あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

大和魂とおもてなしに潜む歪んだ国民性について。(自我その380)

2020-07-14 10:07:23 | 思想
旅の恥は掻き捨てという慣用句がある。言うまでもなく、旅先では知人もいないし、長くとどまることもないので、普段なら恥ずかしくてできないような行いも平気でするものだという意味である。これが、日本人の国民性の特徴の一つである。しかし、日本人は、大和魂とおもてなしが特徴だと思っている。大和魂とは、日本民族固有の精神とされ、私心が無く、勇猛で、潔いことを意味する。近世以降、国粋主義思想の下で盛んに使われた言葉である。戦前の大日本帝国時代の軍部、そして、大衆において、共通の合い言葉であった。現代においても、サムライ精神などと日本人が自負するのは、この精神である。おもてなしとは、丁寧に親切に接することをいう。日本人は、自らは、分け隔て無く、すなわち、人によって扱いに差別なく、丁寧に親切に接していると思っている。しかし、大和魂とおもてなしには、陰の部分がある。太平洋戦争において、軍部の指導者・上官たちは、大和魂を鼓舞しつつ、兵士たちに無理な作戦を強いて、戦死者よりも病死者・餓死者の状態を作った。そして、作戦失敗の責任を取らなかった。兵士たちには大和魂を押し付け、指導者・上官たち自身は姑息な生き方をしていたのである。さらに、指導者・上官・兵士、こぞって、アジア各地で、特に、中国において、遠慮会釈無く、虐殺・レイプなどを行った。まさしく、旅の恥は掻き捨てを実践したのである。多くの人は、「戦争は異常な状態だから、何が起こっても仕方が無い。」と言う。しかし、戦場を体験した作家の大岡昇平は、「戦場においても、平時の生活においても、人間の精神構造は変わらない。」と言う。戦時中、中国で日本軍人・日本人の行動を見た作家の武田泰淳は、「人間は、どんな時でも、何をしてでも、生き延びようとする。いざとなったら、残酷なことをする。道徳も人道主義も吹っ飛ぶものだ。」と言う。つまり、日本人は、平常生活においても、常に、旅の恥は掻き捨てを実践する可能性があるのである。また、おもてなしにも、陰の部分がある。日本人が、おもてなしの精神を発揮するのは、権力者、有名人、金満家、客、外国人、自分の好きな人に対してである。地位の低い人、無名の人、貧しい人、自分の嫌いな人に対しては、冷淡であり、時には、憎悪をむき出しにする。それでも、日本人が自らは、分け隔てなく、丁寧に親切に接していると思っている。日本人は、おもてなしが国民性だと思い込んでいる。それは、深層心理の無の有化作用からである。深層心理とは、人間の無意識のうちの思考である。無の有化作用とは、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込むということである。科学万能の現在においても、深層心理の無の有化作用によって、人間世界には、実際には存在していないのに存在しているように思い込まれたもの・ことが存在している。しかも、それは、個人のみが有するもの・こと、集団が共通して有するもの・こと、国民全体が有するもの・ことなど、多岐にわたっている。また、人間は、深層心理の有する志向性(見方・観点・視点)によって、他者・物・現象という対象を捉えている。これが、深層心理の有の無化作用である。つまり、人間は、深層心理の有の無化作用によって、得お実際に存在しているもの・ことをありのままに捉えることはできないばかりでなく、深層心理の無の有化作用によって、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込むのである。しかし、人間は、表層心理で、自ら意識して、自らの意志によって、実際に存在しているもの・ことに対する志向性(見方・観点・視点)を変えることができないばかりでなく、表層心理で、自ら意識して、自らの意志によって、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込むということはできないのである。表層心理とは、人間の意識しての思考である。つまり、人間は、表層心理で、思考して、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込むということはできないのである。それは、深層心理の実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込みたいという欲望によって起こるのである。