第3章:ネーター性降臨す

 この連続講釈の第1回で, 可換環への群の作用と不変 (式) 環を導入しました. Hilbert の時代に最も重要だった設定をさらっておきましょう:

 複素数体 $\mathbb{C}$ 上の $N$ 変数多項式環 $S = \mathbb{C}[x_1, \ldots, x_N]$ に, $N$ 次一般線形群 $\mathbf{GL}_N(\mathbb{C})$ の適当な部分群 $G$ が次のように作用する:$g = \left( a_{i,j} \right) \in G$ に対し$$ \begin{pmatrix} g \cdot x_1 \\ g \cdot x_2 \\ \vdots \\ g \cdot x_N \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} a_{i,j} \end{pmatrix} \begin{pmatrix} x_1 \\ x_2 \\ \vdots \\ x_N \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} a_{1,1} x_1 + \cdots + a_{1,N}x_N \\ a_{2,1}x_1 + \cdots + a_{2,N}x_N \\ \vdots \\ a_{N,1}x_1 + \cdots + a_{N,N}x_N \end{pmatrix}$$と各変数への作用を定め, 一般の多項式 $P(x_1, \ldots, x_N) \in S$ に対しては $$ g \cdot P := P(g \cdot x_1, \ldots, g \cdot x_N)$$ によって延長します.

 この作用の特徴は, 多項式の次数を保つ, すなわち斉次多項式 $P$ と $g \in G$ に対して $\deg P = \deg (g \cdot P)$ が成り立つことです. ここから, 多項式環の次数による直和分解
$S = \bigoplus S_n$, ここで $S_n$ は $n$ 次の斉次多項式全体がなす $\mathbb{C}$ ベクトル空間,
とすれば, 各斉次成分 $S_n$ にも $G$ の作用が誘導されます. このとき, 不変式の各斉次成分も不変式であり, アーベル群の直和 $$ S^G = \bigoplus S_n^G$$ が得られます.

 Hilbert 以前の不変式論における基本問題は次の2点でした:

問題 9 (不変式の基本問題). 上記の設定の下で,
(1) 総ての不変式をそれらの多項式として表せる, 高々有限個の不変式は存在するか?
(2) (1) の不変式系が存在する場合に, その関係式は (本質的に) 高々有限個か?

 (1) の有限性については明確だと思いますが, (2) の有限性は少し説明が必要かもしれません. 有限個の多項式 $f_1$, $\ldots$, $f_s$ が与えられたとき, 多項式 $F(T_1, \ldots, T_s)$ がこれらの関係式とは $F(f_1, \ldots, f_s) = 0$ が成り立つことをいいます. $F$ と $G$ がともに $f_1$, $\ldots$, $f_s$ の関係式ならば, 和 $F+G$ や積 $FG$, または多項式 $H$ 倍 $HF$ なども総て関係式になりますから, それらを全部数えていくととても「有限個」には収まりません. ただ, $F$ と $G$ があれば $F+G$ はそれらに包摂されているので省いても構うまい, $FG$ も省いて構うまい, 云々と省いていって, 結局総ての関係式が有限個の関係式に還元されるだろうか, というのが (2) です.

 Hilbert 以前, この基本問題に対する「武器」はほとんどありませんでした. つまり, 素手で計算に次ぐ計算により不変式を具体的に書き尽くすというのが基本方針であり, 哲学のほぼ総てでした. 前回対称式の基本定理を単項式の順序による帰納法で証明しましたが, あれよりもずっと込み入って複雑な計算を積み重ねて, やっと個別の例が一つ確かめられるかもしれない程度の話だったのです. 計算機もありません. 素手でやれる計算量には限界がありました.

 ここに Hilbert が現れて, ほとんど計算なしにこの問題を切って捨てたのです. 恐るべき快挙というよりなかったでしょう.

 彼が創り上げた基本的な仕組みを見ていきましょう. まずはネーター環の定義から.

