ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その29) (寺泊:日本最古の「即身仏」)(新潟県) 2019.4.9


(写真は、即身仏が安置されている西生寺の弘智堂)

「曽良随行日記」によると、芭蕉一行は、現在の新潟市内

から、北国街道沿いに南下し、弥彦神社に参拝、その翌日に

「寺泊」(てらどまり)の「西生寺(さいしょうじ)」を

訪ねています。

「西生寺」は、奈良時代、行基により創建されたと伝え

られる越後屈指の古刹です。

西生寺は、「弘智法印」(こうち ほういん)が、ミイラ像の

まま、”日本最古”の「即身仏(そくしんぶつ)」(注)

として安置されていることで有名です。

(注)即身仏

修行僧が、人々を救済するために、 自ら断食し、生きたまま

地中に埋もれて、瞑想状態のまま絶命し、その後にミイラ化

した身体。

 

当時、ミイラ化した僧侶を祀る信仰は日本各地にあった。
曽良随行日記によると、芭蕉も、この即身仏のことを既に

知っていて、ここ西生寺に立ち寄りました。




我々のツアーも、弥彦神社から、長岡市の東の端の寺泊の

「西生寺(さいしょうじ)」へ向かいます。



西生寺の寺務所で「即身仏」の拝観を申し込みます。

(500円)

即身仏が安置されているという「霊堂」には、精緻な彫刻が

いたるところに見られます。

上の写真は、霊堂の天井にある、一本のケヤキを刳り

貫いた、駕籠彫りという彫刻です。
一本のケヤキを彫ったとは思えないその細密さに驚きました。




住職が、その「霊堂」(弘智堂)の鍵を開けてくれます。

霊堂に入ると、住職の読経が始まり、それが済むと、

「前に来てご焼香して下さい。」と言われました。
私は、緊張しながら焼香して手を合せました。

即身仏のミイラを、50センチくらいのすぐ真近かで拝顔

させて頂きましたが、ドキドキしました!(撮影不可)

弘智法印のミイラは、袈裟を着て帽子を戴き、少し首を

傾げた姿勢でしたが、これは、いまだ説法をして

いらっしゃる姿だそうです。

芭蕉を初め多くの歴史上の著名人も、このミイラ像を拝観

して手を合わせたことでしょう。

弘智法印が少し首を傾げた姿勢をとっているのについては、

下記の伝説があるそうです。

豊臣秀吉の時代、「死んでいるのに座ったままの姿勢を

取り続けているのは、キツネが化けているに違いない!」と、

奴兵が槍で即身仏の胸を突く、という事件が起こりました。
弘智法印のミイラの胸を槍で一突きしたこの奴兵は、後に

「真の仏を突いてしまった」と、後悔した末に自害しました。
そして、本人の遺言により、「奴の懺悔の首」として、

長い間、この即身仏のそばに置かれていたそうです。
そして、驚くことに、何と!、現在、その奴の本物の頭骸骨

が、西生寺の宝物殿に展示してありました!

怖っ~!

(西生寺の宝物殿)

また、境内には、写真の「芭蕉参詣の碑」があり、下記の

曽良の句が刻まれていました。

”文月や からさけおがむ のずみ山”(曾良)

(からさけは、干し肉のことで、ここでは即身仏を意味し、

    また、のずみ山は、この辺一帯を指すそうです。)


寺泊の東の端に位置する西生寺を出て、日本海沿いに南下し、

寺泊のメインストリートへ向かいます。

寺泊のメインストリートへ向かう途中で、「聚感園」

(しゅうかんえん)に立ち寄ります。

聚感園は、北越地方の豪族・五十嵐氏の邸宅跡を史跡公園に

したものです。 

次頁の写真は、園内にある「弁慶の手堀井戸」です。
奥州へ向かう源義経一行が、五十嵐邸にかくまわれた時、

弁慶が義経のために掘ったそうです。


上の写真は、佐渡へ流された順徳上皇が風待ちのため

滞留した行在所(あんざいしょ)跡です。

寺泊(てらどまり)のメインストリートに着きました。



寺泊のメインストリート沿いある、上の写真の銅像は、

佐渡に向かって説法をする「親鸞聖人」で、昭和39年に

建てられたものです。
親鸞聖人は、佐渡に流されたときに、風待ちのために、

ここに7日間滞在しました。

この銅像の脇に、上の写真の芭蕉の句碑がありました。

 

風雨に晒されて句碑の字は読めませんが、立札によると

「うたがふな 汐(うしほ)の花も 浦の春」だそうです。
(二見が浦の夫婦岩に、勢いよく当たって花のように

舞い散る波も、二見が浦の春を祝福している。

 二見が浦の神である伊勢神宮の神德を決して疑っては

いけない。)


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コメント一覧

ウォーク更家
日本の即身仏
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
住職さんが、即身仏になるまでの工程?を、我々に説明してくれました。

それによると、普通に食事をすると遺体が腐ってしまうので、かなり前から腐る様な食物は食べないで断食します。

そして、最後には内臓の腐敗を防ぐために、漆(うるし)を飲むそうです。

ひぇ~!

この辺りまで、説明を聞いたところで、気分が悪くなったので、詳細の説明は覚えていません・・・(-_-;)
tadaox
即身仏
即身仏というものは、断食した状態で地中に閉じ込められ空気に触れないことで腐食しないと考えればいいのですかね。
エジプトのミイラは、香油を縫ったり包帯で巻いたり多くの工程が必要ですが、日本の即身仏というのはどうなんでしょう。
ミイラ化したころを見計らって掘り出すのでしょうかね。
普通に土葬にすると、いくばくもなく腐食してしまうのに、不思議です。考え出すと頭が痛い・・・・。
ウォーク更家
即身仏のミイラは不気味
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、現代人はピラミッドのミイラしか頭にないので、日本でも、当時、ミイラ化した僧侶を祀る習慣があったというのは、現代人の我々には不気味に思えます。

ミイラを槍で突いた奴兵が、後悔した末に自害したという話も、本物の頭蓋骨の展示を見て、作り話ではなくて実話だったんだなあと思いました。
もののはじめのiina
即身仏 ミイラ 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c36efa7d275bcfc62df2fd3f1d8f6de8
> 当時、ミイラ化した僧侶を祀る信仰は日本各地にあった。
現代人はピラミッドのミイラを識る身で、お寺のミイラをとらえがちですが、当時にミイラ化した僧侶を祀るのは不気味に思えます。
ミイラに「魅入ら」れたのですネ。

ミイラを槍で突いた奴兵が、後悔した末に自害したというのも宗教の力・怖さですね。


新倉山浅間公園は、富士急行線の下吉田駅の目の前にあります。展望台まで歩いて10分ほどと近いですょ。

> 外国人観光客に最も人気のあるスポットとして、テレビで紹介
このスポットは外人ガイドが発掘したと思ってましたが、地元がとくにタイ国への誘致が実ったのだそうです。
http://japan-asean.jp/kawaguchiko

iinaも「桜と富士山と五重塔」に魅入られました。



ウォーク更家
分水町近くの即身仏
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、20代後半の頃に即身仏を拝顔されたのでしたか。
当時は未だ、現在の様に、鍵をかけて厳重に管理されていなかったのでしょうね。

私は、この歳になって初めて即身仏の実物を拝顔したので、結構ショックを受けましたよ。
hide-san
分水町
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
昔仕事で長岡を訪ねた折、分水町からこの即身仏がある所へ行った記憶があります。

二十歳代後半の頃です。

この時は誰でもいつでも拝み見ることが出来ました。
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