つまり、無の有化作用は、深層心理が有する実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込みたいという欲望によって、無意識に、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込んでしまうのである。しかし、深層心理は、恣意的に、実際には存在していないもの・ことを存在しているように思い込むのではない。そこには、条件がある。それは、そのもの・ことの存在が自らにとって絶対必要不可欠である、もしくは、そのもの・ことの存在が自らに安らぎを与えるという条件である。つまり、深層心理は、そのもの・ことの存在が自らにとって絶対必要不可欠である、もしくは、自らに安らぎを与えると判断すれば、実際には存在していないもの・ことを、存在しているように思い込んでしまうのである。人類が神を創造したのは、神が存在しなければ生きていけないと思ったからである。犯罪者の中には、自らの犯罪を正視するのは辛いから、いつの間にか、自分は犯罪を起こしていないと思い込んでしまう人が出現するのである。いじめ自殺事件があると、いじめっ子たちは責任を問われるのが辛いから、いじめではなく遊びのつもりだったと思い込み、そのように証言するのである。いじめっ子たちの親も、親という自我を傷付けられるのが辛いから、自殺の原因をいじめ以外に求め、いじめられた子の性格やその家庭環境にあると思い込むのである。ストーカーは、夫婦という構造体やカップルという構造体が壊れ、夫もしくは妻や恋人いう自我を失うのが辛いから、このような気持ちに追い込んだ相手に責任があり、自分には付きまとったり襲撃したりする権利あると思い込んで、その行為に及んでしまうのである。これらと同様に、日本人が自らは、分け隔てなく、丁寧に親切に接していると思い込んでいるのも、深層心理のそのように思い込みたいという欲望によって起こされたのである。日本人は自らは、分け隔てなく、丁寧に親切に接していると思い込むことによって、自分、そして、自国民が優しい人間であると自信を持ち、他者や他国民にも自慢でき、心に安らぎが訪れるのである。しかし、日本人は、地位の低い人、無名の人に対しては、警戒心が強く、貧しい人、自分の嫌いな人に対しては、冷淡であり、時には、憎悪をむき出しにする。まず、生活保護受給者を非難する人々が存在する。日本人の多くは、自民党の国会議員に同調して、生活保護を受けている人々に対して、働かないでお金をもらっていることを非難する。その事情を考慮しないのである。自分が、運悪く、いつそのような状態に陥るかも知れないのに、そのことも考慮しないのである。次に、自分の考えや行動に反対する人を売国奴、非国民、反日だなどと非難する人々が存在する。「俺は、誰よりも、日本を愛している。」と叫び、中国や北朝鮮や韓国などに対して敵愾心を露わにする日本人が存在する。国家主義者である。そして、自分の考えや行動に反対する人を売国奴、非国民、反日だなどと非難する。売国奴は、敵国と通じて国を裏切る者をののしって言う言葉である。非国民は、国民としての義務を守らない者をののしって言う言葉である。反日は、日本に反対すること、日本や日本人に反感をもつことという意味である。しかし、日本人には、売国奴、非国民、反日は存在しない。売国奴、非国民、反日という言葉は、日本人ならば誰しも日本に対して愛国心を持っていることを知らず、自分の愛し方だけが正しいと思い込んでいる国家主義者が生み出したのである。また、憂国という言葉も存在する。憂国とは、国家の現状や将来を憂え案ずること、国家の安危を心配することという意味である。そして、憂国の士という言葉さえ存在する。しかし、日本人ならば、誰しも、理想の日本の国家像があり、現在の日本がその国家像にそぐわないように思えれば、憂国の念を抱くのである。それ故に、憂国の念を抱く人を特別視し、憂国の士と呼ぶ必要はないのである。ところが、傲慢にも、憂国の士を自認する者は、自らが持っている理想の日本の国家像は誰にも通用するものだと思い込み、自分だけが日本の現状や将来を憂え案じていると思い込んでいる。そして、国家主義者と同様に、自らと異なった理想の日本の国家像を持っている者たちや自らと異なった日本の現状のとらえ方をしている人たちを、売国奴、非国民、反日などと非難するのである。次に、現在、日本は、世界各国と同じように、コロナウィルス騒動の渦中にある。政府や自治体は、個人にはマスク着用を、店舗には休業を要請してきた。すると、自警団と称する人たちは、マスク無着用の人や営業している店舗を恫喝してし続けてきた。虎の威を借る狐のように、権力者を後ろ盾にして、脅迫するのである。