韓流時代小説 寵愛【承恩】~王女の結婚~さよならー私の両親は聖君と慕われる国王、徳高き貞慧王妃 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】第三部・後編

向日葵の姫君ーThe Princess In Loveー(原題の「王女の結婚)

ヒロイン交代!第三部はホンスン王女が主役を務めます。

韓流時代小説「王宮の陰謀」第三部。

わずか16歳で亡くなったとされる(英宗と貞彗王后との間の第一子)紅順公主には秘密があった?

幼なじみの二人が幾多の障害を乗り越え、淡い初恋を育て実らせるまでの物語。

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 彼が義禁府の牢に囚われている時、つくづく思ったのだ。ジュンスのいないこの世には、何の生きる価値も意味もないと。
 だから、紅順も後悔していないし、ジュンスにも後悔はして欲しくないのだ。
「ありがとな。紅順のその信頼に応えられるように、俺もそなたを幸せにするために全力で守るよ」
 ジュンスが人差し指をはるか眼下に向ける。
「あの辺りが宮殿かな」
 ここからは都が一望できる。この国は両班だと隷民だと身分格差が烈しいけれど、こんな高い場所から見れば、王の棲まう宮殿も両班の屋敷も、その日暮らしの民の住まいもさほどの違いはない。どの家も豆粒のように小さく見える。
 もしかしたら、これが父の話していた〝国のあるべき本当の姿〟なのかもしれないと、紅順は思う。国王も両班も民もない、すべての人が等しく生きる歓びを享受できる世の中。父王はそんな世を創りたいのだと言っていた。
 幼き日、紅順の手を引いて下町を歩きながら、父は話してくれた。
ーここで売られている品物の一つ一つに作り上げた職人の心が込められている。一つの品を作り上げるのにどれだけの労力と時間が費やされたか、作り手の心がこもっているか。そなたには創った人の気持ちが分かる人間になって欲しい。
 父のあの教えはこれから先も生涯、紅順の心で生き続けるだろう。
 あの方角、やはり小さく見える宮殿に父と母がいる。紅順はこみ上げる涙を堪えて、はるかな王宮を眺めた。
 ジュンスがふと言った。
「中殿さまは不思議な方だな」
「不思議?」
 意外な言葉に、首をわずかに傾ける。
「ああ、とても魅力的な方だ」
 ジュンスは更に思いもかけないことを話した。紅順と仁賢の婚儀が行われた日ー結局、儀式はジュンスによって阻止されたのだがー、騒動直後、王妃がジュンスを直々に引見したのだという。
「私は全然、知らなかったの」
 ジュンスは頷いた。
「色々と訊かれたから、正直にお答えしたよ」
 彼は慎重に言葉を選んでいるようだ。
「こんなことを申し上げるのは不敬だと判っているけど、何故か亡くなった母と話しているような心持ちになれたんだ」
「インチョンと?」
 ジュンスは紅順を見て頷いた。
「そうだ。もし母が生きていたとしたら、こんな風に励ましてくれたのではないかと思った」
 純粋な興味が湧き、紅順は問うた。
「母上さまはあなたに何とおっしゃったの?」
「中殿さまは最後まで諦めるな、死ぬなと言われたんだ。更には、こんなことも言われた」
ー公主のためにも息災でいてくれ。
 あの折は意味が判らなかったが、今ならジュンスにも判る。王妃は言いたかったのだ。紅順公主のためにもジュンスには生きて欲しいと告げたに違いない。
ーああ、母上さま。
 紅順もまた改めて母の愛の深さを知った。母は恐らく、あのときから、すべてを見越していたのだ。騒動を起こしたジュンスがのっぴきならぬ立場になることも、ジュンスが殺されれば紅順も生きてはいられないと考えるーそこまで読んでいたのだ。
 だからこそ、後々布石を打つために、まずはジュンスに直接会い、彼の人となりを見極めたのだろう。いかにも思慮深い先を読むのに長けた母らしい行動だった。
「民の中には中殿さまを慈悲深く徳の高い方だと神仏のように崇めている者がいるというが、実際にお会いして俺も納得がいったよ」
 母を直截に褒められて、嬉しかった。我が事のように頬を染めて頷く。
「私もそう思うわ」
 少し考え込み続ける。
「幼いときはーううん、ついこの間までは大好きでも、自分には遠い方だと思い込んでいたの。中殿さまは私を産んで下さった母ではあるけれど、ずっと遠い存在、この国の王妃という特別なひとだと感じていたから」
 ジュンスが頷いた。
「紅順は確か以前もそんなことを話していたな」
 紅順は、はるか眼下の王宮を愛おしげに見つめる。
「そうね。でも、あの婚礼が取り止めになってから、母はぐっと身近になったわ」
 王妃が昨日、ひそかに来たときのことを思い出す。やっと母を身近に感じられたときには、もう別離が迫っていた。
 何故、もっと母の真実の姿を見ようとせず、遠い人だと心のどこかで距離を置いていたのか。今更、気づいても遅い。やはり、自分は自分のことしか考えられない、我が儘な子どもすぎたのだろう。
 でも、離れ離れになる前に、母と心から理解し合えて本当に良かったとも思う。
 想いに耽っていると、ジュンスが肩を揺さぶる。
「おい、あそこ」
 ジュンスの指す方向をつられるようにして見た刹那、紅順は息を呑んだ。
 都市中から高台に至る、なだらかな道の途中に白馬に跨がった人物がいた。見憶えがありすぎる馬は国王の愛馬である。
 まだ夜明け前の薄青さをそこここに残す中、純白の堂々とした体躯の馬はそこだけくっきりと際だっていた。
 鐔広の帽子(カツ)を被り、馬に跨がったその人はじいっとこちらを見つめている。紅順は父がいつも好んで着る群青色のパジチョゴリを一心に見つめた。
 
