「西部警察」「テレビ朝日」で放送されると、たちまち大ヒットとなり、小林正彦専務(通称「コマサ」)の思惑通り、急成長を遂げた「石原プロモーション」ですが、「石原プロで映画を作る」という石原裕次郎さんの夢を実現したい一心の、渡哲也(わたり てつや)さんは、次第に、「銭ゲバ」とも揶揄された小林専務に不信感を抱き始めます。

「渡哲也は石原裕次郎のため自らキャリアUPを封印していた!」からの続き

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「西部警察」がNHK大河ドラマの裏で快進撃

こうして、1979年10月、「西部警察」「テレビ朝日」でスタートするのですが、その放送時間は、当時、NHK大河ドラマの独壇場だった、日曜8時のゴールデンタイム。

そんな、他局にとっては不毛な時間帯にあえてぶつけたことに対し、石原裕次郎さんは、

コンクリートでも割れ目に種まきゃ、花だって咲く。大河ドラマ上等。負ける気はしない。

と、記者会見で、爽やかに笑っておっしゃっているのですが、

まさに、その言葉通り、「西部警察」は、「NHK大河ドラマ」の裏で快進撃を続け、シリーズ化されるほどの人気を博し、テレビ朝日の看板番組となったのでした。

石原裕次郎が病に倒れる

しかし、ほっとしたのもつかの間、1981年4月25日、石原さんが倒れ、慶應病院に救急搬送。そして、入院数日後には、血圧が288まで跳ね上がってしまいます。

そして、成功率わずか3%という緊急手術が行われ、石原さんは奇跡の生還を果たされるのですが・・・

石原さんの意識は混濁し、集中治療室では、支離滅裂な言葉をうわごとのように繰り返していたそうで、

そんな石原さんを見た渡さんは、

痴呆状態になった裕次郎さんを世間にさらすくらいなら、ナイスガイのまま人生を終わらせてあげたい。自分のこの手で‥‥

と、悩んだ末、石原さんを殺めようとしたことがあったそうです。

しかし、小林専務が、そんな渡さんの心中を察し、

テツ、お前、何考えているんだ!

と、渡さんを現実の世界に引き戻し、事なきを得たそうです。

(石原さんは、その後、5ヶ月におよぶ闘病の末、同年9月1日に退院されています)

「西部警察PARTII」の成功で「石原プロモーション」は急成長

一方、その後も、「西部警察」は、視聴率20%台をキープするなど順調そのもので、そんな中、テレビ朝日から「PARTII」が打診されます。

すると、小林専務は、石原さんには無理はさせられないと、地方都市を舞台に「大門軍団」が活躍するという、ご当地巡りのアクションテレビ映画をひらめき、

スーパーマシンをガンガン走らせ、大門軍団が所轄を飛び出して日本全国を縦断する。どうだ、ワクワクするだろう。それだけじゃない。地元企業とタイアップして広告費を取る。これを全国展開するんだ。

と、「石原プロモーション」の幹部たちにまくしたてたそうで

その通り「日本全国縦断ロケーション」をスタートさせた「石原プロモーション」は、派手なカーアクション、遊覧船爆破炎上などのシーンが大きな話題となって高視聴率を叩き出し、急成長を遂げたのでした。

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小林専務(コマサ)に不信感を抱き始める

ただ、小林専務の強引ともいえるビジネス手法は、「銭ゲバ」とも揶揄されており、

(小林専務本人は「企業が赤字を出すのは犯罪である」との信念があったため、「銭ゲバで結構」と意に介さなかったそうです。)

渡さんも、

コマサ(小林専務)の言うことはわかる。だが、なぜ稼ぐのか。稼いでどうするのか。そもそも石原プロは何のために存在しているのか。

という思いが、常に頭の片隅にあったそうです。

そして、渡さんは、石原裕次郎さんが繰り返し言っていた、

石原プロとして映画を撮る

という、石原さんの夢を叶えたい一心で従ってきたことから、

ならば、なぜコマサ(小林専務)は映画制作のことを口にしないのか。資金なら、すでに潤沢にあるではないか。

と、次第に小林専務に不信感を抱き始めていったのでした。

「渡哲也と小林専務(コマサ)の石原裕次郎に対する各々の思いとは?」に続く

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