しかも、彼らは、それを正義だと思っているのである。彼らは、過ぎたるを及ばざるが如しを知らず、自らの行為が大和魂にもおもてなしにも反する行為だということに気付かないのである。戦時中も、戦争反対者を、警察や憲兵に密告した人たちがいたが、彼らと同じである。彼らも、また、自らの行為を正義だと思っていたのである。次に、マスコミとともに、不倫した芸能人を非難する人々が存在する。夫に不倫されて困っているのは妻である女性だけのはずなのに、正義を振りかざして、マスコミや大衆は断罪するのである。マスコミや大衆が騒げば騒ぐだけ、彼女が困るだけなのに、マスコミや大衆が正義の味方を気取って、不倫した芸能人を断罪する発言を繰り返すのである。次に、レイプ被害者を非難する人々が存在する。マスコミ志願の女性が、マスコミ界に身を置く男性にレイプされたのに、「枕営業」などと非難するのである。加害者は、逮捕寸前で、安倍晋三首相もしくはその配下の指示によって逮捕を免れたのである。なぜならば、彼は、マスコミで、安倍首相擁護の発言を繰り返していたからである。「枕営業」などと非難した中心人物は、女性であるが、彼女もまた、安倍晋三支持の右翼・体制派の人間である。次に、ヘイトスピーチをする集団が存在する。彼らは、「在日(在日韓国人・在日朝鮮人)は、日本から出て行け。」と叫び、挙句の果てには、「在日を殺せ。」とまで言う。ヘイトスピーチをして、韓国国籍の人、北朝鮮国籍の人を日本国内から追い出そうとするのである。彼らは、極端に日本人としての自我に強い人たちであり、排外主義者であるる。大勢の人とヘイトスピーチをすることによって、日本人のアイデンティティーを確認し合っているのである。彼らは、自らの行為を愛国心の発露だと思い込んでいるのである。彼らは、自らの行為に反対する日本人を、売国奴、非国民、反日だと思い込んでいるのである。彼らは日本を純粋に愛しているからこのような行為をするのだと思い込んでいるのである。これらは、皆、深層心理の無の有化作用から起こっているのである。次に、女子プロレスラーが自殺するという事件があった。多くの者が、SNS上で、誹謗・中傷を浴びせたからである。なぜ、彼女は、SNSを利用したのか。多くの人に評価されたかったからである。人間の欲望には、常に他者に評価されたいという自我の対他化への欲望が存在するのである。それが、裏目に出たのである。なぜ、多くの者は、彼女を誹謗・中傷したのか。それは、テレビ番組を見て、彼女を嫌ったからである。人間の深層心理には、快楽を求め、不快を避けようという快感原則を満たそうという欲望がある。その欲望に従ったのである。なぜ、彼らは、SNSは使ったのか。SNSならば、自らの正体が露見しないからである。彼らも他者から評価されたいと思いがあり、自らの行為が他者から評価されないのはわかっているから、SNSという匿名空間を利用したのである。だから、自殺の後、自らの正体が露見するのを恐れ、投稿記事を消去したのである。次に、テレビドラマであるが、それも、また、深層心理に無の有化作用から作られている。言うまでもなく、テレビドラマは、放送局が作る。しかし、大衆が求めているから、それに応じて、放送局が作るのである。大衆に嫌われたテレビドラマは、視聴率が取れず、早晩、消えていく。テレビドラマに登場するヒーローも、大衆に求めに応じて、作られたものである。坂本龍馬、西郷隆盛は、しばしば、テレビドラマに取り上げられ、人気が高い。彼らは「新しい日本を作るために、立ち上がるのだ。」と叫ぶ。これは、彼らを含めて、勤王の志士の決めぜりふである。勤王の志士とは、江戸末期、自分の身を犠牲にして、朝廷(天皇家)のために、徳川幕府打倒を図った、高い志を持つ人という意味である。確かに、彼らは、徳川幕府打倒のために、命を賭けて戦った。しかし、それは、決して、朝廷のためではない。自らの自我のためである。彼らは、新しい自我を求めて、命を賭けて、徳川幕府と戦ったのである。勤王の志士には、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、坂本龍馬、板垣退助、江藤新平などが存在する。彼らのほとんどが、薩長土肥、すなわち、薩摩、長州、土佐、肥前の下級武士である。坂本龍馬などは、武士より下位の郷士である。薩長土肥は外様大名の藩である。西郷隆盛、大久保利通は薩摩藩、木戸孝允、伊藤博文は長州藩、坂本龍馬、板垣退助は土佐藩、江藤新平は肥前藩の藩士である。外様大名は、関ヶ原の戦いの後に徳川家に臣従した大名であり、幕府の要職から外され、辺境地帯に封ぜられ、冷遇・警戒された。外様大名は、徳川幕府が続く限り、不安・恐怖から脱却できない。