 その時、英宗はこちらを無心に見つめる娘の姿を心に灼きつけようとしていた。
 宮殿の正門を愛馬に跨がって出たのは、つい四半刻ほど前になる。それまで、ずっと迷っていた。
 彼は紅順が宮殿を出る前、娘に会おうとはしなかった。娘の顔を見たら、きっと自分は泣く。娘に見せる最後の父の顔が泣き顔というのは避けたい。
 つまらない意地だと自分でも思ったけれど、最愛の娘を笑顔で送り出せる自信はなかった。
 そんな彼に決意させたのは、妻のひと言だ。
ー意地を張ったら、一生後悔するわよ。
 彼はそこに言外の意味を悟った。
 今、顔を見ておかなければ、多分、娘の顔を見る機会はないだろう。
 妻の言うとおり、今逢わなければ、一生逢えないのだ。紅順はもう世間的には〝亡くなった〟ことになっている。
 そのけして認めたくない事実を認めた瞬間、彼は伴回りさえ連れず、単身、愛馬で王宮を飛び出していた。
 父と娘はしばし無言で見つめ合った。
 紅順が彼に向かって拝礼をする。それが永遠に旅立つ娘からの最後の挨拶なのだと知った。
 娘の傍らで、陳ジュンスも一緒に拝礼している。二人が挨拶を終えた時、英宗は馬上からジュンスに頭を下げた。
 今、彼は王ではなく、一人の父親にすぎなかった。英宗はジュンスに愛娘の生涯を託す婿として、娘を頼むと頭を下げたのだ。
 ジュンスもまた王に向かい、深々と頭を下げた。
 あの若者なら、娘を大切にしてくれるだろう。我が生命を犠牲にしても、紅順の幸せだけを願った男なのだから。
ー行きなさい。
 英宗は片手を上げ、促すように前方を指した。それは、都とは逆の方向だ。
 二人がもう一度頭を垂れ、踵を返す。若い二人は都が見渡せる丘から離れ、逆方向へ続く道をゆっくりと歩き始めた。
 英宗はいつまでもその場所から動かなかった。
 
 いかほど歩いただろう。
 紅順とジュンスは都から地方へと至る道を並んで歩いていた。そろそろ、一刻(ひととき)にはなるだろうか。
 傍らを歩くジュンスが訊いた。
「疲れた? 少し休もうか」
 折しも道の右手には小さな池が見えている。ジュンスは池のほとりのぽつねんと立つ大樹の下に座り、紅順もその隣に座る。
「十月といっても、歩くとまだ暑いな」
 言うともなしに言い、腰に下げた竹筒を差し出してくれる。紅順は礼を言って、竹筒の蓋を開け、冷たい水を飲んだ。冷たい水が心地良く喉をすべり落ちてゆく。
 生き返るようだ。
 父はまだ、あの場所にいるだろうかと考え、それはないだろうと笑う。
ー民たちの姿をよく憶えておきなさい。ここで生きる民のように、紅順には逞しく生きていって欲しい。何より、民たちの労苦はけして当たり前ではなく、彼らの流す汗はとても尊いものなのだと考えられる人になって欲しい。
 突如として、父の声が耳奥でこだまする。幼い頃、幾度となく抱き上げてくれた逞しい腕。どちらかといえば厳しい母に叱られて泣く紅順を抱きしめてくれた父の胸は温かかった。
 紅順の父は、民のことを心から慈しむ、この国の王だ。
 次いで、夏のとある日、母と共に水刺間で花煎を焼いた日が懐かしく蘇る。
ー世界中の誰もが敵になったとしても、この母だけはそなたの味方だ。
 あの言葉は真実だった。ジュンスの処刑が確定するというまさに絶望的な状況であっても、母だけは紅順の気持ちを尊重し、たった一人の味方でいてくれた。
ー父上さま。
ー母上さま。
 大好きな両親の笑顔が次々によぎり、紅順は思わず涙ぐんだ。そんな彼女の肩を傍らのジュンスが労るように抱く。