ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

原宿・太田記念美術館  「月岡芳年の血と妖艶」 2020.8.26

(写真は、月岡芳年展のポスター)

 

六本木・森美術館、上野・東京都美術館、神奈川

県立歴史博物館、川崎浮世絵ギャラリー、東京

ステーションギャラリーに続いて、今回は

”美術館で浮世絵鑑賞”の6回目で「月岡芳年

ー血と妖艶」です。

JR山手線の「原宿駅」で下車、次頁の写真の

表参道口から出ます。  

 

原宿駅は、第二次大戦での焼失を奇跡的に免れ、

都内最古の木造駅舎として親しまれてきましたが、

老朽化して手狭になったため、現在、解体工事中

です。

でも、出来るだけ旧駅舎を再現して、新しい

駅ビルと一体化した建物にするらしいです。

 

上の写真の左側が新しい原宿駅の駅ビル

(表参道口)で、右側が解体工事中の旧駅舎です。

 

原宿駅の表参道口から、表参道を青山方向へ

1分くらい進み、最初の路地を左折すると、

もう、写真の「太田記念美術館」が見えます。

 

 

会場:原宿・太田記念美術館:

 月岡芳年の血と妖艶

会期 ~10月4日:月曜休館

:800円、館内撮影禁止

会場の「原宿・太田記念美術館」は、

上野・東京都美術館」でご紹介しました

様に、浮世絵専門の「三大浮世絵美術館」の

一つです。            

「月岡芳年」(つきおか よしとし)は、江戸末期の

人気浮世絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)

の弟子です。

芳年は、ジャンルを問わず、幅広い題材をテーマ

にした多作の絵師として、幕末から明治期の

浮世絵界をリードしました。

また、歌舞伎の残酷シーンや、戊辰戦争の戦場等

を題材にした無残絵から「血まみれ芳年」とも

呼ばれ、三島由紀夫、江戸川乱歩、芥川龍之介

などの作家に多くの影響を与えました。

そして、その作品数は、何と!、”1万点”と

言われていますから驚きです!

前々回の川崎浮世絵ギャラリー」で、晩年の

月岡芳年の「月にまつわる故事や伝説を描いた

月百姿(つきひゃくし)」についてご紹介

しました。        

今回は、芳年の歴史画、美人画、妖怪画などなど、

その非常に幅広い領域の全般についてご紹介

します。

以下の写真は全て、館内の特設ショップで購入

した本展覧会の図録(2,000円)からです。

 

慶応4年、鳥羽伏見の戦いをきっかけに、薩摩藩

・長州藩を中心とした新政府軍と、東北諸藩を

中心とした旧幕府軍による「戊辰戦争」が勃発

します。

その中で、慶応5年、旧幕臣で結成された彰義隊

(しょうぎたい)と新政府軍が、現在の上野公園で

衝突する「上野戦争」が起こりました。

このとき、芳年は、この上野戦争の取材に赴き、

実際に死を目の当たりにしながら、新政府軍の

前に敗れゆく彰義隊の姿を描きました。

芳年は、写生を大切にしており、幕末には斬首

された生首を、この上野戦争では戦場の死体を

写生しています。

「東台 山王山戦争之図」

「東叡山 文珠楼焼討之図 慶応戊辰五月十五日」                                    

その後、明治10年、明治政府に不満を募らせて

いた薩摩士族が新政府軍の拠点である熊本城へ

侵攻し「西南戦争」が勃発します。

写真や活版印刷の登場によって、浮世絵が衰退

してゆくなか、明治時代の浮世絵師が活躍する場

となったのが新聞でした。

 