しかも、彼らのほとんどは、外様大名の下級の武士であったり、郷士であったりするから、立身出世が望めないばかりか、一生、貧窮の生活を送らなければいけない。そんな彼らが、ペリー来航以来、弱体を露わにした徳川幕府に対して、打倒に向かうのは当然のことである。彼らは、朝廷(天皇家)のためではなく、外様大名の下級武士・郷士という自我を捨て去り、新しい自我を求めて、命を賭けて、徳川幕府と戦ったのである。徳川幕府が続く限り、彼らは、外様大名の下級武士・郷士という自我を持たせられ続け、立身出世が望めないばかりか、一生、貧窮の生活を送らなければいけないからである。しかし、大衆は、坂本龍馬、西郷隆盛を含めて勤王の志士は、「新しい日本を作るために、立ち上がるのだ。」という決めぜりふのように、江戸末期に、自分の身を犠牲にして、朝廷(天皇家)のために、徳川幕府打倒を図った、高い志を持った人であると思い込んでいるのである。だから、大衆に合わせて、勤王の志士がヒーローのテレビドラマが作られるのである。もちろん、テレビドラマは、放送局が作る。しかし、大衆に人気の無いテレビドラマは、放送局が作ることができない。大衆に人気の無いテレビドラマは、消えていく。放送局は、幕末を描いたテレビドラマは、大衆の勤王の志士のヒーロー像、すなわち、大衆の意向に合わせて作るしかないのである。それでは、なぜ、現代の大衆はもちろんのこと、明治時代以降の大衆は、勤王の志士を、江戸末期に、自分の身を犠牲にして、朝廷(天皇家)のために、徳川幕府打倒を図った、高い志を持った人であると思い込んでしまったのか。それは、第一には、明治政府以来現代の政府まで、大衆に、当時代の政治性を肯定させるようにするために、当時代の政治性の基礎を作った勤王の志士のヒーロー像を、学校教育で植え付けるようにし、それが成功したからであるが、第二には、大衆自身、権力者やヒーローを待望しているからである。もちろん、大衆は、それに気付いていない。大衆は、勤王の志士のヒーロー像は真理だと思い込み、しかも、それを自ら獲得したものであると思い込んでいる。メシアとは、古代ユダヤ人が待ち望んだ救い主であり、キリスト教ではイエスが救い主だとされているが、勤王の志士のヒーロー像と同じ現象である。マルクスは、このような大衆の動向を憂え、「宗教は阿片だ」と言ったのである。勤王の志士と言われる、坂本龍馬、西郷隆盛などの外様大名の下級武士・郷士は、外様大名の下級武士・郷士という自我を捨て去り、新しい自我を求めて、命を賭けて、徳川幕府と戦ったのである。日本の大衆は、自分の身を犠牲にして、朝廷(天皇家)のために、徳川幕府打倒を図った、高い志を持った人であると思い込んでいるのである。深層心理の無の有化作用による現象、すなわち、大衆は自分の志向性で他者を作り上げる現象は、枚挙に暇が無い。かつて、視聴率の高い、TBSのテレビドラマに、「水戸黄門」という時代劇があった。水戸黄門が、身をやつし、身分を隠して、助さんと格さんを引き連れて、諸国を漫遊し、悪大名、悪代官、悪商人を成敗する物語である。悪人たちと立ち回りになり、悪人たちが、打ちのめされた頃合いに、助さんか格さんが、葵の紋の印籠を掲げて、「さきの副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ。」と言うと、悪人一味は、土下座し、平伏して、降伏を宣する。現在、視聴率の高い、テレビ朝日のテレビドラマに、「相棒」という刑事ドラマがある。東大法学部を卒業した、キャリアの杉下右京警部が、警視庁特命係という、仕事らしき仕事のない部署で、相棒の部下を一人従えて、強引に難事件に首を突っ込み、解決していくというドラマである。大衆は、権力者や高学歴の人間に、ありもしない夢を抱いているのである。権力者や高学歴の人間が、いつか、自分たちを救ってくれるのではないかと期待を抱いているのである。そして、自分たちは、何もせず、そのような人が現れるのを待っているのである。それが、両ドラマを高視聴率に導いているのである。しかし、大衆が、どれだけ待とうと、権力者や高学歴の人間は、大衆の意を酌んでくれない。彼らは、その権力や高学歴を生かして、自分たちの利益を最大限に求め続ける。それは、集団的自衛権の国会成立、原子力発電所の再稼働に、如実に現れているではないか。世論調査で、圧倒的に、集団的自衛権の成立に反対・原子力発電所の再稼働に反対の結果が出ても、自民党を中心とした勢力は、強引にそれを推し進めたのである。安倍晋三首相が、森友学園・加計学園の自分の信奉者・友人に、不正な優遇をしたのも、「桜を見る会」を私物化し、公私混同したことも、森田健作千葉県知事が千葉県の台風被災に際して、仕事を放り出し、被災地よりも自分の家の被災状況を見て回ったことも、大衆の支持率が高いからである。