命題-定義 10 (ネーター環). 可換環 $A$ に対する以下の条件は同値である:
(1) $A$ のイデアルの昇鎖は停留する, すなわち如何なるイデアルの単調増大列 $$ \mathfrak{a}_1 \subset \mathfrak{a}_2 \subset \cdots \subset \mathfrak{a}_n \subset \cdots$$ も充分大きな $N$ をとれば $\mathfrak{a}_N = \mathfrak{a}_{N+1} = \cdots$ を充たす,
(2) 如何なる空でない $A$ のイデアルの族も (包含関係に関する) 極大元をもつ,
(3) $A$ の総てのイデアルは有限生成である.
上記の条件のいずれか1つ (ゆえに総て) を充たすとき, $A$ をネーター環という.

 ここで Hilbert が取り出したネーター性は, その後1世紀以上にわたって可換環論における最も基本的で最も重要な概念であり続けています. その理論的重要性を世に知らしめた (具体的には, ネーター環においてはあらゆるイデアルが準素分解可能であると明らかにした) ということで Emmy Noether の名を関して呼んでいますが, その重要性に最初に気づき応用して見せたのは Hilbert だったのです.

 一般に, $\mathbb{C}$ 代数のネーター性と有限生成性は互いに関連しつつも独立した概念です. ただし, 最初の関連は Hilbert によって見出されました:

定理 11 (Hilbert の基底定理). $R$ がネーター的ならば, 1変数多項式環 $R[x]$ もネーター的である.

 ネーター環の全射像もネーター的なので有限生成 $\mathbb{C}$ 代数はネーター的です. 一方, ネーター的な $\mathbb{C}$ 代数で$\mathfrak{C}$ 上有限生成でない例はいくらでもあります. 例えば1変数の有理関数体 $\mathbb{C}(x)$ は体なのでネーター的だが, $\mathfrak{C}$ 代数としては有限生成ではありません. しかし, 既に見た次数構造があれば話は別です. これを見出したのもやはり Hilbert の慧眼でしょう.
 可換環 $R$ が次数つきとは, アーベル群としての直和分解 $$ R = \bigoplus R_n$$で任意の $m$, $n$ に対して $R_m \cdot R_n \subset R_{m+n}$ が成り立つことをいいます. このとき $R_0$ は部分環をなし, 多項式環 (の部分代数) の場合には $n \ge 0$ のときにのみ $R_n \ne 0$ となります.

補題 12. 次数つき環 $R = \bigoplus_{n \ge 0} R_n$, $R_0 = \mathbb{C}$, に対して以下は同値である:
(1) $R$ はネーター環である,
(2) $R$ は有限生成 $R_0 = \mathbb{C}$ 代数である.

[証明] (2)$\Rightarrow$(1) はほぼ基底定理による. (1)$\Rightarrow$(2) を示す. $\mathfrak{m} := \bigoplus_{n > 0} R_n$ とおくと, これは $R$ のイデアルなので有限生成である. 生成系を斉次分解すれば, $\mathfrak{m}$ に属する有限個の斉次式からなる生成系が存在することが判る. 以下, それを $t_1$, $\ldots$, $t_s$ とおく.

 多項式 $F \in R$ を斉次分解して $$ F = F_0 + F_1 + \cdots + F_d,~~~~F_n \in S_n$$ となるとき, $F_0$ は定数であり, $F_n$, $n > 0$, は $\mathfrak{m}$ の要素なので $t_1$, $\ldots$, $t_s$ の $R$ 線形結合で表される: $$ F_n = F_{n,1} t_1 + \cdots + F_{n,s}t_s. $$このとき各 $F_{n,j}$ も斉次式にとれることに注意すれば, 定数でない限り同様の表示を繰り返して $F_n$ は $t_1$, $\ldots$, $t_s$ の多項式で表され, 特に $F$ も $t_1$, $\ldots$, $t_s$ の多項式で表される. [終]

 この証明でも, $\mathfrak{m}$ というイデアルの有限生成性が梃子となって, 見事に代数としての有限性が導かれました. 不変式環 $S^G$ がこの補題の条件を充たす次数付き環であることは比較的容易にわかるので, 有限生成性はネーター性に置き換えてよいというところまで来てしまいました. とどめの一撃を与えましょう.