新聞は、江戸時代の瓦版の役割を引き継ぎ

ながらも、定期性や迅速性を併せ持った、

新たなメディアとして庶民に浸透していきます。

また、新聞は、定期購買者向けに、芳年の錦絵を

付録として配布していました。

西南戦争は、当時の新聞で、英雄の西郷隆盛を

中心とした、膨大な数の錦絵によって報じられ、

人々の大きな関心を集めました。

芳年も、多くの西南戦争錦絵を手掛けましたが、

次頁の絵の「西郷隆盛霊幽冥奉書」(さいごう

たかもりのれいゆうめいにほうしょす)は、

すでに戦死していた西郷隆盛を幽霊として

描くという珍しい題材です。

月岡芳年は、いわゆる美人画も多く残しています。

前頁の絵は、「風俗三十二相」の「しだら

なさそう(しまりがない)」です。

他にも、嬉しそう、痛そう、暖かそう等、

「○○そう」というテーマで、様々な身分、

職業の女性たちの感情を豊かに描きました。

 

上の絵は、島原の乱で幕府の総大将の板倉重昌

を打ち取った砲術家の「駒木根八兵衛」

(こまぎねはちべえ)です。

 

鉄砲を向けている視線が、鑑賞者に向けられて

いるような構図となっています。

 

(島原の乱で討ち死にした幕府の総大将の板倉重昌

については、「島原の乱の真相」を見てね。)

                                  

 

上の絵は、佐倉藩の苛政に苦しむ農民を救う

ために将軍に直訴して処刑された下総国の

「佐倉惣五郎」(さくら そうごろう)です。

 

写生を重視する芳年は、佐倉惣五郎を描くに

あたって、実際に弟子を柱に縛り付けて

写生したというエピソードが残されています。

 

上の絵は、黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州

安達がはら ひとつ家の図」です。

 

食人鬼と化した一ツ家の老婆は、今宵もまた

捕らえてきた身重の女を吊るして、これから

妊婦の腹を切り裂こうと、念入りに包丁を

研いでいます。

 

(奥州安達がはらについては、

バスで行く奥の細道・安達ケ原の鬼婆

 を見てね。)                                              

明治政府は、この絵を風紀を乱すとして、

発禁処分にしました。


晩年に発表された「月百姿」(つきひゃくし)は、

月岡芳年の浮世絵師人生における集大成と言える

作品です。

 

月と和漢の物語や歌などを題材にし、武者絵、

役者絵、美人画、歴史画、動物画など多岐に亘り

全100図の錦絵で構成されています。

 

(「月百姿」の詳細については、「川崎浮世絵

 ギャラリー」を見てね。)                                                                                                                                                   


    

上の写真は、既に、日本で読本として翻訳されて

いた中国の「西遊記」ですが、錦絵シリーズ

として初めて刊行されました。


数多くの作品を残した芳年ですが、残酷な殺戮

シーンや死骸を描いた「血みどろ絵(無惨絵)」

と通称されるジャンルも手がけました。

しかし、意外にも残虐絵の数は限られ、その多く

は、江戸から明治への激動期で、実際に、多くの

血が流れていた最中に生まれました。

従って、血みどろ絵は、月岡芳年の個人的な趣向

というより、このような時代背景の中で、版元や

新聞社の意向に沿って描かれたのかも知れません。

 

上の絵の「直助権兵衛」は、「東海道四ツ谷怪談」

を題材とした作品で、悪人の直助権兵衛

(なおすけごんべえ)が、男の皮を剥ぐ

なんともショッキングな場面が描かれて

います。

(「東海道四ツ谷怪談」については、

 「甲州街道を歩く・日本橋から新宿へ

 を見てね。) 

 

また、冒頭のポスターでも取り上げた上の絵は、

「英名二十八衆句」の「因果小僧六之助」です。

 

因果小僧六之助は、講釈や大岡政談で有名な

「雲霧仁左衛門」という盗賊の部下で「雲霧

五人男」の一人です。

 

芳年は、多くの「怪奇画」と呼ばれるジャンルの

絵も多く描いており、その代表作が明治22年刊行

の「新形三十六怪撰」(しんけい  さんじゅうろく

かいせん)です。

 