しかし、それでも、大衆は、待ち続けるであろう。自民党安倍政権、森田健作千葉県知事、東大卒業者は、すなわち、権力者は、常に、安泰である。ニーチェの「大衆は馬鹿だ」の声が聞こえてくる。次に、太平戦争であるが、これも、また、日本人の深層心理の無の有化作用から起こった。日本人は、現実を、自分の都合の良いように見ようとする。戦力的に、アメリカ合衆国が圧倒的に優位であることは誰でもわかることなのに、戦争に突き進んだ。アメリカ合衆国の戦力を熟知していた者も、精神論をぶつ者の前に沈黙した。精神論者は、「日本は神国であるから、これまでも、外国との戦争で負けたことはなく、アメリカとの戦争でも負けるはずがない。」と豪語した。政治家や軍人の中には、日本とアメリカの戦力比較を冷静に分析し、アメリカ優位を知っていたが、暗殺を恐れて沈黙するか、保身のために積極的に戦争を支持した。現代でもそうであるが、自らの保身のことしか興味・関心がない官僚たちは、権力者たちの動きに呼応し、戦争を始め、遂行するために積極的に動いた。彼らにとって、アメリカの戦力優位、日本の戦力劣位はどうでも良かった。自らの地位の維持だけが関心事だった。ほとんどの文化人も、時局に乗っかり、積極的に戦争を賛美した。中には、「アイツは表面的に戦争に賛成しているように見せかけているが、実際は、平和主義者で、陰で、戦争反対の主張をしている。」と言って、体制に、仲間を売る者がいた。大衆と同じである。しかも、それは珍しくなかった。一部の知識人は、戦争に反対したが、ほとんどの者は、特高や憲兵に逮捕された。特高や憲兵の目を逃れることができた者も、大衆(近隣の者)の警察への密告により、逮捕された。しかも、密告した大衆(近隣の者)は自らの行為を正義感による行為だと思い込んでいた。逮捕された有力な知識人の多くは、裁判を待たずに、拷問で、転向させられた。拷問でも、転向しない知識人の中には、虐殺される者もいた。その数は、少なくなかった。拷問・虐殺をするように、特高を指図した多くの者は、東京帝国大学出身のエリート官僚だった。彼らは、戦後において、誰一人として、その責任を問われることはなかった。マスコミも、積極的に戦争を支持した。朝日新聞、毎日新聞、讀賣新聞、いずれの全国紙も積極的に戦争を支持した。現代においても、軍部の圧力はないのに、産経新聞、読売新聞、週刊新潮などのマスコミは、アメリカを盾に、尖閣諸島の帰属問題、竹島の帰属問題、拉致問題について、戦争も辞さない覚悟で、中国、韓国、北朝鮮と対峙せよと説く。自民党や右翼の論調と同一なのである。マスコミの第一の使命は、権力と対抗することではなかったのか。産経新聞、読売新聞、週刊新潮は、自民党の広報誌だと名乗った方が良いのではないか。また、「日本が、中国、韓国、北朝鮮と戦争をすれば、アメリカが助けてくれる。」と思っている日本人は多いが、それは単なる思い込みである。それも、また、深層心理による無の有化作用である。彼らは、「日本はアメリカの同盟国であり、友好国だから、日本が外国と戦争をすれば、アメリカは兵隊を送って助けてくれる。」と思い込んでいるのである。しかし、日本は、アメリカの同盟国ではない。同盟国ならば対等な関係のはずである。しかし、日本とアメリカは対等な関係ではない。アメリカ軍用機が、日本の許可を得ずに、日本中を、好きな時間に飛ぶことができ、アメリカ軍人が勤務中に犯罪を犯した場合も、アメリカ軍用機が日本国内に墜落した場合も、日本の司法は関与できない。対等な関係と言えるはずがないのである。同盟国ではないのである。日本はアメリカの属国なのである。わかりやすく言えば、日本はアメリカの植民地なのである。そもそも、日本が、中国、韓国、北朝鮮と戦争した場合、どうして、「アメリカは、兵隊を送って、日本を助けてくれる。」と考える日本人が多いのだろうか。アメリカが、自国の大切な兵隊を送って、どのようなメリットがあるというのか。中国は、アメリカの国債を大量に買い、アメリカとの貿易も盛んで、アメリカの経済を支えている。韓国は、朝鮮戦争で、国連軍というが、実態は、アメリカ軍の支援を受けて、共に戦い、以来、アメリカに政治的・経済的・軍事的に支えられ、今もって、韓国内にも、アメリカ軍基地があり、アメリカの友好国の一つである。北朝鮮は、今や、核保有国である。そんな国々を、アメリカは敵国にして戦うはずはないのである。確かに、日米安保条約にも、日本が、外国と戦った場合のアメリカの支援の規程はある。しかし、それは、アメリカの議会に諮るというだけで、必ず支援するという規程は存在しないのである。