短期集中連載 時代小説 さようならも言わずに〜彼女の心に惚れたー泣くより笑って生きた方が幸せです | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

若き旗本石澤嘉門は日々、母から一日も早く妻を娶れとせっつかれている。
その憂さを町の道場に通って晴らしていた。
そんなある日、嘉門は絵蝋燭屋の娘お津弥と巡り逢う。
オシロイバナが取り持った二人の縁は永遠に続くかに思えたが、突如としてお津弥は嘉門の前から姿を消した。
―自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして。
 たった一言と数え切れないほどの想い出を残していなくなった少女の真実とは? 
脚が不自由だという過酷な運命を背負いながらも、懸命に生きようとしていた娘と心に鬱屈を抱えて生きる武士のつかの間の心の交流を描く。

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 母は思えば、不器用な女なのだ。父を愛しながらも、気位の高さゆえに素直になれず、己れの感情表現が上手くできなかった。また、そんな母を愛せず、他の女に心の安らぎを求めた父をも責めることはできまい。
 なのに、母を心ない言葉で罵倒してしまった。父にも捨て置かれた哀れな母にとって、息子の自分だけがたった一つの生き甲斐であるのに―。
 だからこそ嘉門もこれまでは母の望む従順な孝行息子を演じてきたけれど、今日だけは別だった。お都弥との恋を悪しきものだと決めつけられ、あまつさえ、知らぬ間に縁談を進められていたことを知り、カッとなってしまったのだ。
「お都弥、今日、俺は屋敷を出る前に、母上に酷いことを言ってしまった。俺は時々、母上という人が判らなくなるのだ。俺のことを可愛がってはくれるが、その優しさが時に疎ましく思えてしまう。それに、母上は俺以外の者には冷たい。話したことがなかったかもしれぬが、俺には腹違いの姉がいた。二つ違いの優しい姉上であったが、俺が十一の歳に亡くなった。俺の母は、その腹違いの娘である姉にはとことん冷淡で、そのために姉上は母上にいびり殺されたのだと屋敷内ではいまだにいわれている。俺には優しい母なのに、何ゆえ、他の者に対してはそのように夜叉のようになるのだろうか」
 お都弥は嘉門の話にじっと聞き入っていたかと思うと、控えめに応えた。
「母上さまがそれだけ嘉門さまを大切に思ってらっしゃるのですわ。―この例えが適当かどうかは判りませんけれど、動物の親は子を守ろうとする時、自分に近づいてくるものにはすべて警戒心をむき出しにして敵を追い払おうとします。母上さまがお変わりになるのも、嘉門さまを守ろうとするその親としてのお心にございましょう。でも、嘉門さまにもそのようにお優しいのですもの、お母上さまは本当は冷たい方ではなくて、お心の温かな人でございますよ」
 考えながら、一つ一つ言葉を選んで話す態度は、お都弥らしい思慮深さと優しさを思わせる。
「―そなたこそ心優しきことを申すのだな」
 嘉門はお都弥を眩しげに見つめた。
「誰にも話したことのない内輪の話だ。それにしても、誰にも話したことのないのに、何ゆえ、そなたにこのような話をしたのであろうな」
 呟きながらも、嘉門は既にその応えを得ていた。
 優しいお都弥。他人の痛みを我が痛みのように感じのことのできる稀有な娘だ。
 多分、嘉門の惹かれているのは、お都弥の外見の美しさや可憐さよりも、この優しさの方なのだろう。何より、一緒にいて安らげる。
 この時、嘉門の心は、はっきりと決まった。
 お都弥を妻にしたい。
 自分の不幸を嘆くよりも、他人の痛みを理解しようとし、自らの宿命を従容として受け容れつつも、凛として前だけを見つめ真摯に生きようとする少女。その生き方に、考え方に惚れた。
「そなたの父母は―」
 そこまで言いかけて、嘉門はハッとした。
 生涯を共にする伴侶にと望みながら、嘉門は、まだこの少女のことを何も知らない。
 知り合ってふた月、十日に一度、立ち話をする程度の間柄にすぎなかったのだ。
 嘉門は俄に焦りにも似た想いを感じた。
 と、お都弥が微笑んだ。たまにお都弥が見せる、少し哀しげな微笑だ。
「私の父と母は亡くなりました。亡くなったのは二年前、私の実家は青海屋(おうみや)といって、日本橋で海産物問屋を営んでおりました」
 青海屋といえば、江戸でも結構名の通った老舗であった。確か初代は北陸の海辺の寒村から出てきて、一代で店を興したとか。その屋号もその出身地にちなんでいると聞いたことがある。
 青海屋は二年前、主人夫妻が立て続けに流行病(はやりやまい)で亡くなり、店を閉めたが、まさか、お都弥がその亡くなった主夫婦の残した一人娘であったとは!
