みなさま ごきげんよう
最近は、薩長より鳥蝶(☚ 蛾ふくむ)が天敵になりつつあるゴマでございます。
(鳥はこれからトウモロコシやトマトを食べにくるんだよ)
今日も畑をチェックしにまいりましたら、なんとナスビの葉っぱにあいつが
「おのれ、天下国家をゆるがす大罪人めー」
さっそく枯れかかったロメインレタスの葉でつまみ上げ(修行が足らず、いまだ素手ではつかめない)地べたにポイ ニジニジ
ところが、昨日の雨で地盤がゆるく、土の中にめりこんだまま無事息災。
「えぇい、ちょこざいな 」
今度は、葉っぱごしに指でグニグニ 昇天
「ふっ、迷わず成仏するのじゃぞ 」 with 菩薩の笑み
てな感じで、ひと仕事してきましたのよ、ほほほほ。
それはさておき
みなさまお待ちかね(?)の農薬のお話ですわ~
前回は、虫をキャッチしてぶっ殺す方法・その道具についてでしたが、今回はまさに農薬的なものについて見ていこうと思います
と、その前に、人類が農業をはじめたのは今から約1万年前ころと言われ、日本で稲作がはじまったのは約2300年ほど前。
当然、そのころから害虫・害獣はいましたが、対処法としてはもっぱら祈る。
日本の伝統行事のひとつであり、夏の季語でもある『虫送り(虫追いとも)』は、農作物につく害虫を追い払い、その年の豊作を祈る呪術的行事だそうです
まぁ、それはひとまず置いておいて、日本初の農薬的なものは、平安時代にサンショウと塩を混ぜたものを撒いて、稲にたかるウンカやアワヨトウを防ごうとした記録があり、どうやらこれが記録に残る最初の農薬もどきだそうです。(効果はなさげ)
それから時代は下って1600年ころ、現在の島根に住んでいた人がトリカブト・樟脳など5種類を混ぜたものを発明して使ったところ、ウンカやイノシシに効果があったとか。
その約100年後、農学者の宮崎安貞は『農業全書』の中で、タバコの煮汁や硫黄の燻煙などを使って害虫を駆除する方法を紹介しています。
今度は約150年後の1730年ころ、田に鯨油などを撒く『注油法』がウンカ・ヨコバイの駆除に有効だとわかり、一部地域でおこなわれはじめました。
しかし、これは大量の油を使うため、ウンカ被害の大きかった西日本(とくに九州)以外では、経済的に利点があまりなかったので、さほど普及しなかったようです
ところで、日本最古の農書『農業全書』は、中国・明代の暦数学者・徐光啓がまとめた農書『農政全書』を参考にしながら書かれたようですが、この農政全書も当時、明に滞在していたイタリアの宣教師マテオ・リッチを介してヨーロッパの農業知識が相当盛りこまれているようで、ようするに稲作がおこなわれていない国の技術なので、もっぱら畑の害虫対策が多く書かれているのです。
てなことで、田んぼの害虫駆除としては、1952年に稲作用の農薬『セレサン石灰』『ホリドール』が使われるようになるまで、上記の注油法くらいしかありませんでした。
(九州では昭和25年ころまでやってたらしいよ )
じゃあ、農薬として、どんなものがよく使われていたかというと、
ヨモギ
ヘンダール(ミカン系・アルカロイド含有植物)
ホソバオケラ(別名:ソウジュツ、キク科)
クララ(☚ 「クララが立った!」のクララじゃないよ)
クララ(マメ亜科多年草。根を噛むとクラクラするほど苦いので、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになる)
トリカブト
トリカブト(キンポウゲ科トリカブト属の総称。有毒植物として超有名)
古来より毒矢に塗って、狩猟・軍事目的で北東アジア・シベリア文化圏で利用される。
なんでも蜜や花粉にも中毒例があり、養蜂家はトリカブトが自生している地域では蜂蜜を採集しない、または開花期を避けるとか。
(どんだけ毒性強いんだよ )
バイケイソウ
バイケイソウ(ユリ科。根茎にアルカロイド成分を含む。以前は血圧降下剤として用いられていたが、催吐作用や強い毒性があるので現在では用いられない。また、東雲草の名で殺虫剤としても使われていた)
ショウブ
甘草
フジモドキ
フジモドキ(ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属。江戸時代初期、中国より渡来。花に毒性がある)
百部(ビャクブ科の多年草。中国原産。日本へは江戸時代に渡来。根を煎じて駆虫薬に用いた)
スギ(花粉でやっつけるのか)
