仕え、長じて後は近習として常に側近く侍っている。主(あるじ)の性格は熟知していた。
 武将―嘉瑛は一人、小屋の中に入った。
 最初は戸外の明るさに慣れた眼には、室内はあまりにも暗かった。しかし、徐々に眼が慣れてくるにつれ、小屋の内部が把握できるようになった。
 小屋の片隅に積まれた藁の上に、彼が探し求めてきた想い人がいる。
 全く、手間をかけさせるものだ。
 嘉瑛は皮肉げな想いで片頬を歪めた。
 千寿丸が木檜城から姿を消してから、既に三日が経過している。その間、嘉瑛は狂気じみたほどの熱心さでこの少年を探してきた。
 一昨日の明け方近く、森に住む猟師勘助が千寿らしい少女が自分の家に滞在している―と訴え出てきた。勘助が話すその少女の歳格好、容貌から、まず千寿に相違ないと見当をつけ、嘉瑛自身が信頼の置ける家臣を引き連れ、こうして千寿のゆく方を追ってきた。
 勘助から報告を受け、すぐに城を出たにも拘わらず、嘉瑛が勘助の住まいに到着した時、既に千寿は逃げ出した後であった。
 まるで、この手に捕らえようとすれば、するりと身をかわし逃げる小動物のようだ。
 自分でも信じられないことだが、嘉瑛はこの少年に本気で惚れていた。そう、これまで、どんな美しい女、色香溢れる女と褥を共にしても心を動かされることのなかった男が生まれて初めて恋に落ちたのだ。
 何故、この少年だったのかは自分でも判らない。外見だけなら、千寿の妹万寿姫も十分可憐で美しかった。ただ、妹の方は見かけだけは美しくとも、才気どころか、自分の意思一つ持たない人形のようなつまらない女であった。
 千寿はたとえ外見は妹と瓜二つでも、内面は妹とは全く違っていた。
 初めて千寿と逢ったときのことを、嘉瑛は忘れられない。
 匿われていた千寿と妹姫は敵方に捕らえられ、捕虜となり、木檜城に護送されてきた。妹の方は初めから許婚者扱いして城内で客人としての待遇を与えたが、兄の方はあくまでも敵将の遺児として接した。
 嘉瑛の前に引き立てられてきた千寿は、強い眼をしていた。海芋の花のように凛として、捕虜となった己れをいささかも恥じることなく毅然としていた。
 思えば、あの瞳の強さに惹かれたのかもしれない。
 どれだけ打ち据えられても、すべてを呑み込みなお悠然として流れる河のように、千寿の瞳は静謐であった。弱冠十五歳の少年のどこに、そんな強さが秘められているのだろう。あのすべてを超越したかのような瞳が揺れるところを何としてでも見てみたいと、焦がれるほどに思った。
 嘉瑛はそれ以降、千寿をまるで飼い犬のように扱った。背中に生涯消えることのない灼き印を捺したのも、折檻のためというよりは、本当は千寿を永遠に自分のものにしておきたかった―実に幼稚な所有欲のためである。
 だが、身体に嘉瑛の名を刻み込まれても、千寿はけして卑屈にはならなかった。厩に住まわせ、馬の糞尿にまみれながら、馬の世話を淡々とこなしていた。
 嘉瑛は何度か、厩の側を通りかかったことがある。その時、千寿は馬たちにあたかも人間に話しかけるように優しく話しかけながら、その体を拭いてやっているところだった。
―馬鹿な、馬に話しかけたところで、判るはずもなかろうものを。
 自分は馬以下の扱いを受けているくせにと、腹立しい想いになった。
 しかし、本当に癪に障ったのは、そんなことではない。そのときの千寿の表情が実に生き生きと輝いていたからだ。
 到底、意に添わぬ日々を強いられ、鬱々と過ごしているようには見えなかった。
 それからだろうか。千寿の動向に必要以上に敏感になり始めたのは。千寿に気付かれぬよう、物陰に潜んでその姿を眺めることもしばしばだった。
 そんなある日、嘉瑛は千寿が森の泉で水浴びしている姿を見てしまった。その白い清らかな裸身を目の当たりにしてからというもの、嘉瑛の千寿への恋慕はいっそう募った。
 千寿恋しさに、水汲みにゆく彼の後をつけてゆき、樹陰からその肢体を眺めたのも一度や二度ではない。
 運命とは皮肉なものだ。
 千寿の妹万寿姫が祝言を間近に控えて自害し、嘉瑛は千寿を手に入れる良策を思いついた。
 確かに千寿に語ったように、将軍家の血を汲む名門長戸家の姫との婚姻は必要不可欠であった。それゆえ、あんな大人しいだけが取り柄のようなつまらない女でも、大切に扱ってやったのだ。長戸氏の姫でなければ、万寿姫なぞ何度か慰みものにして、さっさと棄てていただろう。
 だが、嘉瑛にとって、それは所詮、表向きの理屈、建て前にすぎなかった。心底には、千寿への烈しい恋情が燃え盛っていたからこそ、千寿を妹の替え玉とするなどという茶番を考えたのだ。
 人間とは不思議なものだ。千寿は、これまでどんな残酷な拷問を受けても、いささかも揺らぐことのなかった。そんな少年であっても、嘉瑛が抱こうとすると、泣いて厭がり逃げ回った。
 どんなときでも毅然としていた少年が抱かれるのだけは厭だと訴えて泣く。千寿の泣き顔は嘉瑛にとって新鮮だった。
 千寿の泣き顔や涙が余計に彼を煽り、凶暴にかきたてる。婚礼の夜以来、嘉瑛は千寿を幾度も抱いた。初めは千寿は厭がったが、次第に抵抗もしなくなり、嘉瑛を受け容れるようになった。だが、烈しい情交を重ねた後、千寿が一人で声を殺して泣いているのは知っていた。恐らく、千寿は嘉瑛が寝入っていると思っているのだろうが―。
 あれだけ強い瞳を持ち、拷問にも灼き印にも弱音を吐かなかった千寿が、嘉瑛と褥を共にするときはひどく哀しそうな表情をする。
 閨を共にする間中、すべてを諦めたかのように瞳を潤ませ、歯を食いしばって耐えている。そんな千寿を見ている中に、嘉瑛の中で次第に焦りが生じていった。
 これほどまでに愛しているのに、どうして振り向かない? 
 何度膚を合わせても、千寿は一向に靡こうとはしなかった。
 言葉で、金銀や財宝で千寿の歓心を得られるのであれば、嘉瑛は何をも惜しみはしないだろう。千寿の心を繋ぎ止めることができれば、水面に映る月でさえ、取ろうとするかもしれない。
 愚かだ、馬鹿げていると自分でも知りながらも、嘉瑛はなおいっそう千寿に溺れずにはいられないのだ。
 千寿を腕に抱いているときは、確かに千寿の瞳は揺れるが、かといって、その瞳が嘉瑛を見つめているわけではない。千寿は常に、嘉瑛ではなく、その向こう―はるか先を見つめているように見えた。
 その先にあるものが何なのか、嘉瑛には判らない。千寿が何を望み、何をしたいと願っているのか、嘉瑛には想像もつかなかった。
 千寿が見つめているものは、人と人が殺し合うことのない、すべての者が明日を夢見るて生きることができるような世であった。しかし、嘉瑛がそれを知ることは永遠になかった―。
 嘉瑛は長い物想いから自分を解き放った。
 改めて恋しい少年を見つめると、嘉瑛はゆっくりと千寿に近付いた。