blog読者はひとりも信じないだろうが、
わたしの第一印象は「優しそう」らしい。
職場でもよく言われるし、
夫も言う。
1月に卒業した学校でも
「(まだよく知らない生徒同士で相手を観察して)具体的に褒めなさい
というワークがあった。
わたしは真面目に外見を観察して、
「お洒落で手がきれい、手先が器用そう」
「運動神経よさそう、真面目そう」
「美人!自慢の奥さんでお母さんだと思う」
等と書いて、驚くべきことにだいたい当たっていた。
アスペルガーなのに…?
というか人とのコミュニケーション能力に欠けるわたしだから、人間観察が趣味だ。
ところがわたしの受け取ったシートは
優しそう」のオンパレード。
優しそうって大人の世界では
パッと見取り柄がない相手に苦肉の策で捻り出す社交辞令だよね…?

たしかにある意味においてわたしは優しいが、それは本当の優しさではない。

「相手の立場になれ」
「他人の気持ちを思いやれ」
診断済のASD当事者はそう躾けられているだろうが、
未診断のASD当事者であるわたしもそう躾けられていたし、そのとおりだと実行していた。
視点をひっくり返して相手の立場になる癖がついている
わたしを見るたび鼻にシワを寄せて睨んでいた女性教師は、
(これは今知ったが嫌悪の表情だそうだ
そう言えば実母もわたしを見るたびわかりやすく鼻にシワを寄せ、
歯をむき出しにして「クーっ!!」と唸っていた
アスペルガーは人の気持ちがわからないと言うが、
学習は可能で記憶力は問題なく、
わたしは主治医によると"カメラアイの持ち主"らしい
そのときわからなくても後でバレますよ
たびたびわたしを晒しあげたり、
他の児童にわたしと遊ばないよう指導していた。
が、わたしは教師の立場になって想像した。
「テストの点は良いが
いつもぼんやりして宿題を忘れがち
5教科意外苦手でときどき癇癪もある
こんな生徒嫌われて当たり前だし、
他の自動への悪影響や親御さんの苦情もあるだろう
教師も人間、好き嫌いもあるだろう」
そう考えると怒らず同情できるくらい。
それに現代であっても、
まともな児童を発達に問題ありそうな児童を隔離する教師なんて、7割方の父兄からは良い教師なんだろう。

わたしに「真の差別主義者」と言ってきた元カレの気持ちもわかる。
彼は、身体にしょうがいがあるからこそ、
本心ではモデル体型の美女を連れ歩きたかったが叶わず、仕方なくわたしに付き合いを持ちかけた。
ところがわたしが勘違いして男の子との交際に
舞い上がったから彼は怒った。
俺はこんな身体だからこそ、モデルみたいな女性を連れて街を歩きたかった!
お前みたいな女こそ真の差別主義者だ!
と言われた。
(補足・わたしとしては向こうから交際を持ちかけられたのに
身体障害者に対する差別などと言われ寝耳に水だった
今でも、じゃあ妥協せずにモデル体型の女と付き合えよ!
こっちも迷惑なんだよ!
とは思う…が、モデル体型の女どころか
ずんぐりむっくりのブスをチヤホヤして連れ歩く羽目になった
彼の怒りや悔しさは痛いほどよくわかる
ちなみにこのあと付き合った現夫も同様に、
お前は自分が思ってるほど美人じゃねえから!
わたしは同じ過ちを2度繰り返したので、
以降、社交辞令にはピクリとも反応しなくなった。
ただし、わたしなんかに社交辞令を言って
気持ちよく過ごしてもらおうというおもてなしの心
非常に嬉しく有り難いので、
ゴネゴネとウザい言い訳
(「え〜☆あたしなんてぇ、デブでブスだしぃ〜☆」)
せず、「ありがとう(^^)」と言ってる。

ASD当事者には相手の真意はよくわからない。
だからこそ、残された脳回路で
経験からの知識や暗記した一般常識、
対人関係HOW TO本の知識で
相手の真意を推理する。
そして、
相手の立場になって相手に良いよう行動する。

他人はわたしにとってみんな同じだった。
社会的立場からニコニコしたところで
真意は同じだろう。
そして大抵はそれほど良い俳優ではないから、
ときどき本音(嫌悪と軽蔑)が出る(笑)
みんながわたしのこと、
本当はどう思っているか知り尽くしてる。