キハダ(ミカン科キハダ属の落葉高木。樹皮の薬用名は黄檗。樹皮をコルク質から剥ぎ取り、コルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると生薬の黄柏となり、ベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つ。チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能あり)
カヤ(イチイ科カヤ属の常緑針葉樹。間伐材や枝は燻して蚊を追い払うために使われる。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するとか)
アセビ
アセビ(ツツジ科アセビ属の常緑低木。馬酔木の名は、「馬」が葉を食べると毒に当たって、「酔」っぱらったようにふらつく「木」だということからついた名前だとか。草食哺乳類は食べずにパスする有毒植物。葉は煎じて殺虫剤に利用。毒症状としては、血圧低下、腹痛、下痢、嘔吐、呼吸麻痺、神経麻痺。近年、殺虫効果を自然農薬として利用する試みがなされている ☚ って、回帰してるんかい )
アブラギリ(油桐、トウダイグサ科落葉高木。種子から桐油(tung oil)と呼ばれる油を採取して塗料などに用いる種子から採れる桐油は塗料や印刷インキ、油紙の材料として盛んに使われた。ただし、エレオステアリン酸など毒性を持つ不飽和脂肪酸を含むため、食用にはできない。別名ドクエ(毒荏))
ショウノウ(樟脳。強い刺すような樹脂系の香り。クスノキの精油の主成分。クスノキの葉や枝などのチップを水蒸気蒸留すると結晶として得ることができる)
血行促進作用・鎮痛作用・消炎作用・鎮痒作用・清涼感をあたえる作用などがあるため、主にかゆみどめ、リップクリーム、湿布薬など外用医薬品の成分として使用されている。
19世紀初頭、樟脳とアヘンを混ぜて子供の咳止めとして用いることもあったが()、多くの子供はよりひどい状態になり(あたりまえだ)、この処方をするくらいなら放っておいたほうがましだと評価されていた。
人形・衣服の防虫剤として、またゴキブリ・ムカデ・ネズミなどを避ける用に、また防腐剤・花火の添加剤としても使用されている。
樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがあるが、飲みこんだ場合は有毒であり、発作・精神錯乱・炎症および神経と筋肉の障害の原因になる。
6世紀、アラビアで製法が発明され、日本へは16世紀に伝わったとされる。
寛永14年(1637年)薩摩藩特産品としてヨーロッパ・中国へ輸出され、金・銀に次ぐ日本の重要な輸出産品となる。
クスノキは薩摩藩御用木として勝手な伐採は禁止されており、樟脳の生産は主に鹿児島のほか、長崎の五島で行なわれていたが、岩崎弥太郎が外国船で樟脳が必需品であることを知り、土佐藩でも外貨獲得のための産品として盛んに製造されるようになった。
ここまでが、江戸時代によく使われていた植物系材料ですが、防虫と言えば……そう、防虫菊
でも、これは明治期になってから入って来たものらしいです。
防虫菊ことシロバナムシヨケギク(キク科多年草)
胚珠の部分にピレスロイド(ピレトリン)を含み、殺虫剤の原料として利用されている。
日本への渡来は1886年(明治19年)。のちにミカン農家をやっていた上山英一郎がこの除虫菊を使って、渦巻型の蚊取線香を発明し、大日本除虫菊(金鳥)を創設する
……なんかすごい大変だったんやね。
そういえば、311のあと、福島県の野菜農家の人が前途を悲観して自殺してしまったよね
その人はかなり前から有機栽培にこだわって、自分で作った腐葉土なんかで土壌改良を重ねていて、10年以上かけてキャベツ栽培にも工夫を重ねて、高品質のキャベツを作っていたんだって。
このキャベツは農協でも人気が高かったうえ、地元小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていて、「子どもたちが食べるものだから、気をつけて作らないと」と、安全な野菜づくりを誇りにしていたそうで……
それがあの原発事故で、福島産野菜に「摂取制限」指示が出されたその翌日に……
当時そのニュースを聞いたときも涙が止まらなかったけど、こうして実際にキャベツを作ってみると、その労力・熱意をあらためて実感すると同時に、その無念さ・絶望感の大きさがよくわかったよ
だって、たかが20個ていどのキャベツ&ブロッコリーでさえ虫だらけになって、「あたり一面農薬の海にしてやるー」とかキレてるのに……
ちなみに、ゴマは福島の野菜・くだものが出荷解除になってから今日まで、311前と変わらず食べてます
だから、できたら……もうちょっと待っててほしかったな……(ご冥福をお祈りいたします)