日本人は、お人好しである。日本がアメリカに誠意を尽くせば、アメリカは日本に良いことをしてくれると思い込んでいる。しかし、アメリカは、自国の国益のためだけに、国際関係を営んでいる。日本だけを友好国にし、特別待遇をすることはない。そもそも、国益とは、エゴイスティックなものでしかない。日本がすり寄ってくるから、アメリカは、そこから、最大の利益を得ようとしているだけなのである。利益を吸収できるだけ吸収して、利用価値が無くなれば、ぽいと捨てるだけである。日本人のアメリカに対する気持ちは、現実の恋愛を知らないうぶな娘が、身持ちの良くない男に恋した時の気持ちとよく似ている。うぶな娘は、自分が尽くせば、いつか、男は自分に気持ちを寄せてくると思い込んでいる。しかし、身持ちの良くない男は、彼女の肉体に飽き、金品を巻き上げられるだけ巻き上げ、彼女の存在が他の女性との交際の障害になれば、彼女をぽいと捨てるだけである。アメリカは、自国の利益だけのために、日本にアメリカ軍基地を置いているのに、日本人のお人好しの性格を見透かして、多額(9465億円)の思いやり予算(2016年度から5年間の在日米軍駐留費)をぶんどっている。また、これまでも、アメリカの言うがままの日本から経済的な利益を吸い上げているが、これからも、吸い上げられるだけ吸い上げるつもりでいる。だから、もしも、軍事的な価値や吸い上げるだけの経済的な利益がないと判断したり、他国との関係に日本が障害であると判断したりすれば、日本をぽいと捨ててしまうだろう。果たして、今後、アメリカが、日本と中国の二者択一を迫られたら、日本を選ぶだろうと、誰が自信を持って答えるだろうか。日本人だけである。ほとんどの日本人は、「これまで、ずっと仲良くしてきたのだから、必ず、日本を選んでくれるはずだ。」と思っているだろう。しかし、アメリカは、その時の国益を鑑みて、選ぶだろう。中国が選ばれた時、ほとんどの日本人は、「これはひどい。あんなに仲良くし、あんなに尽くしたのに。」と、アメリカの非人情を恨むだろう。しかし、国とはそういうものなのである。国益とはそういうことなのである。その時、日本人は気付くだろう。自分が、あまりに、お人好しであったことを。そして、他国に身をゆだねず、したたかに、政治を行わなければならないことを。しかし、それに気付いた時、日本人は、「他国に頼ってはいけない。頼るのは、自国だけだ。」という考えに陥ってしまうだろう。そして、日本の政治は、完全に、戦前の軍国主義時代のものに戻るだろう。政府は、現在以上に中国脅威を煽って、核武装をし、徴兵制を敷き、軍備拡張に走るだろう。戦前もそうであった。日本が、中国大陸を侵略し、満州国を建てると、全ての国から、バッシングを受けた。日本人は、それを怒り、「頼るのは自国だけだ。」と考え、国際連盟を脱退し、軍備拡張に走り、アジア諸国を侵略し、挙げ句の果てに、太平洋戦争を起こした。そして、大敗北を喫し、焼け野からの再興となった。太平洋戦争の惨劇で、日本人は気付くべきなのである。政治は、八方美人的に、したたかに行わなければいけないことを。自国一国を頼りにすると、軍人が力を得、軍備に多大な予算を割かなくてはならなくなり、国民が疲弊することを。現在の北朝鮮の状態を見れば、一目瞭然ではないか。しかし、現在の自民党政権や日本会議などの右翼は、日本を戦前の国家に戻したいのである。現在の日本国憲法を改正し、大日本帝国憲法に近いものにし、教育勅語を復活させたいのである。彼らにとって、戦前の日本が理想のあり方なのである。だから、彼らは、戦前・戦中の日本・日本軍・日本人を批判し続ける中国、韓国、北朝鮮に謝罪したくないのである。中国、韓国、北朝鮮に謝罪することは、戦前の日本を否定することになるからである。もちろん、彼らは、靖国神社にも、積極的に参拝する。靖国神社には、A級戦犯が祀られているが、彼らには、戦犯は存在しない。むしろ、彼らにとって、A級戦犯こそ、命をかけて、戦中の日本を指導した英雄である。もちろん、中国、韓国、北朝鮮は、日本人は戦前・戦中の行為を反省していないのかと反発する。しかし、彼らは、戦前の日本に憧れを抱いているのだから、反省するはずがないのである。彼らは、戦中の日本軍の残虐も戦争につきものであるとし、むしろ、日本軍は日本国のためによく戦ったと賞賛の言葉を惜しまないのである。特に、安倍首相は、尊敬する岸信介の孫であるから、戦前回帰の願いが強いのである。岸信介は、満州国高官を経て、太平洋戦争を主導した東条内閣の商工相であったために、戦後、死刑にならなかったが、A級戦犯として逮捕された。