「新形三十六怪撰」は、歌舞伎、浄瑠璃、謡曲、

伝説、民話などから幅広く題材を取り上げ、

幽霊や妖怪などを描きました。

 

 

「新形三十六怪撰 仁田忠常洞中に奇異を見る図」 

(にったただつね どうちゅうに きいをみるず)

源頼家は、富士の裾野での狩りの際、家臣の仁田

忠常に、剣を与え人穴探索を命じました。

この穴は狭くて前へ進むしかなく、進んでいくと、

突然光が当たって、たちまち家来4名が急死

しました。

このとき、忠常は、主君から授かった剣を川に

投げ入れて、この難を逃れました。

吾妻鏡から)


更に、明治に入ると、故事や歴史的人物を題材

とした「歴史画」を多く制作しています。

 

芳年による「歴史画」には、明治政府が国民教育

の一端として企画したと思われるものもあります。

 

そのため、天皇の正当性を示すものや、明治政府

が目指す歴史教育を分かりやすく説明する作品が

中心になっています。

 

次頁の絵は、その代表作の「大日本名将鑑」

(だいにほん  めいしょう かがみ)で、神話の

時代から江戸時代初期までの歴史上の人物を、

通史的に描いたシリーズです。

 

「大日本名将鑑 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 

 稲田姫」

 

素戔嗚尊が、ヤマタノオロチ(大蛇)を退治し、

稲田姫を救った伝説を描いたものです。

この「美術館で浮世絵鑑賞」シリーズも、今回の

6回目で一応終了しますが、この6つの美術館

以外にも、浮世絵鑑賞には外せない

すみだ北斎美術館」もありますので、

こちらもクリックしてみて下さい。                       


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コメント一覧

ウォーク更家
題材の領域の広さに驚き
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
実は、原宿太田美術館と川崎浮世絵ギャラリーのブログアップの順序が逆転しており、原宿(8/26)で非常に興味を惹かれたので、その後川崎(9/15)に行きました。

私も、月岡芳年については、以前、団鬼六的な先入観があって、余り気が進まないで原宿に出かけたのですが、その領域の広さに、ド肝を抜かれました。

原宿で観た作品のその領域の広さと作品の多さに、ブログの文章が纏まらず、原宿の文章を纏めるのに時間を要し、ブログアップの順序が逆転しました。

黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州安達がはら ひとつ家の図」の黒塚は、奥の細道のバス旅行で訪れたので、鬼婆が住んでいたという岩屋の風景が蘇りました。

そうですね、当時の明治政府からする、発禁は予想出来ますから、反骨精神の持ち主だったんでしょうね。
tada0x
本題ですが・・・・
https://blog.goo.ne.jp/s1504
月岡芳年のこと、いろいろ教えていただきました。
ぼくの貧しい連想で、団鬼六を引き合いに出しましたが、この絵は黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州安達がはら ひとつ家の図」を描いたものだったんですね。

しかも、明治政府から発禁処分になったものとか。
風紀紊乱はわかっていたでしょうに、あえて発表した反骨精神に注目です。
ウォーク更家
コロナが怖いけど
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私も、持病の糖尿病があって、コロナが恐ろしく、おっかなびっくりで、美術館巡りをしています。

まあ、完全事前予約制のために、コロナの前よりも空いていて、3密を避けられるので続けてきましたが・・・

そうですね、私も、自粛疲れで、そろそろ遠出をしようかなぁと、来月に鳴子温泉、再来月に銀山温泉を、GOTOトラベルで予約しました。
hide-san
コロナ
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
持病があって、コロナが恐ろしくて、
身動きできないでいますが、
GOTOトラベルに東京も入ることだし、
そろそろお出かけしようかなぁと、
思う今日この頃です。

コロナの感染はボクにとっては、絶体絶命のウイルスで、
まだ二の足を踏んでいる状況です。
10月に入ったら主治医との相談で・・・

楽しいブログをありがとうございました。
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