最近は、薩長より鳥蝶(☚ 蛾ふくむ)が天敵になりつつあるゴマでございます。
(鳥はこれからトウモロコシやトマトを食べにくるんだよ)
今日も畑をチェックしにまいりましたら、なんとナスビの葉っぱにあいつが
「おのれ、天下国家をゆるがす大罪人めー」
さっそく枯れかかったロメインレタスの葉でつまみ上げ(修行が足らず、いまだ素手ではつかめない)地べたにポイ ニジニジ
ところが、昨日の雨で地盤がゆるく、土の中にめりこんだまま無事息災。
「えぇい、ちょこざいな 」
今度は、葉っぱごしに指でグニグニ 昇天
「ふっ、迷わず成仏するのじゃぞ 」 with 菩薩の笑み
てな感じで、ひと仕事してきましたのよ、ほほほほ。
それはさておき
みなさまお待ちかね(?)の農薬のお話ですわ~
前回は、虫をキャッチしてぶっ殺す方法・その道具についてでしたが、今回はまさに農薬的なものについて見ていこうと思います
と、その前に、人類が農業をはじめたのは今から約1万年前ころと言われ、日本で稲作がはじまったのは約2300年ほど前。
当然、そのころから害虫・害獣はいましたが、対処法としてはもっぱら祈る。
日本の伝統行事のひとつであり、夏の季語でもある『虫送り(虫追いとも)』は、農作物につく害虫を追い払い、その年の豊作を祈る呪術的行事だそうです
まぁ、それはひとまず置いておいて、日本初の農薬的なものは、平安時代にサンショウと塩を混ぜたものを撒いて、稲にたかるウンカやアワヨトウを防ごうとした記録があり、どうやらこれが記録に残る最初の農薬もどきだそうです。(効果はなさげ)
それから時代は下って1600年ころ、現在の島根に住んでいた人がトリカブト・樟脳など5種類を混ぜたものを発明して使ったところ、ウンカやイノシシに効果があったとか。
その約100年後、農学者の宮崎安貞は『農業全書』の中で、タバコの煮汁や硫黄の燻煙などを使って害虫を駆除する方法を紹介しています。
今度は約150年後の1730年ころ、田に鯨油などを撒く『注油法』がウンカ・ヨコバイの駆除に有効だとわかり、一部地域でおこなわれはじめました。
しかし、これは大量の油を使うため、ウンカ被害の大きかった西日本(とくに九州)以外では、経済的に利点があまりなかったので、さほど普及しなかったようです
ところで、日本最古の農書『農業全書』は、中国・明代の暦数学者・徐光啓がまとめた農書『農政全書』を参考にしながら書かれたようですが、この農政全書も当時、明に滞在していたイタリアの宣教師マテオ・リッチを介してヨーロッパの農業知識が相当盛りこまれているようで、ようするに稲作がおこなわれていない国の技術なので、もっぱら畑の害虫対策が多く書かれているのです。
てなことで、田んぼの害虫駆除としては、1952年に稲作用の農薬『セレサン石灰』『ホリドール』が使われるようになるまで、上記の注油法くらいしかありませんでした。
(九州では昭和25年ころまでやってたらしいよ )
じゃあ、農薬として、どんなものがよく使われていたかというと、
ヨモギ
ヘンダール(ミカン系・アルカロイド含有植物)
ホソバオケラ(別名:ソウジュツ、キク科)
クララ(☚ 「クララが立った!」のクララじゃないよ)
クララ(マメ亜科多年草。根を噛むとクラクラするほど苦いので、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになる)
トリカブト
トリカブト(キンポウゲ科トリカブト属の総称。有毒植物として超有名)
古来より毒矢に塗って、狩猟・軍事目的で北東アジア・シベリア文化圏で利用される。
なんでも蜜や花粉にも中毒例があり、養蜂家はトリカブトが自生している地域では蜂蜜を採集しない、または開花期を避けるとか。
(どんだけ毒性強いんだよ )
バイケイソウ
バイケイソウ(ユリ科。根茎にアルカロイド成分を含む。以前は血圧降下剤として用いられていたが、催吐作用や強い毒性があるので現在では用いられない。また、東雲草の名で殺虫剤としても使われていた)
ショウブ
甘草
フジモドキ
フジモドキ(ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属。江戸時代初期、中国より渡来。花に毒性がある)
百部(ビャクブ科の多年草。中国原産。日本へは江戸時代に渡来。根を煎じて駆虫薬に用いた)
スギ(花粉でやっつけるのか)
