学生のとき、
ある中学生の男の子の親から、

勉強は教えなくてよい、

ただ遊んでくれればいい、食事もいっしょに、

という、うまい話があった。

 

殷も周も秦も後継者が育たないとき国が傾いた。

 

行ってみて驚いた。
その子は私と会うと恥ずかしがって、

少しずつ身体を回して、後ろを向いてしまった。

 

おばあちゃん子で、かわいがりすぎて、

気がついたときは自分で何もできなくなっていたのだ。

 

秦の時代の弓

 

相談で来た

男子高校生もたいへんだった。

おじいさん、おばあさん、お母さんの

3人がついてきた。

それだけで、

世話のしすぎ、かまいすぎだ、とわかった。

 

秦時代の靴

 

玄関を上がるとき、おじいさんが

「そこに靴を脱いで」とか、

客間で、

「ここに座って」とか、

いちいち指図(さしず)している。

 

本人が自分で考えて判断する機会を、

ことごとくつぶしている。
「指図や注意をしてはいけません」、

と、話したが、帰るときにまた、

「さ、靴をはいて」、

と、言っていた。

 

秦の軍・・兵馬俑

 

このとき、とっさに

「こらっつ!」と、大声を出せばよかった。

次に子供に注意するとき、

易者が怒鳴ったことを思い出して、

あ、自分はいま指図している、いけない、と思うからである。

 

子どもを指図しすぎると、

人の判断に頼る癖がついて、自分で考えなくなる。

 

 

易経に「蒙(もう)」という卦がある。

その中に

「われ童蒙を求めず、童蒙われに求む」

と書いてある。

無知な子に

こちらから教えてやろうとしてはいけない、

向こうから教えてほしいと言ってきたときにだけ教えてやれ、

という意味である。

 

易経の時代には、

自主性・自立性を重んじる子育てが行われていた。

 

殷の時代の青銅の武器

 

今よりだんぜん厳しい環境である。

やわな子に育てれば本人が生きていけないどころか、

一歩間違えば

一族全員が殺される時代の教育である。

 

現代de

も、

子が自立して生きて行けるような

育て方をしたいものである。

 

<今の運勢>

「小畜」。少し蓄えよ。何か事を運ぶとき、ちょっとだけでも調べたり勉強したりしておく必要がある。それには多少時間がいる。切羽詰まってから勉強しても間に合わないし、うまく行かない。余裕をもって6日前には準備しておくと良い。