 青海屋夫妻の娘はまだ当時、十四、少々の借財もあって店を閉めざるを得ない仕儀となった。借金は身内の者たちが集まって返済はしたが、到底、店を続けてゆけるような状態ではなかったのだ。
 その後、残された娘がどうなったかまでは知らなかったが―。数代続いた老舗の突然の店じまいは、江戸でも結構な噂になったものだった。だが、その忘れ形見である娘の消息など気に掛ける者は誰一人としていなかったのだ。
「私の母の姉がこの花やの内儀(おかみ)です。両親があい次いで亡くなった時、私はまだ十四でした。行き場のない私を、伯母さんと伯父さんが引き取ってくれたんです。丁度子どもがいなかったから、養女にするって。嘉門さまと初めてお逢いした二年半前のあの雨の日は、私はたまたま伯母さんの家―ここに遊びに来ていて、店番をしておりました」
 今のお都弥の話で、欠けた皿のその肝心の欠けた部分が漸く見つかったような気がした。これで、すべてがおさまるべき場所におさまり、一枚の皿が完成したのだ。
 二年半前に突如としてこの店先に現れた美しい娘。幾ら逢いたいと思っても、二度と逢うことはなかったのに、娘は半年後に再び、店先に座るようになり、以後はずっと、ここにいた―。
 お都弥の父親が万葉集という難しい歌集を愛読していたということからも、お都弥がそれ相応の財力と教養を併せ持つ家の娘だとは察せられたものの、それが武家ならばともかく町人ともなれば、それこそ大店の娘でなければ叶わぬことだと嘉門は考えたこともあった。
 が、そんな大店の娘が何故、町外れの小さな絵蝋燭屋の店先で毎日、店番をしているのかが疑問だった。知りたいと思いながらも、訊けなかったのは、やはり、この少女の触れられたくはない部分に踏み込んでしまう恐れがあると無意識に思ってしまったからに相違ない。
 しかし、それは大きな間違いというものだった。仮にも妻にと望むほどの女であれば、その何もかもを知り、なおかつ受け止めてやらなければならない。
 嘉門は時折見かけるこの店の主夫婦を思い浮かべた。言われてみれば、四十近い内儀の方は、どことはなしにお都弥に面立ちが似ているかもしれない。
 細面の美人で、愛らしいのに、どこか淋しげな容貌が似ていた。
「そう、だったのか。お都弥は辛い想いをしてきたんだな」
 それは、嘉門の口からひとりでに洩れた言葉だった。
 お都弥はふんわりとした笑みを浮かべた。
「そんなことはありません。伯母さんも伯父さんも、私を娘のように可愛がってくれます。嘉門さま、私の父は少しですが、借金を残していたのです。親戚のお店(たな)の方たちがすべて返済して下さいましたから、今、私はこうしてここにいられるのです。もしかしたら、私はここではなくて、吉原か、岡場所のような遊廓に身を沈めなくてはならなかったかもしれない。それを思えば、私は本当に果報者だと思います。自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして」
 その言葉は、嘉門の心を打った。
「都弥。俺の妻になってはくれぬか。後悔はさせぬように努力する。二人で幸せになろう。そなたの申すように、二人で良いことが起こるように祈りながら生きてゆくんだ」
「―嘉門さま」
 お都弥の大きな眼が一杯に見開かれる。
 その瞳に、見る間に涙が盛り上がった。
「何故、泣く。お都弥は俺の嫁さんになるのは厭か?」
 嘉門の問いに、お都弥ははにかんだ笑みを見せた。
「いつかも申し上げたではございませんか。女は哀しいときだけではなく嬉しいときも泣くのだと」
「ならば、この話、お都弥が承知してくれたと俺は思うても良いのか」
 勢い込む嘉門に、お都弥は頬を染めながら、そっと頷いた。
「嘉門さま、お都弥は本当に嬉しうございます。数ならぬ身に、そのようなお言葉を頂いただけで、十分すぎるほどにございます。本当に、いつ死んでも良いくらいに幸せ」
「何を馬鹿なことを申しているのだ。お都弥はこれから俺の妻になって、幸せにならねばならぬ。勝手に死んだりするのは俺が許さぬぞ、良いな」
 嘉門は半ば本気、半ば冗談でお都弥を軽く睨む。