定義 13. $\mathbb{C}$ 線形写像 $R : S \to S^G$ がレイノルズ作用素とは,
(1) $P \in S^G$ に対し $R(P) = P$,
(2) 任意の $P \in S$ と $g \in G$ に対し $R(g \cdot P) = R(P)$,
の2条件を充たすことをいう.

 $G$ 加群という用語をご存知の方なら, $G$ 加群の埋入写像 $0 \to S^G \to S$ の分裂全射とも定義できます. また, レイノルズ作用素は $S^G$ 線形写像であることも導かれます [$G$ 加群の直和分解 $S = S^G \oplus T$ は $S^G$ 加群の直和分解でもあるので].
 もちろん一般に $S^G$ が $S$ の直和因子になるかは保証されないのですが, これがあれば不変式環 $S^G$ には $S$ の様々な良い性質が受け継がれていることが証明できます. 以下はその一例です (そして今回のほぼ主定理です).

定理 14. レイノルズ作用素 $R : S \to S^G$ が存在するとき, $S^G$ のイデアル $I$ に対して $IS \cap S^G = I$ が成り立つ. 特に, $S^G$ はネーター環である.

[証明] 一般のイデアルの拡大と縮小の関係により, $I \subset IS \cap S^G$ はつねに (レイノルズ作用素の存在如何に依らず) 成り立つ. 一方, $P \in IS \cap S^G$ に対し,
$P \in S^G$ から $R(P) = P$, また $P \in IS$ から $$P = f_1 h_1 + \cdots + f_s h_s,~~ f_i \in I,~~h_i \in S$$ と表せば, $R$ は $S^G$ 線形なので $$ R(P) = f_1 R(h_1) + \cdots + f_s R(h_s) \in I,$$ 以上をまとめて $P \in I$ を得る.
 $S^G$ のイデアルの昇鎖 $I_1 \subset I_2 \subset \cdots$ が与えられたとする. $S$ はネーター的なので, そのイデアルの昇鎖 $I_1 S \subset I_2 S \subset \cdots$ は停留し, その縮小である $I_1 \subset I_2 \subset \cdots$ も停留する. ゆえに $S^G$ はネーター的である. [終]

 前回のことを思うと, 何か抽象的なことをごちゃごちゃいじっているだけのようにも見えます. それなのに, 今確かにわれわれは不変式環 $S^G$ のネーター性, すなわち有限性を得たのです. つまり基本問題の (1) が解決されたということです.
 基本問題の (2) はさらに形式的に得られます. ウィニングランを回りましょう.

$S^G$ が 有限生成 $\mathbb{C}$ 代数とし, $1$ 組の生成系 $p_1$, $\ldots$, $p_s$ を固定する. このとき, この生成系の関係式は $$ \mathbb{C}[T_1, \ldots, T_s] \to S^G,~~~T_i \mapsto p_i$$ の核に他ならず, 基底定理によりそれは有限生成である.

 ここまでの議論を経て「レイノルズ作用素が存在しさえすれば, 基本問題は (1), (2) 共に肯定的である」ことが判りました. Hilbert はここまでの抽象論による準備を仕上げてから, 様々な技巧を駆使して, 多くの群の作用に対するレイノルズ作用素を構成します. この部分の議論は具体的かつ技術的ではありますが, 不変式自体をせっせと積み上げていた途方もない議論に比べれば目的も道筋も明快です. 今回はこれらの子細には立ち入らず, たった一つのレイノルズ作用素の例を挙げて終わりにします. とはいえ, この一つを知っているだけで相当遊べる例だと思います.

例 15. 有限群 $G$ に対し, $R : S \to S^G$ を $$ R(f) := \frac{1}{\sharp G} \sum_{g \in G} g \cdot f$$ はレイノルズ作用素である.


 というわけで, 都合3回にわたって, ぼくが可換環論に魅かれるきっかけとなった対称式の基本定理と Hilbert の「神学」についてのお話はおしまいです. スタイルが若干いい加減なことにはご海容を賜りたいと思いますが、不変式の話はもっともっと面白い話がいっぱいあるので, おりをみてまたお話ししたいと思います. 大変楽しく書けました. ありがとうございました!

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