一度でいいから、
こころの通い合う相手と出逢ってみたい…。
わたしの好意をヘボ占い師かインチキ精神科医の如く的外れな精神分析して悪意に捻じ曲げて捉えたりせず、
わたしの苦しみをほかの人はもっと苦しいんだとか、俺のほうがもっとなどと言わず「辛かったね」と抱きしめてくれるような、
わたしの将来をお前には無理wとか鏡を見ろよなどと嘲笑ったりせず応援してくれるようなそんな人。
当たり前だけど、わたし側は人に対しては上記のような態度をなるべくとるようにしている。

冨永愛さんの自伝を読んだ。
愛さんは、世界的なスターなのに明るくサバサバして気取ってないハンサムな女性。
という印象があったが、
不遇で悲惨な少女時代「殺してやりたい
ほどの怒りが彼女をスターダムに駆け上がらせた。
そして息子さんの存在が、
苦しい記憶含めすべてを統合し、
菩薩のような愛の境地に彼女を誘った。
屈辱的な過去も、痛い経験もすべて愛さんの一部…。
彼女こそ究極的に美しい女性では無いだろうか?※ 

わたしに欠けているのは、
自分の気持ちを大切にする心。
怒りや憎しみだって大切な心だ。
「相手の気持ちを思いやってぇ…☆」
などと怒りを抑圧してきたのが良くなかった。
怒りは正しく使えば人を成長させる。
つい相手の立場になってしまい、
いい歳のおっさん、しかも教師の立場にあるものが
たった9歳の少女が1ヶ月痛い治療や発熱と闘っているのを
「デブ」だ「性格悪い」だ好き放題罵りまくることすら、
仕方ない」「わたしが悪い」と許してきた。
でも相手がどんな児童でもおかしいだろ!?
つい最近も泥酔者の介抱をしてたら男の力で急に抱きつかれ恐怖を感じたが、
(振り解いて置き去りにして逃げた笑)
エロい意味じゃないだろう
アルコール回り過ぎて電柱にも抱き付く状態だし
とケロッと許したけど、
もしわたしが●●さんみたいな
みんなにとって大切な存在の美女だったら
の行為は「メッ!」くらいした筈だ。
怒りを感じたときは味わい尽くそう
相手にもきっちり報復しよう!!
もちろんそいつ相手の
クズみたいな暴力や暴言でもなく、
更なるガチクズ行為、そいつじゃなく弱い第三者への腹いせ行為や八つ当たりでもなく、
愛さんのようにお金や社会的地位でもいいし、
他のなんだっていいが、
手に入れて悠然と見下してやりたい。
「殺してやりたい」ほどの怒りは
大切なわたしの一部。

優しさとは
強い人のみが持つ感情だと
わたしは考えている。
弱い人の優しさって自戒を込めて
たいていただの媚びか傷の舐めあいだし、
仮に真の優しさだとしたも
それを実行する能力がないから結局偽物だと。

夫氏は反対に、
強者の優しさは優しさじゃなくて余裕だよと。
まあ、痛みのわかる人は人の痛みもわかるとか言われたり
「貧者の一灯」とか「やもめ女の献金」
というエピソードもある。

いずれにしても
ふだんのわたしは、ニコニコしていて
他人のアレ?と思う言動や行動は気にしないし
他人の失敗も責めない、
他人の役に立ったり、
笑顔が見られれば嬉しいけど、
それは優しさなんかじゃない。

真の優しさを手に入れるには、
もっと強く
そして価値ある何かを手に入れなくてはならない。

怒りの感情は大切にしたい。
「お前なんか!」
「どうせ〜だろう」
「あっちょの癖にw」
「嘘つき女」と
真心を踏みつけにされ続けてきたが、
間違っていたことをいつか
証明してやる!!

それから、以降わたしはわたしに対する
失礼な言動をニコニコ許すのを止める!
もうこれ以上私に対する侮辱は一回たりとも許さない。
あ!失礼な言動と言っても、
わたしがもう許さない失礼な言動というのは暴力とか、
親しくもないのにいきなり
こちらの人格、容姿、能力等について暴言を吐くとか
いきなり上から目線で決めつけて暴言を吐くとか
そういう普通に考えれば幼稚園児でも
アスペルガー当事者でも成人以降なら
誰でもわかるような
どう考えても失礼な言動だけなのでご安心ください。

※脚注
先日冨永愛さんの不倫疑惑報道が出たが、
最初からこれっぽっちも信じてないが
この本を読んだらますます
「不倫じゃないだろ!」と感じた。
男女の友情は、そういう心のない人には
一生わからないだろうけど
同じ人間同士成り立つんですよ!!
なんでも不倫扱いする人ってその人が
異性と見ると助平なことで頭いっぱいなのだろう…