その後、首相となり、日本国憲法改正を目指していたが、道半ば、60年安保闘争で、退陣した。安倍首相は、A級戦犯という岸信介の汚名を晴らしたいのである。それは、すなわち、A級戦犯の孫という自分の汚名を晴らすことである。そのためにも、日本国憲法を大幅に改正して、大日本帝国憲法の精神を受け継いだものを制定したいのである。そして、教育勅語を復活させたいのである。もちろん、徴兵制の導入もその延長線上にある。そうすれば、日本は戦前のようになり、実質的に、戦前の日本が肯定され、岸信介は戦犯から外されるばかりでなく、存在価値が認められ、自分自身もA級戦犯の孫から解放されるからである。案の定、自民党の憲法草案を読むと、基本的人権が、ことごとく、否定されている。時代錯誤も甚だしいしろものである。全体主義国家の憲法である。まず、天皇を元首として祭り上げている。天皇の言うことならば、誰でも従うから、それを利用しようとしているのである。作家の坂口安吾も言っているように、戦前において、天皇の身の回りの政治家や軍人が天皇の名をかたり、独断的に政治を推し進めたのである。自民党は、自らも、そのうまみを味わいたいのである。次に、罪を犯さなくても、他人に迷惑をかけていなくても、公が行使すれば、個人の自由が制限される。公とは、国家権力である。つまり、国民は、自分の考えを捨て、国家権力に従順でなければならないのである。次に、家庭を重視しているようで、聞こえは良いが、戸主権が復活し、女性の人権、子供の人権がないがしろにされている。父親が絶対的な権限を持っている。家庭で育児や介護をするようなことも記されているが、これでは、女性の負担が増えるばかりである。次に、夫婦別姓に反対している。男女同権の考えが全くないのである。さすがに、戦前の日本に憧れを抱いている者たちが作った、憲法草案である。さらに、在住外国人の参政権にも反対している。国際化の時代だと言われているのに、これは、非常に危険な兆候である。しかし、大衆は、自民党の憲法草案を読もうと思わないだろう。それを読んでも、おもしろくないからではない。自民党のありのままの考えを知るのが怖いからである。それよりも、夢を託したいのである。現実を見て幻滅するよりも、自分で夢を紡いで、夢見ていたいのである。だから、安倍首相が、秘密保護法案や安保法案を強行採決させても、原発の再稼働をさせても、その現実を見ず、アベノミクスという有名無実なものに、経済発展の夢を見て、満足しているのである。まさしく、日米の戦力格差の現実を見ようとせずに、戦勝に夢を託して、太平洋戦争に突き進んだのと同じである。大衆には、小泉進次郎に、清廉潔白なイメージを持ち、その支持者も多い。しかし、小泉進次郎も、自民党議員である。安倍晋三と同じ穴の狢である。しかし、大衆は、小泉進次郎に夢を託すのである。小泉進次郎も権力者の一人なのに、その現実を敢えて見ようとしないで、夢を叶えてくれるように思うのである。いや、思おうとしているのである。しかし、権力者に夢を託してはならない。夢を託していれば、後に、避けることができない、歪んだ現実が大衆に覆い被さってくるのである。それが、太平洋戦争の悲惨な戦場であり、全国の都市爆撃被災であり、沖縄戦であり、広島・長崎の原爆被災だったのである。それを忘れてはならない。絶対に、この世の現実には、水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍、大岡忠相は現れることはないのである。決して、大衆の味方になる権力者は現れることはないのである。権力者に、夢を託してはならないのである。むしろ、大衆は、政治・政治家を監視しなければならないのである。また、政治家は、アメリカに依存してはならない。必ず、早晩、アメリカは日本の期待を裏切ってくる。アメリカは、アメリカの国益に従って、政治を進めているからだ。政治家は、したたかに、八方美人型に、外交関係を結ばなければならない。そのためには、右翼や産経新聞・読売新聞・週刊新潮などのマスコミから、土下座外交と批判されても、謝罪すべき国には、謝罪しなければならない。領土よりも、経済よりも、国民の命が大切であることを肝に銘じて、政治を行わなければいけないのである。さて、漢字本来の「海」の意味は、「広くて深くて暗い海」である。しかし、三好達治の郷愁という詩に、「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」という一節がある。ここには、日本人と欧米人の感性の違いが象徴的に表現されている。日本人は、海を含めて自然に抱かれることを理想とするが、欧米人は自然を征服し利用しようと考えているということである。