キハダ(ミカン科キハダ属の落葉高木。樹皮の薬用名は黄檗。樹皮をコルク質から剥ぎ取り、コルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると生薬の黄柏となり、ベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つ。チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能あり)
カヤ(イチイ科カヤ属の常緑針葉樹。間伐材や枝は燻して蚊を追い払うために使われる。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するとか)
アセビ
アセビ(ツツジ科アセビ属の常緑低木。馬酔木の名は、「馬」が葉を食べると毒に当たって、「酔」っぱらったようにふらつく「木」だということからついた名前だとか。草食哺乳類は食べずにパスする有毒植物。葉は煎じて殺虫剤に利用。毒症状としては、血圧低下、腹痛、下痢、嘔吐、呼吸麻痺、神経麻痺。近年、殺虫効果を自然農薬として利用する試みがなされている ☚ って、回帰してるんかい )
アブラギリ(油桐、トウダイグサ科落葉高木。種子から桐油(tung oil)と呼ばれる油を採取して塗料などに用いる種子から採れる桐油は塗料や印刷インキ、油紙の材料として盛んに使われた。ただし、エレオステアリン酸など毒性を持つ不飽和脂肪酸を含むため、食用にはできない。別名ドクエ(毒荏))
ショウノウ(樟脳。強い刺すような樹脂系の香り。クスノキの精油の主成分。クスノキの葉や枝などのチップを水蒸気蒸留すると結晶として得ることができる)
血行促進作用・鎮痛作用・消炎作用・鎮痒作用・清涼感をあたえる作用などがあるため、主にかゆみどめ、リップクリーム、湿布薬など外用医薬品の成分として使用されている。
19世紀初頭、樟脳とアヘンを混ぜて子供の咳止めとして用いることもあったが()、多くの子供はよりひどい状態になり(あたりまえだ)、この処方をするくらいなら放っておいたほうがましだと評価されていた。
人形・衣服の防虫剤として、またゴキブリ・ムカデ・ネズミなどを避ける用に、また防腐剤・花火の添加剤としても使用されている。
樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがあるが、飲みこんだ場合は有毒であり、発作・精神錯乱・炎症および神経と筋肉の障害の原因になる。
6世紀、アラビアで製法が発明され、日本へは16世紀に伝わったとされる。
寛永14年(1637年)薩摩藩特産品としてヨーロッパ・中国へ輸出され、金・銀に次ぐ日本の重要な輸出産品となる。
クスノキは薩摩藩御用木として勝手な伐採は禁止されており、樟脳の生産は主に鹿児島のほか、長崎の五島で行なわれていたが、岩崎弥太郎が外国船で樟脳が必需品であることを知り、土佐藩でも外貨獲得のための産品として盛んに製造されるようになった。
ここまでが、江戸時代によく使われていた植物系材料ですが、防虫と言えば……そう、防虫菊
でも、これは明治期になってから入って来たものらしいです。
防虫菊ことシロバナムシヨケギク(キク科多年草)
胚珠の部分にピレスロイド(ピレトリン)を含み、殺虫剤の原料として利用されている。
日本への渡来は1886年(明治19年)。のちにミカン農家をやっていた上山英一郎がこの除虫菊を使って、渦巻型の蚊取線香を発明し、大日本除虫菊(金鳥)を創設する
……なんかすごい大変だったんやね。
そういえば、311のあと、福島県の野菜農家の人が前途を悲観して自殺してしまったよね
その人はかなり前から有機栽培にこだわって、自分で作った腐葉土なんかで土壌改良を重ねていて、10年以上かけてキャベツ栽培にも工夫を重ねて、高品質のキャベツを作っていたんだって。
このキャベツは農協でも人気が高かったうえ、地元小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていて、「子どもたちが食べるものだから、気をつけて作らないと」と、安全な野菜づくりを誇りにしていたそうで……
それがあの原発事故で、福島産野菜に「摂取制限」指示が出されたその翌日に……
当時そのニュースを聞いたときも涙が止まらなかったけど、こうして実際にキャベツを作ってみると、その労力・熱意をあらためて実感すると同時に、その無念さ・絶望感の大きさがよくわかったよ
だって、たかが20個ていどのキャベツ&ブロッコリーでさえ虫だらけになって、「あたり一面農薬の海にしてやるー」とかキレてるのに……
ちなみに、ゴマは福島の野菜・くだものが出荷解除になってから今日まで、311前と変わらず食べてます
だから、できたら……もうちょっと待っててほしかったな……(ご冥福をお祈りいたします)