さて、それでは、太平洋戦争で、最初に「特攻死」した9人は、どのような思いで海を見たのだろうか。一般に、「特攻」は、1944年10月、アメリカ軍のフィリピン、レイテ島上陸に際し行われた「神風特別攻撃隊」とされているが、実際には、1941年12月8日の開戦当日の真珠湾攻撃において、既に行われているのである。ただし、航空機ではなく、小型潜航艇「甲標的」による「特攻」である。「甲標的」とは、二人乗り(甲型)の潜水艇である。100メートル程度まで潜行可能だが、航続力は短く、最大速力では、50分程度までしか航行できず、最微速でも、航続距離は、150キロメートルにとどまった。外洋航行能力はなく、武装として、魚雷2本を搭載しているだけであった。真珠湾攻撃には、5隻が出撃し、戦果は現在でも不明だが、全て未帰還となり、戦死者9名、捕虜1名という結果となった。10名のうち9名が戦死したのは、海軍の中央統帥機関である軍令部は、最初から、甲標的部隊の搭乗員の救出は考えていず、「必死」が前提となった作戦だったからである。戦死した9名は、その後大々的に「9軍神」と喧伝され、2階級特進された。マスコミは褒め称え、国民は感動し、戦争に向かう気分はいっそう高まった。なお。海軍はこの部隊を「特別攻撃隊」と称し、マスコミは「特別攻撃隊の偉勲」と褒め称えた。そして、海軍は、アメリカ軍の捕虜となって生き残った者は、最初から、甲標的部隊にいなかったとし、「9軍神」だけが出撃したようにした。東条英機が、陸軍大臣時代に作成させた戦陣訓の一節に、「生きて虜囚に辱めを受けるなかれ」(捕虜となって生き残るような恥ずかしい行為をするな。捕虜になるくらいならば死ね。)という一節があるが、海軍も同じ思いだったのである。つまり、捕虜になった人は恥知らずの人間なのである。しかし、捕虜になった人を恥知らずな人ではない。彼は、「甲標的」に搭乗し、海の中を、「必死」の思いで潜行し、攻撃に出たが、運良く、助けられたのである。彼は、仲間を思い、最初は、自らを恥じただろうが、徐々に、海に抱かれて生き残ったことに感謝しただろうと思う。彼は、そこで、初めて、海を見ることができるようになっただろうと思う。さて、それでは、戦死した9名は、海をどのように見ているだろう。自らの行為を、軍令部は、「9軍神」と喧伝し、2階級特進し、マスコミは褒め称え、国民は感動し、戦争に向かう気分はいっそう高まったので、名誉の死だと思い、海に抱かれたと考えているだろうか。それとも、まだ、広くて深くて暗い海に沈み、漂いながら、現在の日本が再び自分のような者を作ろうとしているのを憂えているだろうか。彼らはどのように海を見たのであろうか。そして、見ているのであろうか。しかし、日本人の近代史に対して、無の有化作用による歴史観は、あまりにもひどい。それは、自民党の国会議員から大衆の右翼・体制派の歴史観である。彼らは、韓国併合(実際は韓国支配である)は、インフラ整備も為され、併合以前よりも国は豊かになり、韓国民にとっても良かったと主張する。しかし、実際は、韓国併合は、創氏改名をさせ、韓国の自治を侵し、韓国民を侮辱することになり、とうてい、容認できないことである。彼らは、太平洋戦争(右翼は、大東亜戦争と表現する)は、アメリカから仕掛けられてやむを得なく起こした戦争であり、日本の兵士はよく戦ったと主張する。しかし、実際は、太平洋戦争は、中国大陸への侵略行為の連続であり、勝ち目のない戦争なのに日本を神国だとする驕りから引き起こされ、挙句の果てに、アジアの人々に対して残虐な行為を繰り返した、最悪の戦争だったのである。彼らは、南京大虐殺は、大虐殺と呼ばれるようなものではなく、戦争中によくある出来事であり、原因は、中国兵が一般市民を装って逃げようとしたことから起こったのだと主張する。しかし、実際は、左翼は、南京大虐殺は、戦争中のこととは言え、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜及び一般市民を大量虐殺し、放火・略奪・強姦などの非行を加えたことは、到底許すことはできない行為なのである。彼らは、特攻は、自ら志願して、国のために命を捧げたのであり、その行為は称賛に値し、戦後の日本の繁栄は特攻隊員のおかげだと主張する。しかし、実際は、特攻は、志願しているように見せかけられているが、実際は、強制されたり、そうせざるを得ないような状況に置かれたりしたのであり、特攻隊員の苦悩を偲ぶにはあまりあると同情し、彼らが生き残っていたならばもっと日本は平和で豊かな国になっていただろう。



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